ピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリー映画『彼らは生きていた』。2018年作品。R15+。

 

第一次世界大戦中の1914~18年に西部戦線の塹壕でどのような戦いと生活が繰り広げられていたか。膨大な記録映像と生還者たちのインタヴュー音源(&効果音+訛りのある英語を話せる人による兵士たちの言葉の再現)を使って紡がれた100年以上前の戦場の現実がスクリーンに蘇る。

 

第一次世界大戦終結から100周年目の2018年に作られた映画で、サム・メンデス監督の劇映画『1917 命をかけた伝令』の公開に合わせての日本公開だと思いますが、映画サイトとYouTubeの予告篇で知って、また映画評論家の町山智浩さんの作品紹介などで、これは2本まとめて観ておきたいと思って、こちらは2月に劇場で鑑賞。

 

当時撮られて保管されていたモノクロの映像は修復されてフィルムのスピードも調整、コンピューターで着色されてより現実味のあるものとして再生された。

 

 

 

最初、僕たちが普段から見慣れたモノクロームのチャカチャカした動きの記録映像が映し出されて、やがてそれに色がついて速さも通常のものと変わらなくなり、さらに音が加わると妙な驚きと感動が湧き上がってくる。

 

ちなみに先週NHKのBSプレミアムで放送された『チャップリンの独裁者』(1940)の冒頭は時代が1918年で、まさにこの『彼らは生きていた』と同じ西部戦線が描かれていたし、同じくチャップリン監督・主演の『担へ銃』はリアルタイムである1918年の作品で、塹壕での生活が描かれます。

 

 

 

 

チャップリンの映画は僕はTV放映で子どもの頃からお馴染みだったからそんな昔という印象がなかったんだけど(もちろん、サイレント映画だから相当昔の作品なのはわかってましたが)、すでに100年以上前に活躍してた人なんだなぁ、とあらためて驚かされますね。

 

チャップリンは第一次大戦当時は国債の購買を呼びかける宣伝映画にも出ていたし、『担へ銃』は最後に主人公が敵のドイツ軍をやっつけるたわいない内容の戦争コメディでしたが、この『彼らは生きていた』を観てたら、塹壕の中が水浸しになる場面など実は結構リアルに描かれていたんだなぁ、と。充分な睡眠をとることもできず、ネズミが顔の上に乗っかってくるような劣悪な環境だったんですね。

 

当然ながら、現実の戦場はチャップリンの映画のような愉快でのどかなものではなかったわけで、この映画では詳しく触れられていなかったけれど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったり顔や身体の一部を失う傷痍軍人を数えきれないほど出しました。

 

 

 

それでも、そんな悲惨な現場だったにもかかわらず、生き延びて還ってきた兵士たちのインタヴューでの声はどこかのほほんとした雰囲気もあって(中には当時のことを思い出して声を詰まらせる人もいたが)、あれほど互いに殺し合ったドイツ兵への憎しみはあまり感じられず(でも、敵を殺す手順を朗らかに語るところなど何気にゾッとさせられるんだが)、いかにも朴訥とした口調で述べられる戦場の日常の様子がなんとも奇妙だった。

 

まぁ、精神的に持ちこたえてインタヴューに応じられる人の声が残ってるので、彼らの背後には戦場の露と消えた声なき多くの人々の存在があったのですが。

 

僕の母方の祖父は太平洋戦争当時は陸軍に所属していて戦場でも戦ったそうですが、大変な思いをしたのだろうけれど(戦争の話は祖父から直接聴いてないからよく知りませんが)、でも一方で20代だった祖父にとって戦争に行っていたあの何年間かは青春期であり、戦友たちとの思い出深い時代でもあったんだろうと思います。ずっと戦友会に顔を出してましたから。

 

第一次大戦の戦場からの生還者たちのあの声からも、似たような思いを感じました。

 

でも、だからこそそこに言い様のない痛ましさも感じずにはいられないんですね。田舎出の善良そうな若者たちが戦場で直接なんの恨みもない敵兵と銃で撃ち合い、銃剣やナイフで刺し合って、相手を銃床で殴りつけて殺す。戦争が始まる直前まで互いに和気あいあいとスポーツに興じていたのに、ひとたび戦争になると“敵”との命の奪い合いとなる。そしてそのことに疑問さえ感じなくなる。

 

狂気としか言えないようなことが、「祖国のため」という大義名分を与えられた途端に見事に正当化されてしまう。あるいは貧しさのために毎日の食事が得られる場所を求めて志願した者たちもいた。

 

この映画では大怪我を負った兵士や彼らの無残な遺体──TVのドキュメント番組ならモザイクが入るような映像が一切隠されることなく直接映し出される(15歳未満鑑賞不可)。

 

カラー化によって色が加えられているからこそ、それは「大昔の記録映像」のような距離を置いたものではない生々しさがある。彼らは生きていた

 

さすがに劇映画の戦争モノのように激しく弾が飛び交う真っ只中で撮影されたものはなかったと記憶しているけど、それまではモノクロ映像でしか見たことがなかった“戦車”が動く様子、それから爆音が加わったことで炸裂する砲弾の爆発の凄まじさがより恐ろしく感じられた。

 

人も馬も一瞬にして吹き飛ばされて傷を負い、死ぬ。

 

 

 

前半での訓練風景だとか、トイレの様子(周囲から丸見えの状態で尻を出して用を足す)やレクリエーションなど、兵士たちの戦闘時以外の姿もじっくりと見せるので、そんな彼らがやがて「こんなはずではなかった」と後悔することになる延々続く塹壕戦の模様は観ていて本当につらい。

 

数ヵ月で終わると思っていた戦争は4年も続いた。

 

 

 

 

 

鑑賞してからもう何ヵ月も経つので、作品の中で言及されていたかどうかちょっと忘れちゃったんですが、あの戦争当時「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」が世界中で猛威を振るっておびただしい数の死者を出しており、それは戦場でも例外ではなかった。

 

このあたり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)禍に晒されている現在と大いに重なるし、そんな中で戦争を続けた愚行から僕たちは教訓を得て学ばなければならない。

 

史上類を見ないほど大量の戦死者を出したにもかかわらず、そのわずか21年後に世界は再び戦火に覆われることになる。この次はない。もしも“次”があったら人類は滅亡する。

 

第一次世界大戦ではイギリスは直接戦場にならなかったため多くの国民にとって戦争は遠い場所での出来事で、経済とか数字のうえでは問題にされることはあっても兵士でない者は実際の戦場の悲惨さを実感することはなかった。

 

それは日清・日露戦争や第一次大戦、日中戦争の時の日本もそうで、今アンコール放送をやってる朝ドラ「はね駒」(1986)では主人公のおりん(斉藤由貴)が日清戦争を描いた錦絵を売って小金を稼いだり、渡辺謙演じる源造の商売も戦争で潤っていた。このドラマの前に再放送していた「おしん」でもやはり“戦争景気”で儲けるエピソードがあったように、当時、戦争は「儲かる」ものだったんですね。まるで金の生る木、商売のためのイヴェントのように思われていたんでしょう。

 

父親や兄弟、息子などが出征することはあったが、多くの国民にとってはイギリスの人々と同様にどこか遠くの国での他所事だった。

 

だが、忘れてならないのは、遠かろうと近かろうと、戦場では人が殺し合っているのだということ。

 

その事実を想像できなければ、私たちはまたいつでもあの時代に逆戻りすることになる。

 

戦場から祖国に命からがら還ってきた兵士たちを待っていたのは、歓迎や感謝の言葉ではなく「これまでどこに行っていたんだ?」という冷たい言葉だった。

 

彼らは英雄と称えられることも労われることさえなく、まるで戦争などなかったかのように扱われて、彼らがそのために戦ったはずの“祖国”で違和感や疎外感とともに生きていくことになる。戦場で没した多くの兵士たちは顧みられることもなかった。

 

なんという報われない話だろうか。でも、戦争とはそういうものなのだ。

 

「愛国」という言葉は何やら勇ましく美しくもあるが、きわめて危険な言葉でもある。

 

以前、NHKでV6の岡田准一さんが司会を務める某番組で、ある女性のゲストが「もしも日本が攻め込まれたら私も戦う。当然のことでしょう」というようなことを言っていて、そういう勇ましい言葉を安易に口にする人間は絶対信用してはならないなぁ、と強く思ったのでした。

 

彼女のように素朴で単純な「愛国心」に駆られて戦場に行った若者たちがどのような目に遭ったか、どれほどの代償を払わされたのか、この映画は教えてくれている。

 

この映画は、多くの兵士たち──そして彼らのように戦場で戦い、還ってきたピーター・ジャクソン監督の祖父に捧げられています。

 

監督は、長らく忘れ去られ、ないがしろにされてきた人たちに感謝と称賛を送っているけれど、それは戦争そのものを称揚しているのでも「国のために戦った兵士たち」をことさら持ち上げているのでもなくて、ただ「よく生きて戻ってくれました。そのおかげで今僕は生きている」という気持ちを伝えようとしたのだろうと思います。

 

それは僕の祖父への感謝の気持ちと同じだ。

 

かつての戦争で戦い殺し合っていた人々は、遠い昔の歴史の彼方の色褪せた存在ではなくて、私たちと同じ生身の人間だった。そのことを実感できたなら、僕たちは今目の前にいる人や遠い外国の人々のことだって同じように感じることができるはず。家族や恋人、友人を愛し、祖国を愛する世界中の人々のことを想像し、彼らに敬意を払えるのなら、僕たちは二度と忌まわしい過ちを繰り返さずに済むだろう。そのような日を僕たちは僕たちの手で求めて掴まなければならない。

 

過去を見つめることは、その第一歩なのだ。

 

 

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