クリント・イーストウッド監督、ブラッドリー・クーパーシエナ・ミラールーク・グライムスサミー・シークジェイク・マクドーマンキーア・オドネル出演の『アメリカン・スナイパー』。2014年作品。R15+

原作はクリス・カイルによる自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」。

第87回アカデミー賞音響編集賞受賞。




Ennio Morricone - The Funeral


テキサス州で生まれ育ったクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は1999年に海軍に入隊、特殊部隊ネイビーシールズに配属される。狙撃手として腕を磨き私生活ではタヤ(シエナ・ミラー)と結婚するが、9.11アメリカ同時多発テロの勃発によって戦場に派遣されることに。そこで最終的に敵戦闘員160人を射殺したクリスは、いつしか“伝説”と呼ばれるようになっていた。

Wikipediaでクリス・カイルの生涯について読む程度のネタバレがあります。



昨年の『ジャージー・ボーイズ』からそんなに経たずにイーストウッドの最新作が早くも公開。

ヒット曲の数々とともにバンドマンたちを描いたちょっとノスタルジックな作品から一転して、今回はとてもヘヴィな題材。

イーストウッドが戦場を直接描くのは2006年の『硫黄島からの手紙』以来だが、時代はさらに下って現代へ。

映画の内容についてアメリカ国内では保守派と左派で論争になっているが、両者ともこの映画で描かれていることをちゃんと理解していない、と映画評論家の町山智浩さんが批判されていてとても興味を持っていました。

それにしても、ブラッドリー・クーパーはここ数年ほんとに活躍が目立つなぁ。

以前は『ハングオーバー!』や映画版『特攻野郎Aチーム』のようなエンタメ系にも出演していたけど(去年も『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の喋るアライグマの声をアテてましたが)、特に『世界にひとつのプレイブック』以降、アカデミー賞にかかわるような人間ドラマ寄りの作品への出演が続いている。

もう1年に1~2本は必ず何かピンとくる作品に出てて、その勢いはちょっとひと頃のヒュー・ジャックマンを思わせる。

イケメン俳優として人気だけど、これまでの出演作品からも単なるマッチョなイケメンというよりはどこか繊細で壊れやすい部分を持っている(ように見える)、そここそが彼の魅力なのではないだろうか。

そして今回の映画でも、鍛え上げられた肉体とヒゲ面の男臭い外見、戦場で“伝説”と呼ばれるほどの正確な腕を持つスナイパーでありながら心に癒やしがたい傷を負う主人公をその細やかな演技で説得力抜群に演じて、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた(受賞は『博士と彼女のセオリー』のエディ・レッドメイン)。


世の中には“羊”と“狼”、そして“番犬”がいる。

羊は善良だが無力だ。そして狼とはそんな羊に対して悪を為す者である。

だから狼から羊たちを守る番犬が必要。お前たちは番犬になれ。

父は息子兄弟にそう教える。

この“番犬”というのが「世界の警察」を自負するアメリカのことなのは明白だろう。

この映画は主人公クリスをアメリカそのもののように描く。




そのようにして観ると、ここで何が描かれているのかがよくわかる。

テキサス生まれでカウボーイのように馬を乗りこなす勇敢な男。責任感が強く仲間思いでもある。




そんな彼がたどる運命は、まるでアメリカの歴史のようでもある。

だからやがて戦場から還った彼が、これまで自分がいた場所とあまりに違う平和な日常生活に溶け込めず次第に心の均衡を失っていく様子は、アメリカという国が抱える問題をそのまま一身に背負ってしまったように映る。


娘ちゃんがとても可愛くて、だからこそその後の残酷な運命に胸が痛む


同じくイラクに出征していた弟のジェフ(キーア・オドネル)は、久しぶりに再会した兄に「ここはクソだ」と言い捨てて故郷に帰った。

妻から家族のためにアメリカに留まってほしいと請われても再び戦場に赴くクリスの姿には、『ハート・ロッカー』で最後にやはり再び戦場に帰っていく主人公の姿が重なる。

自分はそこで必要な存在だから行かなければならない。そして必ず仲間の仇を討たなければ。

イラクのテロ組織のリーダー、ザルカーウィの右腕で子どもすら残酷に傷つけ誰であろうと容赦なく殺す“虐殺者”(ミド・ハマダ)が車もろとも爆死するシーンには溜飲が下がるし、狙撃手のムスタファ(サミー・シーク)がついにクリスによって仕留められる場面でも映画的な高揚感がある。

 


ある意味そこは危険な部分でもあるのだが、劇中で非常に抑制を効かせた音楽の使い方からしても、おそらくイーストウッドは意図的にあのような勇ましい場面を作り上げている。

その一方で、戦場で助けた兵士から「あなたは命の恩人。アメリカの英雄だ」と言われて困惑した表情のクリス(おそらく彼はその兵士のことを憶えていない)からは誇らしげにヒーロー然としたところは微塵もなく、ただ居心地の悪さを感じているだけのように見える。

 


何も映っていないテレビ画面をみつめる彼の脳裏には、戦場での人々の叫び声が響いている。

自分の赤ちゃんが泣いているのに面倒を見ようとしない看護師に対して怒鳴ったり、公園で子どもにじゃれて飛びついたペットの犬に思わず殴りかかってしまうクリス。

明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の兆候を示し始めた彼は、医師から紹介されて退役軍人たちの社会復帰のための支援活動に努める。それはクリス自身を救うためでもあった。しかしその善意が彼の命を奪うことになる。そのあまりに理不尽な結末。


84歳にしてこのような映画を撮ったイーストウッドに、僕は本当に感嘆する。

彼のみつめる世界はけっして甘く都合のいい幻想ではない。

情緒に訴えかけて泣かせるのではなくて、淡々とした描写の中で疑問を投げかける。

イーストウッドは共和党支持者だけど、むしろ僕には彼が他のどんな映画人よりもリベラルに思える。

かつての戦争を美化して自慰行為に耽っている日本の政治家や映画人たちは、彼の爪の垢を煎じて飲んだ方がいい。

クリス・カイルは今も“愛国者”として、“伝説”のアメリカの英雄として人々から尊敬されているんだろう。

しかし、「硫黄島2部作」で「戦争に英雄などいない」ことを描いたイーストウッドは、ここでもクリス・カイルを単純な英雄としては描かない。

映画を観ていれば、たとえ言葉には出さずともクリスが戦場で多くの葛藤を抱えていたことがわかる。

戦場で敵を殺すことに疑問を感じ始めたマーク(ルーク・グライムス)は、敵弾に当たって死んでしまう。

クリスはそれをマークの心の迷いのせいのように人前では語るが、彼の中にマークの死に対して動揺がなかったはずがない。神の道を信じていたはずのマークがあんなにあっさり死んでしまうなんて、と。

フィアンセに贈る指輪の話を戦場でするという、戦争映画のお約束のような前振りのあとに案の定、敵の狙撃に遭って重傷を負うが一命をとりとめたビグルス(ジェイク・マクドーマン)は、見舞いにきたクリスの前では希望を持たせながら手術中に死んでしまう。

その訃報を戦場に向かう途中に戦友から聞くクリス。

 


彼らの死はあまりにあっけなく、やりきれない。

戦争がなければクリス・カイルは“伝説”になることも“悪魔”になることもなく、そして心を病んだ帰還兵に撃たれて死ぬこともなかった。

映画ではクリスの死は直接は描かれず、妻との最後の別れとなったその死の当日のどこか不穏な様子を映して、あとは字幕で説明が入る。

この映画は戦争の残酷さを描いているけれど「硫黄島2部作」に比べると描写がソフトで、たとえばクリスのPTSDについても要所要所でそれをうかがわせるに留めている。

だから観る前に覚悟していたようなドォォンと暗い気持ちになるようなことはなくて、そのあたりの映画としてのバランスの取り方も見事だと思いました。

すごく細かいことですが、戦場で射殺される人々の描写について。血のりの噴出がいかにも合成っぽかったのはわざとなんだろうか(『マトリックス』みたいに弾丸がスローで飛んでいくショットもある)。

冒頭でクリスに撃ち殺される母子、そして額を撃ち抜かれるムスタファなど、正直リアリティが薄くて(それでも女性や子どもが撃ち殺されるのは十分ショッキングではあるが)、「硫黄島2部作」での凄惨な殺戮場面を知っているからこそ、この映画での人の死の描写はずいぶんと控えめに感じられる(って生首は出ますが…)。




あと、クリスが赤ちゃんを抱く時に映ってるのがどう見ても人形なのはなんででしょうかね。




ちょっと前に観たリドリー・スコットの『エクソダス』でもファラオの長男が死んでしまう場面で赤ちゃんがあからさまに人形だったのがすごく気になったんだけど、何かに配慮しての処理なんだろうか。


「映画秘宝」2015年4月号の町山さんの解説によれば、撮影時に赤ちゃんが病気になってしまったので急遽人形で代用したんだそうです。


エンドクレジット前に映しだされる実際のクリス・カイル氏の葬儀の映像にかぶさるエンニオ・モリコーネの曲“The Funeral”が終わり画面が暗くなると、ほとんど何も聞こえなくなってそのままエンドクレジットが最後まで続く。その間、音楽は一切流れない。


クリス&タヤ・カイル夫妻


本当に長く感じたエンドクレジットだけど、そのほぼ無音状態の中で観客である僕の頭の中にはいろんなことが思い浮かんでは消えていった。

イーストウッドの映画には余韻がある。その中で観る者に考えさせる。

映画が観客に「答え」を押しつけるのではなく、観客側の一人一人が自分の頭で考えて「答え」を導きだすように。

クリスが敵を「蛮人」と呼び、彼らを大勢殺したことに「一切罪悪感がない」と語るのも、救えなかった仲間たちに対する悔いもどちらも彼の持つ一面だ。

それは敵側から見ると正反対のことがいえる。彼らにとってはクリスは仲間の命を次々と奪った“悪魔”である。アメリカの“英雄”クリスの首には現地では高額の懸賞金が懸けられていた。

イーストウッドはかつて『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』で、アメリカと日本双方の兵士たちの視点で戦争を描いた。

『硫黄島からの手紙』(2006) 出演:二宮和也 渡辺謙 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童



だから、それを踏まえてこの『アメリカン・スナイパー』を観れば、イーストウッドが安易にクリス・カイルを英雄視などしていないのがわかる。

クリスと同じスナイパーでライヴァルのように描かれるイラク武装勢力側のムスタファは、無残にアメリカ兵の命を奪っていく憎むべき人間であると同時にオリンピックの元メダリストであり、戦争さえなければありえた彼の別の人生が想像できるように演出されている。

ちなみに、ムスタファが元オリンピック選手、という設定は映画用に作られたフィクションだそうです。実際には彼の出身地であるシリアにそのような人物はいないらしい。

戦争において誰が善玉で誰が悪玉か、などということは簡単に決めつけられない。

ただ戦争は多くの人々の命を奪い、心と身体を破壊する。紛れもないその事実だけがここでハッキリと描かれている。

比べる必要もないですが、題材のせいもあるけど個人的には『ジャージー・ボーイズ』よりも心に刺さりました。

これは遠いアメリカや中東での出来事で自分とは無関係な話、なんかじゃない。

いろいろときな臭い現在の日本ですが、自分たちの国が戦争をする、それが可能になってしまうということは、将来この国からクリスやあの兵士たちのような人々が生みだされるということだ。

彼らは自分の祖国や家族、大切な人々を守るために戦場に行った。それは純粋な思いからだろうが、そのために払った犠牲はあまりにも多く、結果的にはたくさんの悲しみや苦しみ、深い傷を残すことになった。

国のため、愛する人のために命を懸けて戦う、などという勇ましい言葉の代償がいかに大きいかを、僕たちはここから学ばなければならない。

そして、現実の世界には“番犬”のような顔をした“狼”もいるのだということを肝に銘じておく必要がある。

日本の為政者たちにはぜひこの映画を観てもらいたい。大義名分を掲げ美辞麗句を並べたてて日本からクリスたちのような人々を次々と生みだすようなことをけっしてしないでほしい。心からそう願います。



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