監督:ポール・ブリッグズ、ディーン・ウェリンズ、ドン・ホール、カルロス・ロペス・エストラーダ、ジョン・リパ、声の出演:ケリー・マリー・トラン、オークワフィナ、ジェンマ・チャン、ダニエル・デイ・キム、アイザック・ワン、ベネディクト・ウォン、サンドラ・オー、タライア・トラン、アラン・テュディックほかのディズニーのアニメーション映画『ラーヤと龍の王国』。

 

音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。

 

日本語吹替版の声の出演:吉川愛、高乃麗、伊藤静、森川智之、深見梨加、斎藤汰鷹、後藤光祐ほか。

 

 

はるか昔、龍が棲む人間たちの国クマンドラに心を持たない魔物“ドルーン”が現われて人々を石像に変える。龍たちの力でドルーンの侵攻は食い止められたが、クマンドラは5つに分裂した。それから500年後、ハート国の長ベンジャは残された「龍の石」を守りながらクマンドラが再び一つになることを願って、他の4つの国の長たちをハートに招く。しかし、龍の石は奪われそうになり落ちて砕けてしまう。その破片は持ち去られて、石の力で封じられていたドルーンの復活で大勢の人々が石像と化した。6年の歳月が経ち、ベンジャの娘ラーヤは仲良しの動物トゥクトゥクとともに龍の石のかけらを集める旅を続けていた。

 

2019年の『アナと雪の女王2』以来のディズニーの最新アニメ。

 

 

コロナ禍による完成の遅れ、もしくは公開延期だったのかもしれませんが、ともかく久しぶりに映画館でディズニーアニメが観られたのは嬉しかったです。

 

去年は90年代のディズニーアニメ『ムーラン』の実写化映画とピクサーの『ソウルフル・ワールド』の劇場公開が中止になって両方ともインターネットの動画配信のみでしたが(僕はディズニープラスに加入していないので、どちらも未視聴)、この『ラーヤ』は劇場公開と動画配信が同時に行なわれていて、ただし、ネットでの同時期の配信が理由で大手のシネコンの多くで上映されず、おかげで僕が住む地域では近場でやってるのはわずか1館のみ。それも日本語吹替版だけで字幕版は無し。

 

てっきり日本の某人気アニメの大幅な上映回数の増加のあおりを食らったんだとばかり思っていたんですが、そうではなかったようで。

 

ディズニーアニメ映画の吹替版のクオリティは毎回高いのでその点はまったく心配してなかったんだけど、オリジナル言語版では『フェアウェル』のオークワフィナが声の出演をしているということだったし、主人公のラーヤの声は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』でぶっ叩かれまくったケリー・マリー・トランだし、他にもジェンマ・チャンやダニエル・デイ・キム、ベネディクト・ウォン、サンドラ・オーなどあちらの映画やTVドラマなどで活躍中のアジア系の俳優さんたちが大勢参加しているので、ぜひ字幕版も観たかったんですよね。

 

 

 

まぁ、この上映館の少なさでは吹替版ばかりになってしまうのもしかたなかったかもしれないし、限られた館数とはいえ、なんとか映画館で上映してくれただけでもありがたい、とは思うものの…なんでしょうね、ディズニーはこれからは劇場公開よりもネット配信の方を優先していく、ってことでしょうか。

 

「マンダロリアン」や「ワンダヴィジョン」などもそうだけど、DVDにさえならないコンテンツ(『ムーラン』や『ソウルフル・ワールド』がどういう扱いになるのかは知りませんが)がどんどん増えていって、ディズニープラスに加入していない人間は最初からはじかれて作品を観ることすらできなくなっていく気配が濃厚で、個人的には非常に不快なんですが。

 

ディズニーがそのつもりなら、こちらも距離を置かせていただきますので。映画館でもDVDでも観られないのなら、それ以上無理して観ようとは思わない。

 

とりあえず、今回はかろうじて観られたので感想を述べていきます。ネタバレがありますから、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

まずは同時上映の短篇『あの頃をもう一度』。

 

 

ある老夫婦。夫はかつては妻と軽やかにダンスを踊っていたが、年老いて身体の自由もきかなくなったためか、妻からのダンスの誘いにも応じずにソファに座ったまま苦虫を噛み潰したようなしかめっ面をしている。それがベランダに出て雨に濡れた途端に若返って、同じく若くなった妻と踊る。ところが、雨があがると彼らはもとのように老いた姿に戻る。再びふさぎ込む夫だったが、ベンチで寂しそうに座っている妻の姿を見て、ゆっくりした動きで妻の手をとる。夫婦はともに生きてきた歳月が染み込んだ彼らの現在の姿で、今の速度で笑顔で踊るのだった。

 

これまでのディズニーの短篇アニメって、若い男が意中の女性とめぐり逢って…みたいな話が多くて正直なところ食傷気味だったんですが、この作品ではそういうありきたりのルーティンを破って老夫婦(若くはないけど、年寄り扱いするのはちょっと失礼かな、と思わせるぐらいの世代)のありのままの自分たちを肯定するお話になってて好感が持てたし、これまで観た短篇の中でもかなり好きですね。

 

妻の表情や身体の動きがほんとにあれぐらいの年齢の女性を思わせて、可愛いらしいし、いたわりたくもなる。

 

若い頃のいい想い出がたくさんある人ほど、過去と年老いて変化した現在の自分とのギャップに苦しむものなのだろうか。昔も今も楽しんで生きている人だって大勢いらっしゃるでしょうけど。

 

過去は過去として懐かしみながらも、今の自分だって受け入れて、やれることの中で喜びを見出していけたらいいな、と思います。若くて元気だった頃と同じである必要はない。

 

老夫婦を白人と黒人のカップルにしているところにメッセージ性を感じるし、肉体的な接触や密接さがはばかられるコロナ禍の現在だからこそ、抱きしめ合ったりともに踊ることの大切さもより伝わる。

 

 

さて、『ラーヤ』ですが。

 

ちなみに、これはミュージカルではありません。主人公のラーヤをはじめ登場キャラクターの誰も唄いも踊りもしない。

 

ミュージカルではないディズニー長篇アニメって、2018年公開の『シュガー・ラッシュ:オンライン』以来だけど、ただ『シュガーラッシュ2』ではヒロインのヴァネロペが唄って踊るシーンがあったし、その前の2016年の『ズートピア』でも劇中で歌手のガゼルが唄ったり、ラストでは彼女の歌に合わせて登場キャラたちが踊っていた。

 

だから、まったく歌もダンスもない作品というのは、2014年の『ベイマックス』以来かも(『ベイマックス』で歌やダンスシーンがあったかどうか、もう覚えてないけど)。

 

いろんな意見があるでしょうが、せっかくならミュージカルだったらよかったのにな。

 

ミュージカルだとお話の方に少々無理があってもノリで突っ走れる、というのもあると思うし。唄ったり踊ることそのもので心を動かされるから。

 

気になったのは、「監督」として表記されてる人が5人ぐらいいること。

 

劇場パンフレットは買ってないし、制作の裏側も知らないんでどんな紆余曲折があったのかわかりませんが、完成した作品は当初の構想からはだいぶ変わっているようだし、勝手な憶測だけど、映画が出来上がるまでにずいぶんと迷走したんじゃなかろうか。

 

僕はこの映画をまだ一度きりしか観てないし、これまでも、たとえば『ベイマックス』や『モアナと伝説の海』などで辛めの感想を書いておいて二度目の鑑賞後にそれらを覆した前科があるから自分の評価を信用していないんですが(今のところ『ラーヤ』の二回目を観る予定もないし)、ともかく初見での印象を述べておくと、最初にお話が始まる前にラーヤ自身のナレーションでこれから物語の舞台となる世界の設定やこれまでのいきさつが延々と語られてるところから、なんとなく違和感が。

 

異世界ファンタジーのロールプレイング・ゲームみたいで、やたらと用語だらけで込み入っててわかりづらいし、何よりも描写じゃなくて全部言葉で説明するのがなんとももどかしい。

 

なんだろう、ディズニーアニメというよりも“ディズニーっぽいパチモン作品”みたいな雰囲気があって、猿たちを引き連れた“赤ちゃん詐欺師”の場面とか、ディズニーとは異質なノリを感じたんですよね。ギャグもスベってるような…。

 

 

 

 

 

心を持たない魔物(最後までその正体は不明)に世界が脅かされていたり、格闘技を駆使して闘うお姫様というラーヤのキャラクター、龍など、どこかジブリアニメ(『ナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋』『ゲド戦記』等)を思わせるし、しかも宮崎駿監督じゃなくて息子の宮崎吾朗監督のテイストを濃厚に感じる。

 

 

 

そういえば、1月にNHKで放送された宮崎吾朗監督の『アーヤと魔女』が4月に劇場公開されるそうですが(※追記:その後、劇場公開は延期された模様)、こちらも不思議な公開のしかただよな。

 

いや、別にディズニーアニメがジブリからいろいろいただいてきたって構わないと思うけど、これまで僕が観てきたディズニー長篇アニメの「安定感」があまりなくて、まるでTVアニメのダイジェスト版でも観ているような慌ただしさがあった。

 

旅の途中でラーヤが龍やさまざまな人々に出会って仲間になっていくその過程が、ずいぶんと端折られ気味な印象を受ける。

 

 

 

それこそ「未来少年コナン」のように、これは何話かのエピソードに分けてTVアニメとして描くべき題材じゃないだろうか。

 

仲間が一人ずつラーヤと出会って“パーティ”に加わるのをいちいち描くんだけど、そこはキャラの人数を絞るとか、もともと仲間同士だったってことにするとかできなかったのかな。

 

これはシナリオに難があるのではないか。

 

30分番組で全26話ある「コナン」を2時間弱に強引にまとめたら作品としては成り立たないように、旅の仲間たちの紹介があまりに駆け足なので、一人ひとりのキャラクターたちに思い入れを込められないんですよね。

 

アルマジロとカタツムリとダンゴムシが合体したような動物トゥクトゥクも、後半になるにつれて存在感が薄れてしまうし。

 

伝説の龍の生き残りであるシスーが泳ぎが得意だという設定も、もう少し物語に絡ませてほしかったし、水の映像表現ももっと見せてほしかった。

 

それと、映画が始まってわりと間もなく「信じ合う心を持とう」というメッセージがダイレクトに提示されて、それがそのまま特になんの捻りもなく貫かれるものだから、すごく説教臭く感じてしまった。低年齢層向けの教育アニメみたい。

 

アナと雪の女王』にしても『ズートピア』にしてもメッセージ性はあるけれど、どちらの作品もメッセージが前に出てくるというよりは、ストーリーの面白さだったりキャラクターたちのギャグとか彼らのやりとりで楽しませてくれたでしょう。

 

だけど、この『ラーヤ』ではラーヤと敵対するナマーリ、あるいはともに旅をすることになる龍のシスーとの関係や「信頼」をめぐる物語があまりにわかりやす過ぎて途中で飽きてきちゃって。

 

 

 

 

かつて自分たちを裏切ったナマーリへのラーヤの不信感が原因でシスーが胸を矢で射られて海に没するくだりも、シスーがそれで死んでしまうことはないだろう、と予想がついてしまうし。

 

何かすべての展開が予定調和のように感じられてしまったんです。

 

ナマーリと彼女の母の「裏切り」はどう考えたって「悪」なんだから、それが断罪されることなくうやむやにされたままなのもモヤッとするし。

 

触れると石像になってしまう魔物、バラバラになって争い合っている国々。

 

コロナ禍の現在、この映画で描かれていることやここで発せられているメッセージはとてもタイムリーだし、共感するものではあるんですが、最初から「正しいこと」を教えようとする、結論ありきのような教訓話はあまり心に響かない。

 

この映画が言ってることって、ちょうどアメコミヒーロー映画『ワンダーウーマン 1984』とほぼ同じなんですが、『ワンダーウーマン 1984』の方は僕は大好きなんです。

 

あの映画もラストが「説教臭い」と感じたかたがたもいらっしゃるようだけど、でも多くの観客はああいう結末になるとは予想できなかったでしょう。

 

世界を支配しようとする悪役をやっつける勧善懲悪の物語だと思って観ていたら、意表を突かれる展開だったじゃないですか。予定調和じゃなくて、「えっ、そうきたか」というのを見たいんですよ。

 

自己犠牲や信じることの大切さとか、それはわかるんだけど、シスーはラーヤと出会った時からクドいぐらいそのことを言い続けているから、物語が始まる前からもう答えが出ちゃってるんですよね。

 

「物語」としては、それは巧くないと思う。

 

唯一、「ディズニーっぽさ」を強く感じたのはシスーのキャラクターで、彼女や彼女の兄弟たちの角は一角獣のようだし、また『ネバーエンディング・ストーリー』の“幸運のドラゴン”ファルコンっぽくもあって、デザインもキュートでお喋りなシスーはとても魅力的でした。

 

 

 

大昔が舞台にもかかわらず、泥パックのことを話したり時代や設定を無視したメタ的な台詞を言うところは『アラジン』のジーニーみたいでいかにもディズニーアニメだった。

 

ちょっと昔だったらシスーの声はウーピー・ゴールドバーグとかが演じてそう(^o^)

 

人間になった時のシスーの顔が、声を演じてるオークワフィナそっくりで笑うw まんま過ぎでしょ。

 

ニカァっと笑った時の表情はもっとオークワフィナに似てる

 

さすがにディズニーのアニメーションだから映像のクオリティはけっして低くはないし(劇中で時々映し出される手描き風の絵柄でもこのアニメを観てみたい)、ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽もよかったし、これまでディズニーアニメでは採り上げられることがなかった東南アジアの文化や人々をもとにした作品が生まれたことは僕も歓迎です。

 

ディズニープリンセスの中に今後はラーヤも加わることになったのは、ディズニーの描く世界により“多様性”をもたらすことにも繋がるのだし。

 

アジア系(無論、僕たち日本人も含まれる)の人々が差別され傷つけられ無残に命を奪われている今、憎しみではなくて互いを「信じる心」が必要で、だけどそのためには沈黙するのではなくて声を上げることから始めなければならない。私たちは取るに足らない存在ではなくて、敬意を払われ尊厳を守られるべきだ、と。

 

ラーヤの父役のダニエル・デイ・キムさんやナマーリの母役のサンドラ・オーさんも、アジア系の人々への差別に強く反対する発言をしています。

 

父親から「私のしずく」と呼ばれていたラーヤ。

 

その彼女が石に変えられていた父をもとの姿に戻す。

 

この映画も、かけがえのないものを守るための一滴になってくれたらいいですね。

 

 

 

 

 

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