リチャード・リンクレイター監督、エラー・コルトレーンパトリシア・アークエットイーサン・ホークローレライ・リンクレイター出演の『6才のボクが、大人になるまで。』。2014年作品。PG12

第64回ベルリン国際映画祭で監督賞、ゴールデングローブ賞で作品賞、監督賞、助演女優賞(パトリシア・アークエット)受賞。



メイソン・Jr.(エラー・コルトレーン)はシングルマザーの母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉のサマンサ(ローレライ・リンクレイター)とともにテキサス州で暮らしていたが、ある日、母は実母の住むヒューストンに引っ越すことを決意、3人は新しい土地での生活を始める。やがてアラスカから戻ってきた実の父メイソン・シニア(イーサン・ホーク)が週末に子どもたちと過ごすことに。オリヴィアは修士号を取って教職を得るために大学で学びながら女手一つでメイソンたちを育てるが、一方でそんな母が繰り返す新たなパートナーたちとの出会いと別れに子どもたちは翻弄される。メイソンもまた成長するにつれてさまざまな人々との交流や別れを経験していく。


評判がいいようで、今年(第87回)のアカデミー賞にもノミネートされてますね(追記:パトリシア・アークエットが助演女優賞受賞)。

実は恥ずかしながらリチャード・リンクレイターの映画って僕はこれまで1本も観たことがなくて、好きな人が多い『スクール・オブ・ロック』、そしてこれも評価の高い『恋人までの距離(ディスタンス)』から始まる「ビフォア」シリーズも未見。

「ビフォア」シリーズは今回も主人公の父親役で出演しているイーサン・ホーク主演で第1作の公開時からタイトルは知ってたけど、一組の男女の会話劇、というのが僕にはハードルが高く感じられてしまって(2人がずっと喋ってるだけの映画に堪えられる気がしなかったので)食わず嫌いで結局今の今まで観ていない。

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)
20代のジュリー・デルピーがプリティ。顔がタマゴみたいにツルツルw




ただ今回は12年かけて子どもの成長を写しとったものだということで興味をそそられて、ラジオで映画評論家の町山智浩さんの解説を聴いてから観たいと思っていました。

それが上映館が遠かったこともあって昨年の公開時には観られず、年が明けてから近場の映画館で再び上映が始まったのでようやく鑑賞。

ゴールデングローブ賞受賞効果か、平日でもお客さんはけっこう入ってました。


2002年から12年間の歳月をかけて主人公メイソンが6才から18才に成長するまでを描いたもので(子どもたちが夏休みの期間だけ撮影)、ドキュメンタリーではなくて劇映画なんだけど、主演のエラー・コルトレーンをはじめ家族役やすべての登場人物をそれぞれ同じ俳優たちが演じ続けた実験作。

原題は“Boyhood (少年期)”。

実際に出演者たちが年齢を重ねていく様が映しだされている、ということではある意味“ドキュメンタリー”の側面もある。

 

 


ちょっと「北の国から」や「大草原の小さな家」を思わせたりもして、人様の家族の12年間を165分かけて観続けるというなんとも不思議な体験を味わったのでした。

このような試みは映画の作り手が一度は考えそうだけど、そのわりにそういう作品がなかなかないのは、ほんとにやろうとしたらかなりの根気と計算(プラス“幸運”)が必要だから。

たとえば映画版の「ハリポタ」(『6才の~』でもメイソンが新刊の発売イヴェントに参加する様子が映しだされている)みたいにシリーズ物を1本ずつ完成・公開していくんじゃなくて、子どもたちの成長の過程が順繰りにまとめて1本の作品の中で描かれなければ意味がない。途中で子役が辞めちゃったら映画が丸々ポシャってしまう。

場合によっちゃハーレイ・ジョエル・オスメント君みたいに体型が激変する可能性だってあるし^_^;

また、その内容には身内の死や事故、大きな事件などのこれみよがしに劇的な展開はなくて、幼い頃に両親が離婚した少年がやがて自分がやりたいことをみつけだして親元から巣立っていくまでが淡々と綴られる。

メイソンの12年間はけっして特異なものではなく(お母さんのお相手は冗談みたいにコロコロ替わりますが)、多くの人々に当てはまりそうなものだ。

だからこういう作品を最後まで撮りあげたこと自体がまず快挙だし、しかも作品の内容と手法がマッチしているので派手な事件がなくても登場人物たちの日常描写に見入ってしまう。

面白かったのが、この映画は字幕やナレーションなどで時間の経過を説明せずにすべてショットの連なりだけで見せていくので、たとえばシーンやショットが変わるごとにメイソンやサマンサがちょっとずつ成長したりしてて、ちょうどジブリアニメの『かぐや姫の物語』でやはりカットが切り替わった瞬間にかぐや姫がほんのちょっとずつ大きくなっていったみたいな不思議な効果を上げている。

先ほどの「ハリポタ」や「北の国から」などと決定的に違うのはここで、1本の映画の中で子どもたちが刻一刻と成長していく。

すでに観た人たちが感想の中で12年間で両親役のパトリシア・アークエットやイーサン・ホークの見た目が変わったことを強調していたので彼らの老けっぷりに注目していたんだけど、子どもたちの変化ほどまわりの大人たちは変わらないからそんなに違いはわからなかった。

イーサン・ホークは最後に登場した時にはちょっと白髪があったけど別にハゲたわけでもデブったわけでもなくカッコイイままだし、パトリシア・アークエットの方は日増しに恰幅がよくなってるけど顔は細いままで今もその美しさを保っている。

彼らよりも俺や俺の親の外見の方がよっぽどこの10年ほどの間に変わったもんなぁ。

でも二人の俳優の顔に刻まれた皺は確かに月日の流れを感じさせて、劇中では何度もパーティのシーンが映しだされて家族や親戚、友人たちが顔を合わせるので、観ているこちらもその中の一人になって子どもたちの成長を見守ってきたような気持ちに。

2時間45分はさすがに長さを感じて正直ちょっとくたびれたけど、まさにそれだけの長さが必要だったと思う。見ごたえのあるなかなかいい映画でしたよ。

ストーリーテリングで見せる作品ではないからネタバレがどうとか関係ないけど、まっさらで観たいかたは以降はラストまで語るのでご注意ください。



すごくどーでもいいことだけど、僕はイーサン・ホークってアメリカ版鶴見辰吾みたいなイメージがあってw 子役出身で年を重ねるごとにシブさを増してきた感じがなんとなく似てる気がするんですよね。

まぁ、それが言いたかっただけなんですけど^_^;


こういう表情なんか、鶴見さんっぽい。


ちょうど僕が小学生だった頃に子役としてリヴァー・フェニックスなどと同時期に俳優活動を始めた人なので、その彼が今こういう若干チャラさも兼ね備えた男前の中年になってることに勝手に親近感をおぼえたりしてますが。

そのわりには出演作そんなに観てないけど。

ちなみにイーサン・ホークはかつてユマ・サーマンと離婚しているし、パトリシア・アークエットは現在バツ2なので、二人とも映画で演じている役柄とご本人たちとがちょっとカブるところがある。

実際、この『6才のボクが~』は主役のエラー・コルトレーンの成長ぶりに合わせてお話を作っていったそうだから、両親役の二人の実体験もまた映画の中に組み込まれているのかもしれない(そもそもメイソンの境遇はリンクレイター監督自身の体験が基になっているし、エラー少年もまた12年の間に現実に両親の離婚を経験している)。

エラー・コルトレーンは最初はほんとに小さな可愛い顔した男の子なんだけど、やがてどんどん成長していってジョシュ・ブローリンみたいなゴツい顔の青年になっていく。


メイソン(エラー・コロトレーン)の成長の軌跡


主要キャストの一人であるサマンサ役のローレライ・リンクレイターは、名前の通り監督の実の娘。

サマンサは小学生の時は多動児みたいに落ち着きがなくてお喋りだったのが、成長にともなって次第に大人しくなっていく。


メイソンの姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)の成長の軌跡


そのあたりもきっとリアルにローレライ本人が反映されているんだろう。撮影4年目には出演に飽きて「映画の中で私の役を殺して」と父親に頼んだんだそうな。

よかったな、その年の夏にお姉ちゃんがいきなり死んだことにならなくて^_^;

彼らの変化を見ていると、ほんとに親戚のおじさんみたいな気分になってくる。


この場面にはおじさんジ~ンときました


成長するにしたがって、メイソンは自分から積極的にまわりに何かを仕掛けたり自分の意思を言葉に出すことはあまりない、常に受け身な印象が強くなっていく。

実際にはいろいろと考えて自分から行動もしてるんだろうけど、具体的に彼の方から家族や恋人に発言する場面があまりないのだ。

友人たちともいつのまにかなんとなく打ち解けている。

これはようするに演じているエラー・コルトレーンがそういう子に育ったということなんだろうけど。

この何を考えてるのか心の中が読み取りづらい少年にはどこか共感できるところもあるし、よくわからないところもある。

それこそ現実の世の中ではしばしば父親が息子のことをまったく理解できないように。

もっともこの映画の中では、実の父親はまるで年の離れた兄弟のように至れり尽くせりで世話を焼いてくれるのだが。

僕にはこの父親は「理想の父親像」、もっといえば空想上の存在にすら思えたのでした。

現実の世の中ではむしろオリヴィアと再婚してその後酒乱で暴れたり子どもに暴言を吐いていたあの男たちのような輩の方が多いし、だから僕はそういう不愉快な人間たちの方にリアリティを感じる。

メイソン・シニアだって理由があったからこそ妻に見限られたんだろうけど、それは描かれない。

彼のように明るくて子どもの面倒見もいい父親には大いに憧れますけどね。

ってゆーか、メイソン・シニアの新しい奥さんの親とメイソンたちが親戚としてつきあいがあったり(血はまったく繋がっていないのだが)、子どもたちの成長につれて親族や友人がどんどん増えていくけど、この映画で登場する家族がたまたまそうなのか、それともアメリカ人というのはみんなこんなにあちこちで親戚づきあいが盛んなのか知りませんが、見ていてちょっとウンザリしてしまった。

こんなに多くの人間と一生かかわらなくてもいいや、と思った。


これは一人の少年の成長を追った映画であるとともに、家族、特に母親を描いたものでもある。

オリヴィアはメイソンの帰りが遅いと心配するし子どもたちがどこかに出かけるたびにいちいち連絡先を尋ねたり電話を入れるように指示したりと、サマンサが言うように過保護か過干渉ともとれるけど、でも母親としてはごくごくまっとうな感覚だと思うし、一方であの年頃の子どもたちにしてみれば母親をうるさく感じるのも身に覚えがあるので、あの親子のやりとりには妙にグッときたんですよね。

彼女はいつもつきあう男の選択を誤って結果的に子どもたちを振り回しているんだけど、それはけっして金に目が眩んでとか男好きだからとかいうんではないことは映画を観ていればわかる。

だから彼女を責める気になどなれない。

息子の門出の直前に、オリヴィアは祝いの言葉ではなく自分の人生の空しさを嘆いてメイソンの前で涙を流さずにはいられない。

この映画の主人公はメイソンであると同時に、この母親オリヴィアだったのではないだろうか。

自分がやりたいことをみつけて出立の日を迎えた息子と、自分の人生には仕事と子育てしかなかった、と泣く母。

彼女と別れて別の家庭を築いた元夫と違い、オリヴィアはついに新たな伴侶を得ることができなかった(いや、まだこれから先どうかわかりませんが)。

誰よりも頑張ってきた彼女が最後に報われない、というのがなんとも苦い。とても損な役回りだ。

それに比べると、血の繋がった父親として子どもたちとたまに会い、語らって遊び、さまざまなアドヴァイスもする(「コンドームを付けろ」とか)イーサン・ホーク演じるメイソン・シニアはちょっとズルい気もする。

このお父さんはおいしいとこ持っていきすぎではないだろうか。

多分、元妻に子どもたちの養育費も払っていないんだろうし。

彼は「(オリヴィアが)もうちょっと辛抱してくれたら今の俺になれたのに」と言う。

だけど若くして子どもを持った彼らにはそれができなかった。

そのことを後悔しても過去は戻らない。

オリヴィアだってメイソンが大学に入学したことは誇らしいだろう。

元夫が彼女に送る感謝の言葉通り、息子をここまで育ててきたのは彼女なのだから。

オリヴィアが自分の時間を楽しむのはこれからだ。

息子が言うように、あと40年は生きなくては(あのやりとりの場面で客席から笑いが起こっていた)w

メイソンの旅立ちのあたりは、ちょっと『トイ・ストーリー3』のエンディングを思いだしました。

『トイ・ストーリー3』でアンディは大好きだったオモチャたちと自分の「過去」を置いて旅立っていく。

『6才の~』で、メイソンは初めて撮った写真を置いていく。

母にはそれが寂しい。

息子は写真と同様に母親の自分を「過去」とともに置き去りにして行ってしまう。私は子どもたちのためだけにひたすら頑張ってきたのに。

パトリシア・アークエットの貫禄満点のムッチムチの身体はいかにも頑張ってる母さん、といった感じで頼もしいし、そんな彼女がしばしば見せる疲れた表情には実感がこもっている。

心なしかメイソンのカノジョのシーナと若い頃のパトリシア・アークエットが似てる気がしたんですが。

 
シーナ役のゾーイ・グラハムと『トゥルー・ロマンス』の頃のパトリシア・アークエット


人は時の流れは残酷だ残酷だと言うけれど、年をとるのってそんなに嘆かわしいことだろうか。

確かにパトリシア・アークエットの流す涙に痛ましさを感じはしたものの、それでもそんな彼女の姿に愛おしさも感じたし、白髪まじりで眉間に皺が刻まれたイーサン・ホークにも同様に年をとることの素晴らしさを感じたのでした。

あれほど愛し合ったはずのシーナは運動部の男に鞍替えしてしまい、その話を聴いたメイソン・シニアには「バカ女」呼ばわりされる。

メイソンとシーナの最後の会話を聴いてたら、必ずしもシーナだけに責任があるとはいえないと思ったけどな。

それでもそんな失恋を「忘れちまえ」という父の言葉には説得力がある。

いろいろ含蓄のあることも言うけれど、一方であまり深く考えてなかったりもする。こういう人、いる^_^;

ああいう父と子の関係って経験したことがないから憧れる。

父と息子の会話に何度もスターウォーズのネタが出てくるのがちょっとツボでした。

あんなふうに親身になって話を聴いてくれる父親、いいよなぁ。

なぜかこの映画の中ではアメフトとかサッカーとか運動部の男が悪く言われているんだけど、リンクレイター監督は体育会系になんか恨みでもあるんだろうか^_^;

でもメイソンの父親は息子たちを野球観戦に連れていくし、キャンプも好きだったりしてアウトドア派なんですが。

写真に興味があるメイソンの芸術家肌なところは誰に似たのかは不明だが、彼は母のいいところも父のいいところも等しく受け継いでいるように見える。

母のように勉強はしっかりやってるようだし、父のように友だちづきあいもそつなくこなす。

メイソンは大学の寮に入り、そこで早速気が合いそうなルームメイトと顔を合わせる。

パソコンで前もって互いに連絡を取り合っていたから相性もバッチリだ。

そして失恋の痛手などまるで実家に置いてきた写真のように過去のものとなって、また新たな恋の予感が(いいなー、コノヤロウ)。




同じ大学の女の子ニコル(Jessi Mechler)の言葉は、まるでメイソンへの啓示、そしてこの映画そのものについて語っているようにも聞こえる。

終わってみれば、この映画もまた「今この一瞬」についてを描いていたのだな、と。

6才は18才になって、過去はもう戻らない。そして未来もわからない。

ニコルとだってこの先どうなるか、なんの保証もない。

母親の失敗をずっと見てきているしシーナとの最後の別れ方にもけっこう危うさを感じたから、僕たち観客にはこれでメイソンの未来が安泰だなんて思えない。

これからもまた彼は別れと出会いを繰り返していくのだろう。

新しい世界に羽ばたいていくスズメバチのように大空を見据えているメイソンが眩しかった。

年齢的には彼の親たちの方に近い僕は、なんともいえないほろ苦さを噛みしめもしたのだけれど。

「ビフォア」シリーズもそのうち観てみようかな。



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