ジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本、ジェフリー・ラッシュ、ジム・スタージェス、シルヴィア・フークス、ドナルド・サザーランド出演の『鑑定士と顔のない依頼人』。PG12。
音楽はエンニオ・モリコーネ。
美術品の鑑定士で競売人のヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)のオフィスにクレア・イベットソンと名乗る女性から電話があり、彼女の両親の遺品の査定を依頼されるが、先方の屋敷に出向いてもクレアははけっして姿を見せない。ヴァージルはクレアの不可解な行動に振り回されるが、いつしかこの謎めいた依頼人に惹かれていく。
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレの最新作。
僕は彼の映画は『ニュー・シネマ~』とティム・ロス主演の『海の上のピアニスト』しか観ていませんが、特に『ニュー・シネマ~』は好きで観るたびにいつも泣いてしまう。
で、今回そのトルナトーレ監督の映画を久しぶりに観たんですが、予告篇ですでにわかっていたことではあるけれど、『ニュー・シネマ~』とはずいぶんと雰囲気の異なるミステリー映画でした。
何やら謎解きの要素があるということで、最後に「あっ」と言わせてくれるような映画は好きなので期待していました。
客席はけっこう埋まってて、作品の人気の高さがうかがえました。
実際、すでに観たかたがたの評価は高いし。
そして映画を鑑賞、となったんですが…。
観終わって、困惑してしまった。
何がって、ちょっと意味がよくわからなかったのだ。
ん、ん?…どういうこと?
普段偉そうに映画にあーだこーだとケチつけてるくせに、ミステリー映画のオチの意味がわからない、というのは、これは恥ずかしい。
他のお客さんたちの表情をうかがってみたが、別段戸惑っている様子もなく。
でも「…どういうことだったの?」とカレシに質問している女性はいたけど。
これは困ったので、いつもはあまり買うことのないパンフレットを購入。
家に帰って早速パンフを読んで、さらにネットで検索したところ、あるかたのブログに真相、らしきことが記されていた。
う~ん、しかしだな、それを読んでも僕は「あぁ、そうだったのか!」と得心するには至らなかったのだ。
むしろ、…エェ?それおかしくね?と。
いや、このブログ主さんの見解にイチャモンつけようというのではなく、しかしこの映画を観てここまで作り手の意図を忖度(そんたく)しなければならないのは、やはりちょっと納得がいかないのであった。
あぁそうか。
忘れてたけど、俺はアホだったんだ。
アホならば、作品が描いていたものが理解できなくてもしかたがない。
そう開き直って、これからしばらく頭の中でもう一度映画を再生しつつ、パンフや人様のブログと照らし合わせながら、抜けてるところだらけのパズルのピースを埋めていくとしよう。
では、これからストーリーのネタバレがありますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。
映画の原題は「The best offer(最良の出品物)」。
このタイトルがすべてを物語っているのだろう。
主人公ヴァージルは競売人でありながら、古くからの友人で元画家のビリー(ドナルド・サザーランド)をサクラとしてオークション会場に潜り込ませてお目当ての絵画を落札させていた。
彼はその絵を家の中の専用の部屋の壁一面に飾っている。
「本日の最良の出品物」という言い回しは、ヴァージルが不正に手に入れようとする品物をビリーに知らせる合図である(こんなやり方繰り返してたら顔覚えられてすぐバレるんじゃないかと思うんだが)。
そして、その“最良の出品物”というのは、ヴァージルにとっては謎の女クレアのことでもある。
何より驚かされたのが、「顔のない依頼人」などという思わせぶりな邦題がつけられてることもあって、僕はクレアは終盤まで顔を見せないのかと思ってたのが、けっこうあっさりとその正体を晒してしまったこと。
顔、あるじゃん、と。しかも美人。
身なりも綺麗でとても引きこもりの病人には見えないし、その後もヴァージルの要求に応えてどんどん露出が激しくなって、ついにはベッドイン。
この過程がもう違和感ありまくりで、だからこそこれは絶対に何かある(このフレーズ繰り返します)と注意深く観ていたのだが。
他人が怖い、とか言って部屋に閉じこもってるわりには普段は裸の上にシャツ一枚だけで、ヴァージルの前で『氷の微笑』のシャロン・ストーンばりにノーパン開脚してみせるとことか、あぁ、だからPG12だったのか、と。
ちなみに、ヴァージルはどうやら童貞だったという設定らしいが、まったくそうは見えない(「人嫌い」という設定なのに、けっこう人と難なくやりとりしてるし)。
キャプテン・バルボッサのベッドシーンという、誰得なサーヴィスあり。
このクレアを演じるシルヴィア・フークスという女優さんはオランダ出身の人らしいけど、劇中での美しい顔立ちながら神経質な感じがちょっとシャーリーズ・セロンを思わせなくもない。
おっぱいやお尻、そしてさっきのお股など、なかなか頑張ってサーヴィスショットを連発してくれてます。『氷の微笑』よりもよっぽど露出度は高い。
ただ、そうやってあっというまに素っ裸になってしまうから、まったく謎めいてはいないんだよな。
だから彼女が普通の格好でさっさと姿を現わしてしまったときには、なんともいえず肩すかしを食らった気分に。
そして、そのガッカリ感は最後まで拭えませんでした。
結局はクレア自身に魅力があるというよりは、何かといえば突発的に壊れる彼女をヴァージルがほっとけなくなる、といった塩梅で、そこから二人の関係が恋愛に発展していくというのがどうしても嘘臭くて。
クレアはラストでの失踪からも(映画の途中で一度失踪して屋根裏の隠し部屋に閉じこもっていたのはどういう意味があるんだ?)、おそらくヴァージルに気があるフリをしてただけなんだろうし、つまり彼女は「ニセモノ」だったわけだが、観客には初めから違和感がつきまとっているのだから、真相を聞かされても「最初からホンモノに見えなかったんですけど」としか答えようがない。
シルヴィア・フークスの演技がヘタだということではなく、これはキャスティングが失敗だったか演出がうまくいってなかったんじゃないかと思う。
というか、スイマセン、やっぱり脚本に問題があるのではないかと。
残念ながら、後半になって物語の展開はさらに陳腐なものになってしまう。
いや、絵画の中の女性たちだけを愛した初老の男の哀しくも心に刺さる話じゃないか、と言われるかもしれないけど。
でもさぁ、「広場恐怖症」だったクレアのこととか、修理屋のロバート(ジム・スタージェス)のこととか、彼らが何か仕組んでいたとしたらあまりに辻褄が合わないではないか。
じゃあ、クレアは病んでるフリをしてたの?15歳の時から12年間も?
それともその説明は使用人フレッド(TVドラマ「名探偵ポワロ」のジャップ警部役のフィリップ・ジャクソン)の狂言か?彼もグルなの?
やたらと女性にモテるロバートと恋人のサラの仲違いの一件とか(なぜロバートはわざわざサラの前でクレアの話をしたのか)、よくわからないところが多すぎ。
やがてクレアはあの屋敷の持ち主ではなかったことが判明する。
「広場恐怖症」なる奇病だったはずの彼女は、実際は屋敷を237回も出入りしていた。
だから“クレア・イベットソン”を名乗る彼女は、ほんとはどこの誰なのかもわからないニセモノだったということだ。
でもそれはおかしくないか。
長年の友人だったビリーがヴァージルを陥れようとしていた、というのもまったく納得がいかない。
なんでそんなことする必要がある?
ホンモノとニセモノを見分ける自分の審美眼に自信満々だったヴァージルの鼻をへし折るのが目的だとしたら、あまりに酷すぎやしないだろうか。
ってゆーか、どんだけ手間かけてんだよ。
この映画のパンフレットには、「すべてを失ったヴァージルに切なさを感じたり、痛快に思う人もいるだろう」と書かれているけど、僕はそのどっちも感じられませんでした。
どうやら作り手はヴァージルを潔癖症で人嫌いの鼻持ちならない奴として描いたつもりのようだけど、僕には彼がイヤな奴にはまったく見えなかったので。
少なくともクレアに対しては十分誠実ではないか。
僕がこの映画を観ていて妙に引っかかったのは、いきなりヴァージルに食ってかかったと思えばすぐにケータイ越しに「ごめんなさい!」と泣いて詫びるクレアの完全な“ヤンデレ”ぶり(それをしつこいぐらい何度も繰り返す)と、ロバートのことを急に疑いだしたりその直後に信用しきったりするヴァージルの、これまたつねに一貫性のない言動。
それはもしかしたら、ヴァージルという人物が実は狂気に陥っていた、ということを表わしていたのかもしれないけど、とにかく観ていてとてもイライラさせられました。
場面と場面がちゃんとつながっていないのだ。
それは意図的なものなんだと思ったし、後半の話の端折りぶりが激しすぎるのでこれは絶対に何かあるんだろう(2度目)、と思って観ていたんだけど、気づくとヴァージルはかつてクレアが恋人と訪れたというプラハの「ナイト&デイ」という店に独りで入り、店員に「連れがいる」と言ってキャメラが遠ざかっていって映画は終わっていた。
で、冒頭の僕のポカーンにつながる、と。
僕はある時点で、これは介護施設かどっかにいるヴァージルが見た夢、妄想の類いだと思ったんですよね。
夢オチなのかい、と。
なんか無精ヒゲ生やして車椅子を押されてたり、背骨を治すためかなんかの機械の中で回転してる姿が映しだされるし(あれは大ケガをした彼がリハビリしてる様子なんだろうけど、時系列をシャッフルしたあのカットバックは凄ぇわかりづらかったです※)。
実は、“クレア”というのは屋敷の前のカフェにいつもいる数字を暗記するのが得意な小人症の女性の名前で、あの屋敷「ヴィラ」の持ち主は彼女だった。
あの屋敷は映画製作者に貸していたのだという。
ということは、なんですか、あの査定の一件は全部「仕込みだった」ってこと?
そんなバカな。
ビリーは、長年に渡って友人のふりをしてきた男に『スティング』ばりの大芝居をカマした、ということか?
僕はこの映画を、TV番組「怪奇大作戦」の1エピソード「京都買います」みたいな話なのかと思ったんですよ。
「京都買います」は、京都の仏像を愛した女性が岸田森演じるSRI(科学捜査研究所)の所員・牧と心通わせるのだが…という、せつなくも幻想的な物語。
ビリーが描いてヴァージルに送った女性の肖像画は、クレア・イベットソンの「ヴィラ」に最初から置いてあったあの絵だった。
物語の最後が最初につながるのだ。
クレアが「母親の若い頃」と言っていたあの絵は、“クレア自身”であった。
つまり、絵画の中の女性をこよなく愛するヴァージルは、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」のように額縁の中の肖像画の女性を擬人化して、彼女と恋に落ちていたのだ。
そういうことでしょ?
だけど、パンフレットに書かれていた「真相」はそうではなくて、先ほどのブログ主さんの解説と同じものだった。
ヴァージルはビリーたちの「詐欺」に遭ったのだ、と。
詐欺の動機は、ビリーはかつてヴァージルに自分の絵の才能を否定されて画家として大成できなかったことから、積年の恨みを晴らそうとした、というもの。
そして真贋を見抜く能力を誇っていたヴァージルの鼻を明かすためだった。
それはなんとなくわかるんだけど、ただ、そうやって納得するにはどうもノイズが多いのだ。
クレアは自分を着飾らせて化粧させるヴァージルに「目的は私ではなく絵画なのだろう」と言ってヒステリーを起こす。
これもぜんぶ芝居だったのだろうか。でもそんなことする必要あるか?
あとから「みんな嘘でした。全部演技でした」と言えば済むんだったら、なんだって通用するよな。
でもそれはミステリとしてはあまり褒められたオチとはいえないのではないか。
また、ヴァージルの依頼で彼が屋敷から見つけてきた自動人形(オートマタ)の部品を組み立てて修理するロバートは、一体何者だったのか。
ヴァージルとロバートは以前から付き合いがあったわけだから、だったらこれは何年越しかの計画になる。
ロバートが私生活を詮索されるのを嫌い、サラと言い争ったりしていたのは、クレアと共謀していた証拠ということなんだろう。
クレアが誰もいないと思って姿を現わし、部屋の物陰に隠れたヴァージルに気づかないまま(気づかないふり?)ケータイで話していたのはロバートか?それともビリー?
でも、クレアやロバートがビリーの仲間だったとしても、ヴァージルの行動や考えが全部彼らに筒抜けになるのはあまりに都合が良すぎるでしょう。
ヴァージルの持ち物(スマホや車など)に発信器が取り付けられていた、というのはこれ見よがしに伏線が張られているが、あまりにも無理がありすぎると思う。
繰り返すけど、そんな物を使いだしたらなんだってできるって。
ビリーはともかく、なぜロバートがビリーと一緒にヴァージルをハメなければならないのかまったくわからないし。
ヴァージルがやたらとクレアのことをロバートに相談するところも物凄く不自然で(だって彼を疑ってたじゃん)。
そもそもヴァージルがクレアに恋心を抱かなければ何も始まらない話じゃないですか。
絵にしか興味がない男が生身の女性に好奇心から近づく、という展開をなぜ前もって予測できたのか。
ヴァージルが隠れてクレアの正体を探ろうとすることまでビリーは読んでいたのか?
それに「ヴィラ」の中にあったあの膨大な数の美術品は誰の物なの?
美術品を査定してるヴァージルの代理人たちはホンモノでしょ?
まさか、まわりは全員グルだった、とでも言うんじゃないだろうな。
あと、ヴァージルが雨の中“都合よく”暴漢(ビリーに雇われた?)に襲われて、クレアが走って近寄り、助けを呼ぶ場面はなんだったの?
とにかく、腑に落ちないところがありすぎで、あれで「このどんでん返しはどーだ!」とドヤ顔されても困るのだ。
これはけっして「重箱の隅」を突いているのではなくて、僕程度のアホにだってツッコまれるような隙がありすぎるシナリオだということです。
一度どなたかアホにでもちゃんとわかるように説明してくれないだろうか。すっごくモヤモヤすんですが!
舞台は中央ヨーロッパの何処かという設定でさまざまな町でロケ撮影が行なわれたようで、映し出される町並みは美しい。
『シャイン』や『英国王のスピーチ』のジェフリー・ラッシュやつねに潤んだ眼が迫力満点のドナルド・サザーランド、『クラウド アトラス』のジム・スタージェスなど出演者たちの演技もよかった。
ただ、ミステリーとしては僕はあまり楽しめなかったです。
いろいろ中途半端に辻褄合わせようとして、合っていないので。
だから、これはもっと幻想的な話にするべきだったんじゃないですかね。
悲劇に終わるにしても、哀れな鑑定士が騙されておしまい、っていう味気ないものじゃなくて、単なる象徴としてではなくクレアはあの肖像画の化身みたいな存在だった、ってことでいいではないか。
あのクレアは「ニセモノ」だったけど、ヴァージルにとってはホンモノのように光り輝いていた、というように、これは十分“悲恋”の物語となっただろうし、トルナトーレはそのつもりで作ったのかもしれないけれど、せっかくホンモノとニセモノを対比させた魅力的な題材なのに、それがうまく機能してない気がしたんですよね。
ちょうど『ミケランジェロの暗号』を観たときに感じた不満にも似ている。
さっきも言ったけど、何よりもまず“ホンモノと見紛うほどの魅力”がクレアからは感じられなかったんです。
結論。俺はヤンデレは嫌い、これに尽きるのかな。
※これも別のかたのブログでの解説で、あの時間の入れ替えには意味があったことがわかりました。でも「フーン」という感想しか湧いてこない。すみません、アホなんで。
※エンニオ・モリコーネさんのご冥福をお祈りいたします。20.7.6
※ドナルド・サザーランドさんのご冥福をお祈りいたします。24.6.20
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