山下敦弘監督、仲吉玲亜(ミク)、清田みくり(チヅル)、濵尾咲綺(ココロ)、花岡すみれ(ユイ)、三浦理奈(リンカ)、さとうほなみ(山本)ほか出演の『水深ゼロメートルから』。

 

原作は中田夢花による徳島市立高等学校の高校演劇の戯曲。

 

中田さんは映画版の脚本も担当。

 

高校2年生のココロ(濵尾咲綺)とミク(仲吉玲亜)は体育教師の山本(さとうほなみ)から、夏休みに特別補習としてプール掃除を指示される。水の入っていないプールには、隣の野球部グラウンドから飛んできた砂が積もっていた。2人が嫌々ながらも掃除を始めると、同級生で水泳部のチヅル(清田みくり)や、水泳部を引退した3年生のユイ(花岡すみれ)も加わる。学校生活や恋愛、メイクなど何気ない会話を交わすうちに、彼女たちの悩みが溢れ出し、それぞれの思いが交差していく。(映画.comより転載)

 

まったくノーマークの映画だったんですが、別の映画を観るために行った劇場でポスターを見て、原作が高校演劇ということで急遽観ることにしました。

 

僕は演劇の方面や高校演劇に特に詳しいわけではないし、常に関心があるのでもないのですが、2020年公開の『アルプススタンドのはしの方』が話題になったこともあったし、

 

 

ここ2年ほど毎年9月頃にNHKのEテレで「全国高等学校演劇大会」の最優秀賞受賞作品が放送されているのを観る機会があって、とても面白かったので、高校生が作った芝居をどう映画化しているのだろうと興味をそそられて。

 

内容についてはまったく予備知識がないまま鑑賞。

 

 

きょうは塾に行くふりをして」松山東高校 2022年

21人いる!」徳島県立城東高等学校 2023年

 

ちなみに、僕がEテレで観た↑最優秀賞受賞作品も、それから今回の映画の原作である戯曲を作った徳島市立高等学校も四国の高校ですが、四国って高校演劇が盛んなんでしょうか。すみません、その方面に無知なものですから。でも次々と素晴らしい作品を生み出していてスゴいですよね。

 

で、まぁ、ポスターを見ればわかるように女子高生たちが映っていて、だから彼女たちの物語なんだろうとは思っていましたが、五十路のおっさんとしてはそろそろ10代の女の子たちがみんなでワイワイやってるようなお話についていけなくなってまして、上映が始まってしばらくして「あ、しまった、観る映画間違えてしまったかも」という気持ちに襲われたのでした。

 

阿波踊りの「男踊り」を幼い頃から踊ってきたミクに水泳部のチヅルが「踊ってよ」とせがむが、ミクは頑なにそれを拒む、というのが何度も繰り返されて、ミクと同じく水泳の補習授業でプールの掃除に呼ばれたココロとも同じやりとりがある。

 

演劇原作なんだし、登場人物たちの台詞のやりとりの面白さを味わえるのかと思っていたら、なんか展開も女子たちの会話も妙にユルくて、それは映画的なリアリズムといえばそうなのかもしれないが、僕には知りもしない女子軍団のどうでもいいダベりを延々聞かされてるような、しかも舞台はそのほとんどが水を抜かれたプールの中なので、87分の作品にもかかわらず特に前半は長く感じた。

 

チヅルは補習で呼ばれたわけではなくて、水のないプールで椅子に乗って水泳の真似をやってるし、すでに水泳部を引退した3年のユイもなぜか掃除を手伝いだして、一方ではメイクに夢中でいっこうに掃除をやろうとはしないココロは途中で生理痛でプールサイドの椅子に横になる。

 

プールの底に積もった砂はグラウンドの野球部によって飛ばされてくる。いくらホウキで掃いてバケツに入れたところで、まるで浜辺の砂を掻き出そうとするようなもので、きりがないしその作業自体に意味がない。

 

しかも、炎天下で帽子もかぶらずに長時間掃き掃除なんかやってたら熱中症になっちゃいそう。

 

 

 

体育教師の山本は時々様子を見にきては作業がはかどらないことにイラつきを隠さず、女子生徒たちを難詰する。

 

彼女たちは確かにお喋りしながらちんたらやってるんだけど、終わりが見えないこんな作業を命じられたって誰もやる気など起こらないだろう。

 

そんで、もともとチヅルと同じ水泳部だった男子の“楠”が野球部に入って活躍していることが女子たちの会話からわかってきて、チヅルは楠に気があるのかどうか、みたいな話になってくると、いよいよどーでもいいわ、という気分になってきた。

 

こんなお話を高校演劇でやってたのかなぁ、どこがそんなによかったのだろう、と。

 

でも、登場人物が限られている分、彼女たち一人ひとりの個性は見えやすいし、映画をずっと観ているうちに、なんとなくそれぞれに愛着も湧いてきて、その会話の内容にも興味が出てきた。

 

途中までは一体何を描こうとしているのかわからなかったのが、わりと唐突にココロが「男たちの世界」で生きていかなくてはいけない自分たち女性のことを語りだすあたりで、あぁなるほど、と。

 

 

 

 

正直なところ、急に「男に対抗する」みたいな話になってきたところがあって(何しろ男子はまともに登場しないので)、それはいかにも演劇的な飛躍で若干無理を感じたんですが、でも、演劇版にはない野球部の女子マネージャー・リンカのシーン(演劇版はプールを舞台にした一幕モノだから)──男子野球部でマネージャーとして選抜された女子の事情、彼女は彼女で自らの意志でその役割を選び、誇りを持っているのだ、ということがわかる場面で、その狭き門であるマネージャーに選ばれなかったココロとの対比にもなっている。

 

 

 

 

そして、ココロがなぜ化粧をすることを男性社会の中でサヴァイヴすることのように語ったのかがわかってくる。彼女たちはその思いをすべて言葉にしているわけではない。

 

 

 

女の子たちの描き分けが見事だな、と。このあたりはリアル女子高校生だった原作者ならではでしょうし、誰かを完全な悪者にするのではなくて、それぞれの心の内、思いを描くことで、これもちょっとした「シスターフッド」モノになっている。

 

 

 

『アルプススタンド~』がそうだったように、この作品も高校演劇から商業演劇作品へとリメイクされて、そこで女子高生を演じた女優さんたち3人(仲吉玲亜、濵尾咲綺、花岡すみれ)がこの映画版でも同じ役を演じているそうで、もちろん現在は全員が現役の高校生ではないのだけれど、先ほど僕が「ユルい」と言った女子同士の会話など、こういう子たちいそうだよな、と思わせる。

 

この映画で僕が一番印象に残ったのは、チヅル役の清田みくりさんでした。

 

 

 

 

いつもちょっと顎を上げ気味なとことか、眩しそうな表情、そして女子ばかりだからか油断して屁ぇぶっこいたりするとこなんかも(笑) いちいちいそうなんだよね、こういう子。

 

彼女が男子の楠に水泳の記録で負けてヘコんでいる、というのも、僕は水泳のことよくわかんないんですが、男子と女子って別じゃないの?女子が男子の選手に記録で対抗心を燃やしたりすることがあるのだろうか。

 

ここらへんは、生まれ持った“性別”によって運動能力が制限されてしまうことへの納得のいかなさを語っていたりするのだろうか。努力してもかなわない悔しさを。

 

それは性別の違いだけに限らないと思いますが。男子には男子の生きづらさがありますからね。楠みたいな男ばかりではないんだから。

 

ミクがみんなの前で頑として男踊りを踊らないのが見ていてイライラさせられたんだけど、小さい頃は性別なんか関係なかったのが、成長するにしたがって「男踊り」と「女踊り」に分けられていく、その理不尽さを感じているところはチヅルとも通じるし、それは単に男性に対して反感を持っている、というだけではなくて、この世のままならなさへの苛立ちのようでもある。

 

それは、教師の山本も同じで、福岡出身の彼女は地元の友人から電話で部活の同期での飲み会に誘われるが、赴任した徳島市で教師として阿波踊りの見回りをしなければならず帰省できないこと、またその仕事にやりがいもあることを語る。

 

 

 

それでは、彼女が生徒たちの前でずっと苛立っていたのはなぜか。

 

平然と濃いめのメイクをしているココロにぶつけた彼女の苛立ちの理由は、少々おとなげないというか、だからってその怒りを生徒に向けなくてもいいだろ、とは思った。

 

ちょっと前には学生だったであろう山本先生が、「教師」として振る舞わなければならない、それも上からいろいろと注文をつけられて。苛立っているのは10代だけじゃない、ってこと。

 

山本を演じているさとうほなみさんは僕は彼女が性的に逸脱していく女性を演じた『愛なのに』を観たし、TVドラマなどにもよく出てらっしゃいますが、この映画ではおばさん扱いされてるし、10代の女の子たちから反発される女性役というのは新鮮だったみたいですね。

 

終盤で、山本先生は実は彼女たち生徒が補習でプールに入らなくてもいいように水を抜いたプールの掃除を命じたのでは、みたいな話があって、ごめんなさい、意味がよくわかんなかったんですが(;^_^A

 

僕は中学や高校では水泳の授業は男女がまったく別だったんで(だから中高時代に校内で女子の水着姿を見たことがない)、水泳の授業を生理で休む、という「女子あるある」的な話題は実感としてよくわからなくて、実はこの映画で一番重要だった部分を理解していないかもしれません。

 

生理(月経)というのは、男子にはない女子が持つ一種のハンディキャップ(もちろん、それにはちゃんと意味があるし、けっして単に“不利”というものではないが)で、だから、それもまた多くの女性が感じる「理不尽さ」ではあるのかもしれない。

 

この映画、僕は1回しか観ていませんが、台詞の中に社会全体についてのいろんなメタファーが込められていそうですよね。

 

こういう作品を現役の高校生が書き上げたということが本当に凄いと思った。

 

これまで僕が観てきた上記の作品たちは、演劇部の顧問の先生が書いた台本だったから(この「水深ゼロメートルから」も原作は当時顧問だった村端賢志先生の名前があるけれど、先生がどの程度かかわられたのかは完全な部外者である僕などにはわからない)。

 

突然降りだした雨で、乾いていたプールの底は水浸しになる。

 

ずぶぬれになったミクは、腰を落として「男踊り」の構えをする。

 

 

 

水のなかったプールに、ほんの少しだけ潤いが戻った。

 

踊りたいのに踊れない、そう思っていた大好きな男踊りを彼女は取り戻せただろうか。

 

この作品が描いているのは、男性社会で女性が男性たちに対抗することではなくて、終わりが見えない、解決の道もわからない、そういう中でも自分が本当に追い求めるものを掴むんだ、という強い想いだろう。

 

監督の山下敦弘さんは、10年以上前に観た『マイ・バック・ページ』も『もらとりあむタマ子』も僕はめっちゃ酷評してしまったけれど、でも同じ監督の『リンダ リンダ リンダ』は好きでした。女子高生を描くのは『リンダ~』以来なんだな。

 

どうして女性の監督ではなくて男性の山下監督がこの映画を撮ったのだろう。

 

男だとか女だとか関係ない、のかな。

 

女性の監督が撮ったらどういう作品になったのか、ちょっとだけ興味がある。

 

 

 

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