北野武監督、ビートたけし、西島秀俊、加瀬亮、浅野忠信、大森南朋、遠藤憲一、木村祐一、中村獅童、勝村政信、桐谷健太、副島淳、寛一郎、寺島進、大竹まこと、岸部一徳、小林薫ほか出演の『』。R15+。

 

天下統一を目指す織田信長(加瀬亮)は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい攻防を繰り広げていた。そんな中、信長の家臣・荒木村重(遠藤憲一)が謀反を起こして姿を消す。信長は明智光秀(西島秀俊)や羽柴秀吉(ビートたけし)ら家臣たちを集め、自身の跡目相続を餌に村重の捜索命令を下す。秀吉は弟・秀長(大森南朋)や軍師・黒田官兵衛(浅野忠信)らとともに策を練り、元忍の芸人・曽呂利新左衛門(木村祐一)に村重を探すよう指示。実は秀吉はこの騒動に乗じて信長と光秀を陥れ、自ら天下を獲ろうと狙っていた。(映画.comより転載)

 

2017年の『アウトレイジ 最終章』から6年ぶりの北野武監督の最新作。

 

前作の時に「次回作は純愛モノ」みたいなこと仰ってたけど、北野武さん原作の『アナログ』は別の監督さんで作られたようで。僕はそちらは観ていませんが(恋愛モノに興味がないので…)評判いいみたいですね。

 

で、こちらは興味が持てそうな題材だったので(笑)観ることに。

 

最初の予告篇で加瀬亮さん演じる織田信長が大変耳障りなナゴヤ弁を喋ってて「…あ、これ大丈夫かなぁ」と大いに不安になったんですが、見るからに「戦国版アウトレイジ」な感じで、監督ご自身も「大河ドラマでは描けない戦国時代モノ」というようなことを言ってたから、そこんとこは率直に面白そうだな、と。

 

 

 

上映時間が131分ということもあって(北野監督作品では最長なのでは?)他の新作映画や旧作のリヴァイヴァル上映を優先していたんですが、あまり悠長にしてると上映回数が減って観逃す恐れがあるので、そろそろ、ということで。

 

正直、「アウトレイジ」の完結篇にしても、それから2015年の『龍三と七人の子分たち』も僕は「う~ん…」で、失礼ながらこの最新作もそんな期待はしていなかったし、公開が始まってからだいぶ時間が経ってちまたではもはや話題にもなっていませんが、とても面白く観られました

 

もう気持ちがいいぐらい景気よく首が飛ぶ「首狩り映画」だったw

 

リドリー・スコット監督の『ナポレオン』と続けて観ると、なかなか壮観だったりする。

 

よくYouTubeでアクション映画などの映像に「キルカウント」を付けて劇中で総勢何名殺されているか確認する遊びをやってますが、この映画でもそれしたら盛り上がりそうなぐらいに。

 

もう、その辺のスプラッター映画をはるかにしのぐ数の首が飛びまくるので。

 

全体的に人の死をブラックジョークっぽく茶化したノリで、三池崇史監督作品を彷彿とさせました。

 

三池監督のリメイク版『十三人の刺客』みたいに「生首サッカー」もありますお父さんランニング

 

「悪趣味なコント」と斬って捨ててる感想も見かけたけど、まさにその通りで、それを「面白い」と感じるか「つまらない」と感じるかでこの映画の評価は全然違ってくるでしょうね。

 

映画サイトでの評価も微妙なようだし、だから誰にでも楽しめる映画ではないのは確かです。

 

僕は、北野武監督の「コメディ」として奇跡的に成功している作品だと思いましたが。爆笑はしないけど、いちいち可笑しいというか。

 

これまで北野監督が撮った「コメディ映画」はことごとく失敗していたけど(って、観てない作品もあるが)、この映画はコメディなどとは一言も宣伝していないものの、観りゃわかるけど有名な戦国武将たちをコケにして笑いのめしていて、歴史好き、戦国時代、戦国武将好きたちにケンカを売るようなふざけ方をしている。

 

ある登場人物が終盤に「みんなアホか」と言うように、彼ら一人ひとりを歴史上の“偉人”のようにはまったく描いていない。

 

僕は戦国時代にも戦国武将にもほとんど興味がないので、彼らがどう描かれているかなんてどーでもよくって、NHKの大河ドラマも最近は観ていないけれど(単に帰宅が番組の放送時間に間に合わないだけだが)、世間で妙に戦国時代やら源平合戦などが持て囃されて人気があることに不信感さえ抱いていたりもするんで(実社会で大昔の武士の価値観そのまんまな人の多さにもうんざり)、そういう従来の時代劇、歴史ドラマ的なセオリーを無視して「サムライ」を脳筋バカの集団として描いた本作品に、なんとも言えない痛快さすら感じたのでした。

 

僕だって子どもの頃には「独眼竜政宗」を毎週楽しく観ていたし、大河ドラマにも別に抵抗なかったんだけど、いつまでも同じような話を繰り返すのはさすがにもういいんじゃないか?と思ってしまって。よく飽きないな、みんな。

 

この『首』は要するに最初に想像していたように「戦国版アウトレイジ」そのまんまだったわけで、だからそこで繰り広げられる領地の奪い合い、騙し合い、下克上には忠義やら武士道の美しさなどといったものはない。自分のことしか考えてない奴らが領民たちの存在などお構いなしにひたすら殺しまくり、その結果自分たちもどんどん死んでいく。

 

極端にカリカチュア化されているし、明らかにギャグとして描いてる部分も多いけれど、僕は戦国時代の武士なんてのはほんとにああいう連中だったんだろうと思う(全国の武家の子孫を敵にまわす暴言)。

 

実際の武士以外の「下々の者たち」が、彼らをフィクションの中で美化して自分たちの平凡だったり苛酷な生活の中での刺激として、憧れの英雄として求めたんだよな。

 

ちょうどヤクザ映画を楽しむ人たちがいるように。

 

ヤクザだって、彼らの仁義だの義侠心だのというのも、つまりは武士階級の看板文句の受け売りなわけだし。

 

この映画の中の武士たちを「アウトレイジ」シリーズのヤクザたちと同類として見ると、すごくわかりやすい。

 

いたずらに過去の歴史を美化して、暴力や殺戮を英雄的行為のように見做す者たちが目につく昨今、逆にこうやって徹底的にそういう愚行を笑いのめしてバカにしまくる映画は僕はとても意義があると思う。

 

『ナポレオン』も歴史考証の点で史実との違いを指摘、批判もされているようですが、もちろんこの『首』だってそれ以上に現実の歴史とは異なる展開も多いはずだし、それで構わないと思います。

 

これが歴史をそのまま正確に写し取った映画じゃないことぐらい、最初からわかるだろうから。

 

戦国時代という、今から何百年も前の時代を舞台にして「何を描いているのか」に注目すべきで。

 

タイトルになっているように、これは全篇“首”にまつわる物語で、ここでは「価値のある首」と「無価値な首」が選別されるし、“首”は金や地位をもたらす「お宝」なわけですね。

 

「人命の尊重」「人権」なんていう概念すらなくて、人の命など天下を取るという“偉業”に比べれば取るに足らないものとして扱われる。

 

そういう時代の人々の価値観をなんの疑問もなく受け入れて称賛したり共感できる人々が僕には理解できない。もし戦国時代の武士と出会ったら、多分まともに会話が成立しないと思う。

 

欧米人が、日本人は何かといえば奇声を上げて刀で斬りつけてきたりハラキリするような意味不明な頭のおかしい民族だと思っていたように、僕にはサムライの価値観、彼らの世界観はわからない。だから、そんな者たちに心酔するような輩に人の上に立ってほしくはない。

 

…前置きが長くなりましたが、では内容についての感想を書いていきますね。

 

当時の歴史を知ってればネタバレもへったくれもないんですが、一応映画のオチにも触れますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

この映画を観ていて、2013年の三谷幸喜監督の映画『清須会議』をちょっと連想したんです。

 

 

『清須会議』では、秀吉を大泉洋さんが演じてました。

 

最初に秀吉をたけしさんが演じると知って、どう考えても信長役の加瀬さんと年齢が釣り合わないから、もしかしたら、たけしさんは天下人になってからの秀吉を演じているのかな、などとも思ったんだけど、映画を観てみたら普通に加瀬さん演じる信長と一緒に出ていた。

 

 

 

いや、いくらなんでも秀吉がジジイ過ぎんだろ、と。

 

それこそ、あの役を大泉さんが演じてたらちょうどよかったんじゃないかとすら思えた。

 

ちょっと見たかったですけどね、大泉洋さんがあの明るくて屈託のない感じでめっちゃ腹黒い台詞を言うのとか。「殺したらどうですか」ってw

 

でも、徳川家康を演じる小林薫さんだって髭が白髪交じりだったし、あの家康像ももっとあとになってからの彼のはずだから、そこはもう史実など無視してやってるんですね。

 

出てほしい役者に出てもらってる、と。

 

で、あれはきっと、のちの太閤秀吉や将軍になってからの家康も混ぜてるんだろう、と勝手に思うことにした。

 

秀吉は絶対に自分で演じたかったんでしょうね、たけしさんは。

 

だって、あれって完全にかぶり物してピコピコハンマー持ってヴァラエティ番組に出てる時の「殿」だもの。コントのノリなんだよね。

 

15億かけた時代劇コント。超贅沢(笑)

 

だから、秀吉をたけしさんが演じるなら、家康役はヴェテラン俳優に頼まないと、ってことなんでしょう。

 

たけしさんがこれまで自ら演じてきた、寡黙だったり、ちょっとだけお茶目なヤクザ役というのはもうやり尽くされちゃった感があって僕は飽きているんですが、だからこそ、TVでよく見るたけしさんのおどけた姿を劇映画の中でこんなにうまく映し出したことに意外性があった。

 

この映画、ほんと、おじさんやおじいさんたちばっか出てて、主要キャストに若い俳優が一人もいない。そこんとこも強いこだわりを感じた。NHKへの当てつけっぽくもある。

 

浅野忠信さんや寺島進さんは『清須会議』にも出演してましたが、『首』では浅野さんが軍師・黒田官兵衛役で、『清須会議』では寺島さんが同じ役を演じていました。

 

今回、寺島さんは隠密の役で、彼の元部下だった芸人をチコちゃんの中の人が演じてます。

 

 

 

この曽呂利新左衛門が意外と活躍する。とてもおいしい役でしたね。

 

彼と知り合った百姓の出の茂助(中村獅童)が狂言回しというか、黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』でいうところの千秋実と藤原釜足のような役割を果たす。

 

あっという間に相棒にブッ○される津田寛治(左)

 

まぁ、たけしさんの映画だから彼の最期は酷いんですが^_^;

 

茂助が百姓上がりと言われる秀吉と並行して描かれることでこれは「成り上がり」についての物語にもなっているんだけど、彼は秀吉のようにはなれず、無残な姿で憧れであった秀吉の前に明智光秀の首とともに並べられる。

 

損壊して誰のものなのかよくわからなくなっている光秀の首は秀吉や弟の秀長たちにも気づかれず、秀吉は「俺が天下取れたらなぁ、首なんかどうだっていいんだよ!」とその首を蹴り飛ばす。

 

最高のラストショットでしたね。

 

結局のところ、誰のものであろうと、人の生首なんかにはなんの価値もない。ただの死体の一部でしかないので。

 

重要なのは天下を取ることだから。しかし、一体誰のための「天下取り」なのか。

 

これは、そういう男たちのマウンティング大会を滑稽に描いているということではリドリー・スコットの最近の映画と通じるものがあるし、たけしさんがどれぐらい意識しているのかは知らないけど(北野武さんご本人は必ずしも“反権力”の人ではないと思うから)、でもここではとにかく徹底的にサムライたちを浅薄愚劣に描くことで、結果的に権力者や強者たちへの痛烈な皮肉になっている。

 

また、女性たちが清々しいぐらいに描かれない。

 

以前、僕は感想の中で「北野武は女性が描けない」と述べたんですが、『首』では主要登場人物の中に女性はいないし、婚姻だとか恋愛どころか、性の対象としてすら扱われない。綺麗な「おねえちゃん」が一人も出てこない。

 

いや、綺麗な女性たちは映画の冒頭で全員「首チョンパ」されるんで。

 

だって、劇中で「醜女(しこめ)好き」と言われる家康の床の相手をするのが柴田理恵さんですからね。もう、わざとやってるとしか。どーする家康w

 

 

 

むしろ、この映画は男性同士の同性愛の方を描いていて、信長と光秀、それから遠藤憲一さん演じる村重が三角関係になってるとか、その光秀の前で信長が森蘭丸(寛一郎)と合体して蘭丸が喘ぐとか、俺は一体何を見せられているのだろう、と(;^_^A

 

西島秀俊さんと遠藤憲一さんのカラみもありますよー(^o^)

 

人によってはものすごいご褒美でしょうが。

 

ふんどし姿のマッチョも大量に出てくるし。

 

北野武監督って初期の作品の頃から男性同士のベッドシーンを描いていたけれど、同性愛についてどれぐらい真面目に考えてるのかよくわからないんですよね。面白がってるフシもあるので。ただ、興味はあるのだろうと思う。

 

今回は、その男性同士の同性愛が題材とも重なっていて、ちゃんと意味を持たせているし。

 

女性を排除した男同士のホモソーシャルな世界──それこそサムライやヤクザだとかの「男が男に惚れる」ような、そこから同性愛に繋がる部分というのもあるのだろうし、つまりは時には臥所(ふしど)をともにしながら、互いに裏切ったり、復縁したり、嫉妬したり殺し合ったりする──そういう幼稚な男たちのワチャワチャとして戦国の世の中を描いている。

 

僕は最初は、この映画では織田信長を異常なまでの凶暴なバカ殿として描くことで権力者を批判するつもりなのかと思っていたんだけれど、観ているうちに意外と信長を真の悪のようには描いていないな、と感じたんですね。

 

能楽を鑑賞しながら真剣な表情を見せて呟く場面など、この映画で信長は死に魅せられた、もしくは生き続けることに苦痛を感じているような雰囲気があって、それって北野武さん自身でしょう。

 

秀吉役で道化を演じる一方で、北野監督は信長にも自分を投影させている。

 

加瀬さんの、青筋立ててがなってばかりの演技は『アウトレイジ ビヨンド』の時と同じでちょっと単調にも思えたし、相変わらずナゴヤ弁にはイライラさせられるんだけど(頑張って方言覚えて喋ってるのはわかるんだけど、信長があんなに訛ってるなら秀吉はもっとだったはずだし、そもそも戦国武将があんな最近の名古屋の道端にいそうな奴の喋り方してたのか?とも思うし)、北野監督はけっしてここでの信長をただのイキったバカ殿だけで終わらせていないんですよね。

 

信長に仕える弥助役をNHKの朝ドラのあとの番組「あさイチ」でもおなじみの副島淳さんが演じてるけど、以前、民放のヴァラエティ番組かなんかでおそらく初めて副島さんを見たたけしさんがウケてて、その時の出会いがきっかけの配役なんでしょうかね。

 

「暗闇のゾマホン」のネタもそうだったように、たけしさんの人種ネタ、特に黒人イジりは現在の人権感覚だと完全にアウトなんだけど、そうやってアフリカ系の人の外見を面白がるのって(今回のホーキング青山の起用のように、黒人に限らず外見に特徴のある人に興味があるのかもしれないが)信長が黒人に興味を示して弥助を自分の家来にしたのと同じようなところがあって、それはたけしさんが信長を意識してのことなのか、たまたまなのか知らないけど、その無邪気さがよく似てる気がする。

 

だから、たけしさんも信長にどこかで共鳴してるところがあるのかも。

 

「弥助の肌の黒くないところはどこか」という質問の場面のように、無邪気だからこそ始末が悪かったりもするし、あの場面は別に可笑しくもないんだけど、でも本能寺の変の時に弥助に「この黄色いクズ野郎!」と罵らせて信長の首を刎ねさせることでこの件はしっかりオチていて、僕は北野武さんが自分自身の中にある時代錯誤な無意識の差別さえもちゃんと客観的に見て笑いにしているとこなんか、なかなか面白かったんですよね。

 

信長という狂えるカリスマと、やがては天下人となる秀吉という、どちらも北野武という人の中に共通して存在するものを持った歴史上の英傑たち(出番は彼らよりもはるかに少ないが、小林さん演じる家康もまた、たけしさんの分身なんだろう)を描いたこの物語は、日本の男社会の縮図でもあり、「北野武」についての映画でもあるし、あるいは日本の「お笑い」の世界のメタファーとして見ることもできるでしょう。

 

 

 

家康を訪ねたあとで、秀吉が秀長と官兵衛に「なんで俺が家康の草履持ちなんかやんなきゃいけないんだ!」みたいにキレる場面は明らかに即興で、早々にアドリブ演技を放棄して「いやいや…」と繰り返しながら頭を下げたまま動かなくなる浅野忠信、「それは言い過ぎだぞ、兄者」とか言いながらも、そのあとどう続けていいのかわからず困っている大森南朋など、あれは劇中のシチュエーションや台詞の可笑しさとかじゃなくて、俳優がマジでどうしたらいいのかわかんなくて変な間になってるショットを使っているのが、まさしく「オレたちひょうきん族」のコントのようでもあり個人的にツボでした。

 

だから「悪趣味なコント」というのは僕は貶し文句ではなくて褒め言葉としてこの映画に向けて堂々と贈りたい。

 

 

 

面白かったです、殿!


 

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