ナ・ホンジン監督、クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、チョン・ウヒ、國村準出演の『哭声コクソン』。2016年作品。

 

田舎の村コクソンで凄惨な殺人事件が起こり、犯人は濁った目で身体は湿疹で爛れて放心していた。同様の事件が相次ぐ中で正体不明の日本人の存在が浮上する。警察官のジョングの娘・ヒョジンにも異変が起こり、ジョングは森に住む日本人の小屋にむかう。

 

ネタバレがあります。

 

 

 

 

ナ・ホンジン監督作品を観るのは、2012年に日本で公開された『哀しき獣』に次いで2本目。

 

謎の日本人を演じた國村準さんがむこうで賞を獲ったり、ここ最近公開されている他の韓国映画同様に評判がいいですが、最初にお断わりしておきますけど、すみません、僕はちょっと苦手な映画でした。だから褒めていません。

 

『哀しき獣』はまだ見応えあったんですが。

 

 

 

みんなが絶賛している映画に批判的な感想を書くのは自分の映画を観る目のなさを晒すようで気まずいんですが、実際しんどかったんでそこは正直に書こうと思います。

 

まず上映時間が156分。『お嬢さん』(145分)もそうだったけど、いくらなんでも長すぎやしないか。

 

そりゃインド映画なんかも長いけど、楽しい映画ならともかく、気が滅入るような内容の映画を150分以上も見せられたらイヤになる。我慢大会か。

 

中盤あたりまではその不穏な雰囲気、これからの展開に期待感を煽られてなかなかよかったんだけど、いつまで経ってもいっこうに物語が終わらないんで次第に疲れてきた。

 

ようやく事件が解決しかけたと思ったらまだ続く、今度こそ終わりかと思えばさらに続くといった調子で、後半はかなりイライラしてしまった。

 

おまけにガキが食い物散らかして大声で喚いて暴れる場面が何度も執拗に描かれるんで、本当にマイった。

 

 

 

父親も娘の具合が悪いんならウロチョロしてないでちゃんと看病しててやれよ。このおっさんが出歩くたびに家族に異変が起こるものだから、いちいちもどかしくてしょうがない。

 

ホラー映画なので合理的な解決などしないことは予想できるし、しまいにはもう誰が殺人事件の黒幕だろうと悪霊だろうとどーでもいいよ、早く終わってくれ、と念じてしまったほど。

 

映画観にきてなんでこんなストレス感じなきゃならないんだ。

 

奇妙な映画だし、こういう何が出てくるのかわからないような闇鍋みたいな作品が好きな人には面白いのかもしれませんが、僕はマジで勘弁してほしかったですね。

 

韓国では大ヒットして、こういう映画が当たる国を羨ましがるようなコメントも散見するけど、悪いがこの映画に関してはちっとも羨ましくない。

 

『お嬢さん』の時にも感じたけど、あぁ、「面白い映画」ってのはほんとに人によってさまざまなんだな、とつくづく思いましたです。

 

小学生の女の子がリンダ・ブレアみたいに大声で叫んで暴れたり、村人がゾンビみたいになって襲ってきたり、赤い目をした國村準がふんどし一丁で鹿の生肉食ったりする。

 

要するに、エクソシスト×ゾンビ國村準──これらのどれかに引っかかる人は観たらいいし、どれにも興味がなければ観なくたっていっこうに構わない映画。

 

主人公ジョング(クァク・ドウォン)や祈祷師、日本人の前にしばしば現われる“白い服の女”役のチョン・ウヒは『母なる証明』や『サニー 永遠の仲間たち』に出ていたので、久しぶりにこの女優さん見たな、って感じだったし、やたらと偉そうな態度の祈祷師を演じるファン・ジョンミンは去年観て好きだった『ベテラン』の主演俳優だから、そういう知ってる顔の俳優さんが出ている楽しさはあったけど、たとえばチョン・ウヒが演じているあの女が一体何者なのか最後までわかんなくて、すっげぇモヤモヤした。

 

 

 

 

映画評論家の町山智浩さんの有料解説を聴けばわかるそうですが、僕は聴いてないんでいまだに意味がわからない。解説聴かなきゃ意味がわからない映画が面白いとは僕は思わない。

 

結局どういうことだったのか知りたくて買った劇場パンフレットにも説明はなかった。

 

クリスチャンであるナ・ホンジン監督は映画の中にいろいろとキリスト教にまつわるネタを散りばめたようですが、「鶏が三回鳴くまでに~」云々の台詞が、キリストが「鶏が鳴く前に、あなたがたは三度わたしのことを知らないと言うであろう」と語った聖書の逸話をなんとなく思わせるけど、微妙に違うし、劇中でキリスト教の神父は主人公から娘の悪魔祓いを頼まれると「私にできることは何もない」と言ってあっさり断わる。そしてそれ以降二度と出てこない。

 

韓国版エクソシストの話にもかかわらず、肝腎のキリスト教の教会は力になってはくれないのだ。

 

だからこれはキリスト教とは関係のない、韓国の土着の宗教や迷信についての話なんでしょう。

 

ところが、この映画はあれこれと問いかけをしたまま答えを示さないので、映画のラストに到っても「そういうことか」というカタルシスが皆無なのだ。おかげでキツネにつままれたような顔で劇場をあとにすることに。

 

伏線がすべて見事に回収されている、とか言われてもわからない。

 

いろいろ謎解きをして愉しんでる人たちもいるようだけど、鑑賞後にインターネットでそういう人たちの“解釈”や“分析”を読んでもひざを打つものはなくてどれもただの苦しいこじつけにしか思えず、とにかく僕にはひたすら苛立たしい映画でした。途中まではそれなりに面白かったんだけどな。

 

なんかもう、後半になると登場人物たちが「あいつが悪霊だ」とか「いや、実はあいつは祈祷師だ」などと互いにわけのわからないことを言いあってるだけで、何かとてつもなく無駄な時間を過ごしている気になってきて、ついに出たか、今年のワーストワン候補が、と。

 

いや、まぁ、確かに國村さんはなんかスゴいことにはなってたけど。

 

先日の『お嬢さん』に続いて韓国映画を観たわけですが、残念ながら僕は満足できなかったので、この作品についてもあーだこーだと屁理屈こねて元を取ろうと思います。以降はただの僕の憂さ晴らしですから、この映画が好きなかたは読まれない方がいいです。

 

 

劇場パンフに書かれていた韓国社会における“霊”についての解説を読んで、日常の中で霊というものが信じられていて、それには人々の「恐怖心」が強く作用していることなどを知り、韓国の人々の心性についてほんの少しだけ理解したような気にはなりました。

 

そしてこの映画がどうして韓国で大ヒットしたのかも。

 

この映画に登場する祈祷師のような存在も韓国では珍しくなくて、また彼らは「恐怖心」ゆえに噂に惑わされたり、異端者排除が横行したりもする。

 

それは時に暴走して無関係な者すら犠牲にする危険もある。

 

韓国の人々にとって、この映画に描かれた世界観にはリアリティがあったんでしょう。

 

ジョングは警察官でありながら臆病で流されやすく、常に家族や村の人間たちなど周囲に振り回されている。

 

そんな彼がやがて事件に巻き込まれて、取り返しのつかない事態に陥る。

 

ジョングはけっして何か罰を受けなければならないようなあくどい人物ではなくて、少々頼りないが人の良い、家族とも普通にうまくやっているごく平凡な男に過ぎない。

 

そんな彼とその家族が、なぜこんな目に遭わなければならなかったのか。

 

國村準演じる日本人は、「釣り人は何が釣れるのかは獲物がかかってみるまでわからない」と言う。

 

最初から狙っていたのではない。たまたま釣れたのがジョングの娘だった。ただそれだけのこと。

 

凶悪犯罪も、あるいは不慮の事故も、すべてはただの偶然なのか。たまたま悪霊に釣り上げられてしまっただけだというのか。あまりに理不尽ではないか。

 

…そういう恐怖を描いていたのだということはわかりました。

 

また、これは「積木くずし」とか『エクソシスト』のように子どもがある時いきなり別人になってしまい親に反抗しだす恐怖とともに、群集心理やデマなどによって「真実」がコロコロと変わって人を惑わし扇動する怖さも描いているのでしょう。

 

だけど、だからって投げっぱなしでそのまま放置みたいな話をされても困る。

 

結論としては、村人たちがおかしくなったのは毒キノコを食べたのが原因ということみたいですが(確信はないけど)、「毒キノコ食べただけであんな異常な状態になるわけがない」と言われていたし、これだって納得できるものではない。

 

もしかしたら、この映画で描かれていたものはすべて毒キノコの幻覚だったんじゃないか。

 

とにかく、後半で登場人物たちが「お前は何者だ?」「悪霊がなんたらかんたら…」とか言いあってるのが延々続くとほんとにウンザリしてしまって。

 

登場人物たちが叫び声をあげ続けるのも、うっとーしかった。怖くもなんともない。ひたすらしんどいだけ。

 

國村さんが熱演だったのは間違いないですが、韓国の観客は「國村準」という日本人俳優のこれまでの活躍を知らないから「自分たちと似てるけど違う」、まさしく異質な存在としてインパクトがあったんでしょう。

 

僕は映画観ながら「仕事ですから」という國村さんの呟きが聞こえてくるようで笑いそうになっちゃいましたけど。

 

彼が演じる謎の日本人は言葉数が少なく、口を開いても日本語だけで韓国語は片言ですら喋らない。

 

最後まで正体不明で何を考えているのかもわからない。

 

日本語が喋れるジョングの甥の前で悪魔のような姿に変身するが、それはその甥がクリスチャンで悪魔の存在を信じているからだろう。

 

謎の日本人は禍々しい存在であることに変わりはないが、果たして彼が悪霊なのか悪魔なのか、それとも祈祷師なのか、よくわからない。

 

祈祷師が「“殺”を打つ相手を間違えた」というのもなんのことやら。

 

白い服の女によってか、または祈祷師の祈祷で超常的な力を失ったのか、日本人は終盤で急に怯えたように逃げだして、偶然通りかかったジョングの車に撥ねられて死ぬ。

 

國村さんとファン・ジョンミンの祈祷合戦では、ドンドコドンドコ太鼓が高鳴ってトランス状態に入っていくジョンミンと、飛び出そうなほど見開いた眼を潤ませて陰陽師みたいに呪文を唱える國村さんのカットバックは妙な迫力と気持ちよさがあってそこはクライマックスともいえたけど、それも娘の容態が急変したジョングが途中でやめさせたためにフィニッシュできないのだ。

 

 

 

日本人と祈祷師はグルだった、みたいな解釈があるけど、じゃあなんでみんなの前であんな祈祷合戦のパフォーマンスをしたんだかわかんないし、劇中で日本人と祈祷師が直接会っている場面はまったくないので説得力がない。

 

また、白い服の女に出会った祈祷師が鼻血を出して嘔吐したり、車を走らせていたらフロントガラスに鳥の糞が大量にぶつかる幻を見て危うく事故を起こしそうになる場面など、あれで悪いのは祈祷師の方だと言われてもにわかに受け入れがたい。

 

最初に書いたように白い服の女の正体が全然わからないし、もし彼女の言っていることが正しかったとしてもなんでわざわざあんな誤解をされるような行動をするのか理解できないから、どちらにしても観ていてイライラは解消されない。

 

この映画をデヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス」に喩えている人もいるけど、「ツイン・ピークス」って最大の謎(ローラ・パーマーは誰に殺されたのか)はちゃんと解かれているので、あとは町の奇妙な人間模様を愉しめばいいんだけど、この『コクソン』は終盤はずっと三つ巴の戦いみたいなことをやってるから、前半みたいに主人公や村の人々の日常描写のようなおかしみがなくなってしまって、「悪霊は誰か」というひたすらどーでもいい話に終始してしまう。

 

そして答えは与えられない。最初から与える気なんてなかったんだろうな、と思った。

 

それに言葉でいくら説明されたって、映画として面白くないんじゃどうしようもない。

 

僕には、あの白い服の女も祈祷師も日本人も、三者とも人々を惑わし狂気に駆り立てる存在に感じられました。

 

誰一人正しい者なんかいやしないんだ、と。

 

市井の人々にある日突然降りかかる不条理。

 

みんないろいろ理由付けしてわかったような気になったり勝手な憶測をもとに行動するけど、それらがすべて裏目に出る恐ろしさ。

 

それはもうイヤと言うほど伝わりましたよ。

 

 

『お嬢さん』と『哭声/コクソン』の2本の韓国映画を観てわかったのは、僕は映画に過剰な描写や壊れた物語を別に欲してはいない、ということでした。

 

スッキリしない、ハッキリしないものを描こうとしていたのだろうけれど、そういう映画を今観たいとは思わないな。

 

ゾンビ映画なら『アイアムアヒーロー』の方が僕は面白かった。

 

去年観た『ベテラン』は韓国映画名物のやりすぎの暴力描写もエロもなく、よく練られたプロットと俳優たちの優れた演技、社会問題も盛り込んだアクション・エンターテインメントとして作られていました。

 

韓国映画界にはそういう手堅い作品を撮る力があるんだと思ったから今回も期待したんですが、必ずしもそういう映画ばかりが作られているわけではないようで。

 

見応えがあってお話が面白い、そんな韓国映画をこれからも望みたいです。

 

世間の評判に惑わされないように気をつけよっと。

 

 

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