監督:八鍬新之介、声の出演:大野りりあな、役所広司、小栗旬、杏、滝沢カレン、松野晃士、石川浩司、ダニエル・ケルン、駒田航、園崎未恵、加納千秋ほかのアニメーション映画『映画 窓ぎわのトットちゃん』。2023年作品。

 

原作は黒柳徹子の同名自伝小説。

 

好奇心旺盛でお話好きな小学1年生のトットちゃん(声:大野りりあな)は、落ち着きがないことを理由に学校を退学させられてしまう。東京・自由が丘にあるトモエ学園に通うことになったトットちゃんは、恩師となる小林校長先生と出会い、子どもの自主性を大切にする自由でユニークな校風のもとでのびのびと成長していく。(映画.comより転載)

 

あけましておめでとうございます。

 

いつもは「日本のアニメは嫌い」などと言って敬遠しているんですが、とても評判がいいので観ておこうと思って正月二日目に映画館へ。

 

上映会場は混んでいて、老若男女、さまざまな人たちが三が日から映画を観にきていました。大勢で観るのがとても楽しかった。

 

ただ観る前は、舞台となるのが戦前戦中とはいえ、主人公の身のまわりの小さな出来事を積み重ねていく子ども目線の作品で、あくまでも戦争は背景として処理されているのだと思っていたんですが、想像していた以上に戦争の存在がクローズアップされていて、といっても直接的な戦闘シーン、残酷な場面が描かれるわけではないのだけれど、「自由」な学園の校風、そこで自分の居場所をみつけられた子どもたちがやがて戦争の時代にさらされていく様子がしっかりと描かれていました。

 

たとえば、片渕須直監督の『この世界の片隅に』に通じるものがあるし、あの作品がお好きなかたはぜひご覧になるといいんじゃないでしょうか。

 

だからこそ、それは今現在のきな臭い時代と重なってもいて、ある程度の年齢以上の子どもさんやおとなが観ると、ちょっとつらくなってしまうかもしれない。

 

でも、僕はとても「いい映画」だと思ったし、もしも去年のうちに観ていたら、確実に2023年に観た好きな10本の映画の中に含まれただろうと思います。

 

なので、ご興味を持たれましたら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。

 

一応、内容についても触れますので、映画を鑑賞されてからお読みいただきますようお願いいたします。

 

…実は、最初に予告篇を観た時には「気持ち悪い絵柄だな」と思ってしまったんですよね。

 

なんで主人公の“トットちゃん”をはじめ、他の子どもたちや場合によってはおとなたちでさえも、まるでお化粧をしたように頬に赤みがさしていてリップクリームでも塗ったように唇が光っているのだろう、と。

 

 

 

 

でも、あれは作品の舞台となる戦前戦中の児童向けの絵の中の人物たちの描かれ方を模していたんですね。

 

映画が始まってしばらくすると気にならなくなりました。

 

黒柳徹子さんによる原作は、いわさきちひろさんの挿絵によるその本の存在自体は知っていたけれど読んだことはなくて、またそれや黒柳さんの人生をもとにしてこれまで映像化された作品もまったく観たことがありませんでした。

 

黒柳徹子さんといえば、おなじみ「徹子の部屋」だったり、または「世界ふしぎ発見!」の解答者として、あるいはユニセフの親善大使として活躍されてきた、というイメージぐらいで、彼女の著書や関連作品にちゃんと触れたことがなかった。

 

お母さんの黒柳朝さんは朝ドラ「チョッちゃん」(1987年) の主人公のモデルでもありますね。ただ、あのドラマも当時たまに観ていたけれど、内容はほとんど覚えていないので(役所広司さんが出ていたことも今回確認して初めて知ったか、忘れてたのを思い出した。黒柳徹子さんも出演されていたんですね)、黒柳さんのご家族のことなどもあらためて知ったような状態でした。

 

だから、彼女が通っていた「トモエ学園」の存在も初めて知ったし、黒柳徹子さんが今でいうADHD(注意欠如、多動症)だったのかもしれない、ということも、今言われてみれば、なるほど、といった感じ。

 

 

 

この映画の中で描かれたことがすべて原作通りなのか、史実通りなのか僕にはわかりませんが、トモエ学園の校長だった小林宗作さん(声:役所広司)や、劇中でトットちゃんが将来結婚したがっていた、のちに物理学者になった山内泰二氏は実在の人物。

 

小林先生の教え子には、池内淳子さんや津島恵子さん、美輪明宏さんがいらっしゃるんですね。

 

昭和15年 (1940) から19、20年あたりまでが描かれるんだけど、パパ(声:小栗旬)がオーケストラのヴァイオリニストである黒柳家は家族三人で大きな洋風の家に住んでいて、ママ(声:杏)もいつもモダンな服装で、朝にはみんなでバターを塗ったトーストに目玉焼きやサラダを食べ、“トットちゃん”こと徹子は大きな可愛いリボンをつけて通学する。飼い犬の名前はロッキー。

 

当時としては、そして今だって「いいとこ」のお嬢さんなんだな。

 

そんな、他の子どもたちからはどこか浮いていて、ゆえに転校を余儀なくされるトットちゃんは、やはりさまざまな理由から世間でその「個性」を受け入れられずにいた子どもたちのいるトモエ学園に迎えられる。

 

その後の黒柳さんの生き方に大きな影響を与える場所と人物との出会い。

 

廃車になった電車を教室や図書室として使い、音楽やダンスを用いて、生徒たちに強制したり彼らを選別したり型にはめることなく自由に過ごさせる、疑問を持ったら調べてみたり、やりたいと思ったことをさせてみたり、そういう教育を実践していた学校があの時代にあったことに驚かされる。

 

 

 

 

 

 

僕が子どもの頃によく公民館などで上映されていた児童向けのアニメ作品を思わせる作りなんですが、そこにトットちゃんの空想シーンが入ったり、小児麻痺(ポリオ)の泰明ちゃん(声:松野晃士)がプールで泳ぐ場面のイメージ映像など、今だからこそ可能になった表現もあって、より子ども目線で演出されている。

 

あの当時に日本で一般に知られていたのかどうかさだかではないジャイアントパンダ(日本に初めて来たのは1972年)が出てくるのは、黒柳さんがその後、パンダとかかわりがあったからでしょうか(^o^)

 

トットちゃんは泰明ちゃんを木に登らせてあげようとするんだけど、それは危険を伴うことでもあるし、彼女の行動はある種の押しつけがましさにも通ずる。

 

 

 

 

だけど、嫌がっているのを無理やりさせようとするのはダメだけど、ほんとは望んでいることをなんとか実現させるために手を差し伸べて協力するトットちゃんの姿勢は、とても大切なものでもある。

 

自由に動かすことができない片足を隠すように長ズボンを穿いていた泰明ちゃんは、トットちゃんと出会ってから半ズボンを穿くようになる。運動も苦手だったけれど、他のみんなと一緒に遊ぶ楽しさも知る。

 

一所懸命やってみて、できれば嬉しいし、できなくても精一杯やったのならそれで満足できる。便所にお財布を落としてしまって必死に探してもみつからなくても、臭い中でハエにたかられながら頑張って探した結果なんだから、それでいっか、と思う。

 

砂で汚れた泰明ちゃんの衣服を見て、彼のお母さん(声:加納千秋)は涙を流す。

 

人は悲しい時に無理して笑顔を見せることもあれば、嬉しい時に泣いたりもする。

 

 

 

同情して手加減をしたことがわかると、かえって泰明ちゃんは傷ついてトットちゃんに抗議するし、ただの冗談のつもりでも担任の先生の軽口がその生徒を傷つけてしまうかもしれない。

 

飄々とした雰囲気の校長先生が、実は細心の注意を払って生徒たち一人ひとりに向き合っていたことを知ったトットちゃんが彼女なりに考えた配慮だったが、泰明ちゃんにとってそれは自分を可哀想な人として憐れむ、下のように見る態度に映ったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そんな泰明ちゃんは、心無いおとなの身勝手な言葉に雨の中で泣くトットちゃんのために、歌を唄う代わりに水溜まりでジャンプしてリズムをつけて一緒にダンスする。それは校長先生が彼らに教えたことの、哀しくも力強い成果でもあった。

 

ここには、互いに支え合い、心を通わせる関係があった。

 

トットちゃんと泰明ちゃんが協力し合って「想像した」この場面の光り輝く映像が、あまりに美しいからこそ本当に哀しくて、そして怒りを感じさせるものでもあった。

 

そういう、子どもたちの彼らなりの必死な生きざまに対して、暴力的に介入してきて幸せを破壊していくものとして「戦争」が捉えられている。

 

街なかで洋装をしてパーマをあてているママを見咎めて「華美な服装は慎むように」などと命令する帯剣した警官。

 

戦争が始まると、パパやママではなく「お父様」「お母様」と呼ばなければならなくなる。「パパ」や「ママ」って英語じゃないと思うんだけどね(イタリア語とかでは?)。

 

パパが所属していたオーケストラの指揮者、ローゼンシュトック氏(声:ダニエル・ケルン)はユダヤ系だったのでナチスによってドイツを国外追放になっている。

 

パパ/黒柳守綱氏は戦時中に軍歌を演奏することを拒否したが、戦後『ゴジラ』(1954) でテーマ曲を演奏している。

 

日独伊三国同盟の調印を知って、「ドイツが味方につけばアメリカもおとなしくなる」などと言って喜んでいる楽団員たち。しかし、その翌年に日本は真珠湾攻撃を行なってそのアメリカに戦争を仕掛けた。

 

物資が不足してお弁当もろくに持たせてもらえなくなって(自販機でもキャラメルを買えなくなる)、おなかを空かせて「ボート漕げよ」の節で「〽よく噛めよー」と、いただきますの時の歌を唄って気を紛らわせようとしていたトットちゃんを怒鳴りつけて「卑しい歌を唄うんじゃない」と言い放った男は、そのあとで食堂に入っていく。子どもが空腹に苦しんでいるのに、それを我慢させといてテメェは平気で飯を食うのか。何が「少国民」だ。

 

「こども食堂」のことが浮かんできてしまった。

 

つまり、これは単に「昔の話」でもなければ「恵まれない可哀想な子ども」の話でもなくて、すべての子どもたちにかかわる話だし、おとなたちだって無関係ではない。

 

トモエ学園のことをバカにして囃し立てる他所のクソガキどもに、トットちゃんとみんなは逆に誇りを持って唄い返す。

 

人を差別して喜んでいる者たち、ハンディキャップを持つ人を「穀潰し」などと呼んで役立たず呼ばわりする者たち──それは戦争中だけではなくて今でもいるし(どこぞの市長もそういう暴言を吐いていた)、泰明ちゃんのような子どもが生きることを許さない社会は最低だ。

 

 

 

夜店で買ってもらったヒヨコがすぐに死んでしまったことを悲しむトットちゃんに、泰明ちゃんはヒヨコが一所懸命に生きたこと、トットちゃんと出会えてきっと喜んでいるだろうことを伝えて慰める。それは、まるで自分のことを言っているようでもあった。

 

幼い子どもが、同じような年の子の死を経験しなければならないのは残酷なことではあるが、それが社会が寛容さや慈悲の心を失った結果だとしたら、その罪はそんな社会を作ったおとなたちにある。

 

この映画は、子どもたちが観てくれれば嬉しいけれど、おとなたちにもお薦めしたい。

 

そして実際、映画館には大勢のおとなたちも来ていた。

 

鑑賞後に「いい映画だったね」としみじみと語り合っていたご夫婦もいた。

 

楽しくて、悲しくて、とてもいい映画でした。おみそれいたしました。

 

好きな日本のアニメ映画がまた1本増えました。

 

 

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