北野武監督・主演、西田敏行、塩見三省、ピエール瀧、大森南朋、白竜、松重豊、大杉漣、中村育二、津田寛治、岸部一徳、金田時男出演の『アウトレイジ 最終章』。R15+。
刑事を殺して韓国の済州島に渡った大友(ビートたけし)は、彼に目をかけてくれた張会長(金田時男)の下で歓楽街を仕切っていたが、そこで客としてサーヴィスを受けていた花菱会の幹部、花田(ピエール瀧)が揉め事を起こす。一方日本では、花菱に新しく会長として就任したばかりの野村(大杉漣)と古参の若頭、西野(西田敏行)との折り合いが悪く、野村は花田と張グループとのいざこざを利用して西野を陥れようとする。
「アウトレイジ」シリーズ第3弾にして完結篇。
一作目の『アウトレイジ』は2010年公開だから、もう7年も前なんですね。前作『アウトレイジ ビヨンド』からもすでに5年経ってる。
僕は特に北野武監督の映画のファンというわけではないんですが、これまでこのシリーズは結構好きで、だから『最終章』も楽しみにしていました。
一見すると以前の北野武のヤクザ映画と変わりないようでいながらも、情緒や美学よりもひたすらヤクザ同士の潰し合い、頂上合戦に焦点を絞ることで完全なる娯楽映画に仕立ててあった。
僕はそこに従来の北野映画とは違った面白さを感じていたのです。
ただまぁ、早速結論から言うと、そのような娯楽映画的な面白さを僕はこのシリーズ完結作にはあまり感じませんでした。
だから、前作『ビヨンド』の時みたいに好意的ではなくわりと批判的に書くかもしれません。
この映画がお好きなかたはあまりいい気分がしないでしょうから、ご了承のほどを。
ラストについても述べますので、これからご覧になるかたはご注意ください。
さて、「批判的」などと言いましたが、その前にこの映画の“魅力”については、ライムスター宇多丸さんの批評を聴かれると、いろいろ得心するところがあるんじゃないでしょうか。
この映画が何について描いているのか、非常に的確に解説されています。
インタヴューの中で北野監督自らがこのシリーズでの暴力団を「会社」の比喩として説明していますが、ほんと、これも監督が仰っているように今の政界なんてここで描かれてるヤクザたちの裏切り合いそのものだもんね。
いかに現在の政治が仁義もへったくれもないクズの吹き溜まりみたいな様相を呈しているのかがうかがえますが。
また、宇多丸さんやすでにさまざまな人たちが指摘しているように、北野監督の『ソナチネ』を思わせる雰囲気やそのまんまなシーンもある。
だからかつての「北野映画」のファンの人にとっては、自分が好きだった北野武の世界が戻ってきた、という感慨があったかもしれません。
ただし、『ソナチネ』をはじめ以前の北野映画にも「キタノ・ブルー」にもたいして思い入れがないような、そしてこれまでのフィルモグラフィで唯一のシリーズ物である「アウトレイジ」の前作、前々作みたいな単純明快な娯楽作品を期待していた僕には、そういう感慨も感動も特になかった。
むしろ、「えぇ?またああいう映画になるの?」というガッカリ感の方が勝ってしまったのでした。
『ソナチネ』は北野映画の中でも評価の高い作品ですが、正直僕はあまり印象に残ってないんですよね。
渡辺哲がエレヴェーターの中で銃で手を粉砕されるシーンがマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』の丸パクリだったことぐらいしか覚えていない。
それと主人公がピストルで自分のこめかみを撃ち抜くシーンは、先ほども書いたけど今回ラストが敢えて似たように撮られている。
北野武(≒ビートたけし)という人はもう20年以上も前から「疲れて」いて、かつてはずっと自殺を望むような映画を作っていたんだけど、さすがにもういいだろ、と思うんですよ僕は。
だからせっかくそういう自己愛的な作風から差別化したシリーズをまたしても主人公の自殺で終わらせる作劇にはかなりガッカリした。
このシリーズはたけしさん演じる大友が生き残り続けるのがよかったんじゃないか。なんでまた自殺させるかね。
この人が疲れているのは一度お笑いの世界で頂点に立ってしまったからで、映画の世界でも成功したから、もう欲しい物がないんじゃないかな。
だからまたぞろ自殺を望んでるような映画を撮ったんじゃないかと。
これ以上続篇を作らされずに済むように、主人公を殺したのかもしれませんが。
この『最終章』では以前ほどに「自分」を強く込めてはいないように感じるけれど。
そもそもこの映画で大友が死に急いでる理由がよくわかんない。
これまでの作品の自己模倣にも思えてしまって。
面白いのが、そうやってたけしさんは「俺はもういいよ」とか「疲れちゃった」とか言って自分は競争から降りたような口ぶりをしてるくせに、お笑い界の勢力図とか映画界の情勢みたいなのには実は興味があって、今誰が一番売れてて発言力を持ってるのかとか、そういうことはしっかりチェックしているんですよね。
まるでこの映画に出てくる張(チャン)会長みたいに孤高で超然としているようでいながら、時々しっかり自分の力を誇示してみせもする。
ほんとに権力争いに興味がまったくない人は、「アウトレイジ」シリーズみたいな映画は撮らないでしょう。
たとえば、『最終章』にはお笑いグループ、ネプチューンの原田泰造がほんとに出番がわずかな鉄砲玉の一人として出演してるんだけど、おそらく通常の邦画であれば泰造さんはもっと大きな役を振られるはず。そういうセオリーを無視してるんですね。
あまりに小さな役なので、最初ソックリさんかと思ったほど
わざわざこんな端役で彼を使うところにも、お笑い界のボス「殿」の采配、俺の考え一つでお前らぐらい自由に動かせるんだ、というビートたけしの自己顕示を嗅ぎ取らずにはいられない。
僕はそういう“ビートたけし≒北野武”というお笑い界の重鎮で映画作家としても世界中でリスペクトされている人のどこか歪んだパーソナリティには興味をそそられます。
北野監督がこれまでずっとヤクザを題材にしてきて、この「アウトレイジ」シリーズでは彼らのサル山でのボスの座の奪い合いを延々描き続けたのも、みんな芸能界での自分自身やその周辺の反映なんではないだろうか。
具体的に誰かをモデルにしているということはないかもしれないけれど、さまざまなタイプのヤクザたちには現実にいそうな人間を当てはめることができるし、そういうふうに観れば、これまで興味を持てなかったヤクザ同士のてっぺん争いにも何か意味付けをすることができなくはない。
ただし、それでも今回の映画は僕には結構退屈でした。そのことは残念ながら否定できない。
やはり、斬新でスカッとする殺しの場面があまりなかったり、銃撃シーンがパターン化されてきた感もあって物語としてもカタルシスに大いに欠けたから。
最終章ということで、新たに登場したキャラクターも含めてシリーズにずっと出続けてきた登場人物たちが一人、また一人と始末されていく。まるで店じまいセールみたいに。
前作『ビヨンド』に引き続き出番の多い西田敏行のがなり声はやっぱり僕は映画の中のヤクザとしては怖くはないんだけど、ただ今回西野はただがなってるだけじゃなくて老獪なところを見せる。そこは西田さんだからこその演技の妙があって、他の人では代わりは演じられなかったと思いました。
やはり『ビヨンド』から続投組の塩見三省さんは、大病をされたあとでの4年ぶりの映画出演ということで声にも張りがなく、なんとなく痛々しい感じがしてしまったんですが、外見の弱々しさと役柄のギャップが逆に効果を上げていたかもしれない。
西田敏行さんもそうだけど、この映画ではヤクザのお偉いさんを演じてるのが実際には病人ばっかなので(前作で花菱の会長を演じた神山繁さんはお亡くなりになったし)、悪い奴らのはずなのに観ていてなんだか労わりたくなってくる^_^;
それにしても、これも『ビヨンド』で散々文句言ったことだけど、このシリーズは関西弁に対するこだわりが一切ないですよね。
関西の花菱会の面子のほとんどが関西出身じゃないので(塩見三省と岸部一徳は京都出身だが)、関西弁がまったく板についてないのだ。
特にピエール瀧の喋るインチキ関西弁はマジで酷くて、一体これはいつの時代の映画なのか、と。方言指導の人いなかったのか?
お馴染みのだらしない腹を今回も晒す悪オラフ
北野武ならば実力のある関西出身の俳優をキャスティングすることは可能なはずだから、なんでわざわざ非関西人に付け焼刃のコテコテの関西弁を喋らせるのかさっぱりわからないんですよ。そういうの映画のリアリティを削ぐだけだから。
花菱というのは悪役なわけで、その悪役が軒並み“なんちゃって関西弁”ではちっとも迫力がないし怖くもない。前作同様、その辺の雑な処理がとても気になった。
花菱の若頭補佐で会長の味方のように振る舞いながら、いざとなるとしれっと裏切る岸部一徳がなかなかよかったけど、何よりも岸部さんのまぶたと涙袋の膨らみが以前よりも肥大していて、なんか別の星の人みたいな顔になっていた。大丈夫なんでしょうか、健康上の理由とかだったりしませんかね。
前作ではかつて大友が末端の組にいた山王会の会長や幹部たちが次々と葬られていったけど、今回はその山王会と敵対していた花菱会が潰されていく。
要するにこのシリーズではヤクザたちの抗争によって暴力団が毎回順番に壊滅していくわけで、僕はそこに痛快さを覚えたし楽しんでもきたのです。
だからこの完結篇もまたそうやって内輪揉めや下克上、複数の組同士の全面戦争でみんなが殺し合って最後は全滅でもすればスッキリしたんだろうけど、そうじゃなかったんですよね。
大友は、任されていた済州島の店で狼藉を働いたうえ恩義のある張会長のグループとの間に問題を起こした花田や、前作で自分と和解して兄弟分のようになった木村(中野英雄)を殺した者たち、花菱会の組員の出所祝いの席にいた者たちを市川(大森南朋)と一緒に撃ち殺したぐらいで、祝いの席やその前のシーンでも殺すチャンスはいくらでもあったのに肝腎の花菱のボス・西野は生かしたままにしておく。西野はこれまでに何度も大友の命を狙ったにもかかわらず。彼は最後まで死ぬことはない。
だからこの映画のラストには、『ビヨンド』で二つの組の間を蝙蝠のように行き来して両者の共倒れを狙った刑事の片岡(小日向文世)を最後に撃ち殺した時のような「ざまぁ(`∀´)」感はない。観客の溜飲は下がらない。
今回のトラブルのきっかけを作ったピエール瀧演じる花田は最初から小物であることがわかっているので、そんな奴を殺したところで巨悪を倒したというカタルシスは皆無だし。
SMプレイ用のギャグボールの代わりに爆薬をくわえさせて爆殺するのは『ロボコップ』の1シーンみたいで面白かったけど。ピエールは『凶悪』では他人をぶっこんでたのが、この映画では自分がぶっこまれていた。
大友は白竜演じる李に「けじめは自分でつけます」とか言ってるけど、最後に西野と相討ちにでもなるならともかく勝手に自分で死んでる場合じゃないだろ、と。
前2作までは殺し合いを描きながらもそれはまるでブラックなコントのようでもあったのが、今回はなんだかしんみりした雰囲気もあって、妙に抜けが悪いというか、これまでにはなかった湿っぽさがあるからスッキリしないんですよね。
「『アウトレイジ』っぽくない」という感想も散見しますが、僕もそう思う。
男同士の絆とか哀愁とか、個人的にはそういうのこのシリーズに求めてないんで。
北野武は多くの内外のヴァイオレンス映画やノワール物に多大な影響を与えたということでは映画史的にはとても重要な監督だし、僕だって一観客としていろいろと刺激を受けてもきましたが、でもこの最新作がかつての北野映画に近いから素晴らしい、と評価されるのなら、僕はそれにはちょっと同意できないですね。
つくづく前作で完結してくれてればよかったのに、と思った。
やっぱりほんとに悪い奴が最後にぶっ殺されるのが楽しいんで、疲れて滅びゆく男の美学に酔うような方向に流れると関心がなくなる。
いわゆる香港ノワールとか犯罪モノといったジャンルに僕がいまいち興味が持てないのは、観てるうちに主人公とか登場人物たちの殺し合いや命を巡るやりとりがどーでもよく感じられてきてしまうから。飽きるんです。延々男たちがマウンティングし合ってるだけだから。
そういう人間同士の我の張り合い、誰が一番強いのか、最後まで生き残るのは誰だ、というサヴァイヴァルの世界に興味ある人には通して観ると面白いシリーズだと思う。
僕はリアルな極道の世界を知らないのでずっと素朴な疑問なんですが、この映画では誰もが会長になった途端に偉そうにふんぞり返って子分たちに怒鳴り散らすんだけど、『ビヨンド』では引退することになった(実質、幹部たちや傘下の組の反乱で引きずり降ろされたのだが)三浦友和演じる加藤が会長を辞めた直後に光石研演じる幹部に「どこに座ってんだ、この野郎!」と怒鳴られていたように、先ほども言ったけどサル山のボスザルがボスの座を奪われたあとは以前とは違ってサルたちから追われるように、トップから降りたらおしまいなんですよね。
『シン・ゴジラ』の首相から暴力団の会長へ転職した大杉漣
だったら引退後のことを考えて、周囲にもうちょっと穏やかに接するとかしないんだろうか、と。
ヤクザなんだからボスはいつも怒鳴ってなきゃいけないのか。
バカの一つ覚えみたいに「誰がこの組を大きくしたと思ってんだ!」と怒鳴ってるけど、自分でそういうこと言っちゃってる時点でダメじゃん、と。
常に自分の強さをまわりに示し続けないといけなくて、でもその座から退いたら誰からも尊重されず、ヘタすりゃ殺される。なんて割に合わない商売なんだろう、って。
それとも組織のトップになる人間ってのは、みんなあんなふうに人間として腐ってる奴らばかり、ということだろうか。
この映画では、ある意味理想の極道のトップの姿というか、日本のヤクザたちの抗争がヤンキーの喧嘩程度に思えるほどの別格な存在として韓国のフィクサー、張会長が登場する。
彼だけは日本のヤクザからの挑発にも乗らず、花田の件で3000万円持って詫びを入れにきた花菱の若頭補佐の中田に「ナメてんのか、この野郎!」と凄む。
1億や2億の金のことであれこれやってる花菱の連中に対して、40億で物件を売る売らないみたいな巨大ビジネスの話をしていて、まるで次元が違う。
常に大友のことを気にかけていて、義理堅い人物でもあるようだ。
演じている金田時男氏は俳優ではなくて実際にその筋の人のようだし、この映画でもっともキャラが立ってたのは間違いなくこの人でしょう。
だからホンモノとまがい物の違いを見せつけられた、という刺激はあった。
ただまぁ、この張会長があまりにも超然としてるもんだから(目の前で部下が殺されても微動だにしないし)、なおさら花菱会の内部抗争がバカバカしく感じられてしまって。
それに、大友は片岡刑事殺害の容疑で片岡の部下だった繁田(松重豊)によって警察に連行されるのだが、張グループは警察上層部と繋がっているためにすぐに釈放されて、その時、悔しげな繁田を大友が「上に命令されたらおとなしく釈放すんのか」と嘲笑ったのが腑に落ちなかった。
だって、大友自身がそういう「上」の存在である張会長に守られてるわけだし、あんたには刑事を笑う資格ないだろ、と。
張会長に守られながら暴れる大友はズルいんじゃないだろうか。
張会長というキャラクターが大友(≒ビートたけし)にとっての理想のボス像なんだったら、やっぱり僕はたけしさんの価値観を支持できないなぁ。
ああいう雲の上にいるような(しかし裏ではどんなに恐ろしいことをやってるのかわからない)人物の手のひらで暴れてて何が嬉しいんだろう、と思う。
僕は、この映画では松重豊演じる繁田刑事が一番好きなんですよね。感情移入しやすいキャラだから。
でもこの繁田も上司に辞表を出してからよくわかんないまま映画が終わってたんで、そこは最後に大友と対峙させてほしかったなぁ。
この映画では、松重さんの台詞廻しがもっともリアルに感じられたし、李役の白竜さんもそうだけど、脇の彼らの演技の巧さに作品が支えられていたと思います。
逆に大友と市川のコンビにはさほど思い入れを込められず。
彼らの描写こそが従来の「北野映画」っぽかったんだろうけど、この二人の行動原理は僕のようなその辺の一般人には理解できない。
済州島で花田に殺された仲間の印象がまったくないので(生前の描写があったかどうかも失念)、その仇討ちのため、という動機にまったくノれないんです。
こっちとしては、黒幕の花菱の奴らをとっとと全員血祭りにあげてくれよ、と思うんだけど、なぜか大友は西野を殺さないし。
今回の大友の行動にはどうもフラストレーションが溜まってしまった。
大友は「俺だって考えてるんだよ!」と言いながら銃を撃つんだけど、彼が一体何を考えていたのか僕にはわからなかった。そんな疑問なんて前2作では感じなかったのに。
主人公が最後に死んだから今度こそ完結でしょうが、僕はこの終わり方には納得いかなかったですね。なんかすごく尻切れトンボな結末だった。
毎度のように出番の少ない女性たちが今回はただ痛めつけられるだけだったのも、極道の世界はそういうものなのかもしれないし(怪我を負わせられた女性たちのことを「キズモノ」と表現するところもなかなかクズいですね)、男だけの世界の話だからしかたないのかもしれませんが、僕はやっぱり北野武は女性を描けない人なんだろうと思います。
描けないなら極力出さない、というのはそれはそれで潔い判断かもしれない。
関西人のイメージもそうだけど、たけしさんの女性観は80年代ぐらいで止まっているので、女性が出てくるとその描写にいつも時代錯誤な印象を受ける。
人はなかなか変われないものですよね。
次は純愛モノを撮るんだそうですが、果たして北野武が描く「恋愛」ってどうなんだろう。『あの夏、いちばん静かな海。』とか『Dolls』あたりを観ても僕は北野監督の描く女性像にまったく魅力を感じないので、ちょっとそちらは観るかどうかわかりません。
※大杉漣さんのご冥福をお祈りいたします。18.2.21
※西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします。24.10.17
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