ミシェル・アザナヴィシウス監督、ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ出演の『アーティスト』。
第84回アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞など5部門を受賞。
作品賞をマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』と競って、見事勝ち取ったのも記憶にあたらしい。
1920年代末のハリウッド。サイレント(無声)映画のスター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)と新進女優のペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)の物語。ふたりが出会ったばかりの頃はジョージは人気絶頂だったが、やがて時代はトーキー全盛となり、サイレント映画に固執する彼はおちぶれていく。一方、コケティッシュなペピーは人気者になって主演映画はヒットする。
以下、ネタバレあり。
1920年代のハリウッドを舞台にしながら、監督と主演男優、助演女優がフランス人で、全篇モノクロ(白黒)、しかも音声はほぼ音楽のみで台詞は字幕(一部音声あり)でとおすという異色作。
まるでクラーク・ゲーブルのようなちょっと古風な口髭の伊達男ジョージを演じるジャン・デュジャルダンが、もういかにも当時のハリウッドスターのような顔立ちと表情、立ち居振る舞いで観ていてじつに楽しい。
ヒロインのペピーを演じるベレニス・ベジョは絶世の美女というよりはちょっとファニーな感じの女優さんで、映画のなかでフラッパーのような格好で軽快なダンスを見せる。
最後にジョージとペピーが見せるタップダンスの気持ちよさ。
おもわず往年の名作を観たくなった。
ストーリーは非常にシンプル。
サイレント映画のスターだった主人公が時代の波に乗り損ねて、意地で監督にも進出するが作品は大コケ、世界恐慌のあおりもあって破産、妻に家を追い出されて路頭に迷う。
もともとはエキストラだった若い女優はいまや大スターとなってなんとか主人公を救おうとするが、彼はプライドが邪魔してまわりの人々の厚意を素直にうけることができない。やがて…という話。
まず、僕がサイレント映画を映画館で観るのはずいぶんひさしぶりで、多分数年前の『メトロポリス』以来だと思う。
『メトロポリス』は1927年に作られたドイツのフリッツ・ラング監督の作品で、SF映画の古典である(手塚治虫の同名漫画はこの映画からタイトルがとられている)。
長らく多くの場面が散逸した状態だったが、2002年に修復されてのちに日本でも公開された。
2010年にはさらにあらたに発見されたフッテージが復元されたヴァージョンが作られ、日本でもBDになっている。
1927年といえば、『アーティスト』はちょうどこの年からお話がはじまる。
ハリウッドでジョージがペピーと出会っていた頃、海の向こうのドイツでは映画会社ウーファによって超大作『メトロポリス』が作られていたというわけだ。
んで、イタリアのアドリア海ではブタが飛行艇で空飛んでたのね(『紅の豚』の舞台は1929年)
『メトロポリス』に登場する近未来の超高層ビル群は、フリッツ・ラングがアメリカをおとずれたときに見た摩天楼がもとになっている(そしてのちのハリウッド映画『ブレードランナー』にも影響をあたえている)。
アメリカ文化、そしてハリウッドは世界中のあこがれ、手本でもあった。
この『メトロポリス』以前に僕が映画館で観たサイレント映画は、チャップリンの映画のリヴァイヴァル上映。
『キッド』(1921) 出演:チャールズ・チャップリン ジャッキー・クーガン エドナ・パーヴィアンス
おなじみ放浪紳士チャーリーのドタバタコメディには彼自身が作曲した伴奏曲、そしてときに効果音なども加えられていた。
チャップリンのサイレント映画の「音楽」や「効果音」は、もちろんフィルムに音声が入るようになったトーキーの時代になってから付け加えられたものだ。
もともとサイレント映画には「音」が一切入っていない。
ちょうど『アーティスト』の冒頭のように、映画の上映時にはオーケストラが生演奏していた。
ジョージの主演映画が上映されるこの場面からしばらくはずっと音楽しか流れないので、映画館で観ていて落ち着かないことこの上なかった。
たとえば先ほどの『メトロポリス』は、全篇に重厚な交響曲が鳴り響くので映像の迫力とともに画面に惹き込まれるが、『アーティスト』はラヴロマンスなのでわりと静かなシーンも多い。
だから物音立てると劇場で目立つので、ちょっと緊張してしまった。
そういうときにかぎって、静かな場面でお腹が鳴っちゃったりして
最初から「サイレント映画」とことわられているので、このまま全篇音楽だけなのかとも思ったが、やがてサイレント映画の時代が終焉をむかえてトーキーが作られるようになると、この映画自体にも変化が起こる。
映画会社キノグラフの社長(ジョン・グッドマン)からトーキーに移行するよう促されても勝手知ったるサイレントにこだわってかたくなにトーキーを拒むジョージは、余裕しゃくしゃくで監督業にまで乗り出して、従来のサイレントの手法で映画を作る。
しかし、サイレントはもはや飽きられ、彼の映画は劇場で閑古鳥が鳴く。
そしてジョージが悪夢を見る場面で、この映画に音楽以外の「音」があらたに加わる。
「環境音」や「効果音」である。
コップを置けば音がして、外からは空気の音やエキストラの女性たちの笑い声が聴こえてくる。
しかしジョージの「声」だけが聴こえない。
これはなかなかの恐怖だが、あらためて映画というものにはじつに多くの「音」があふれていることがわかる。
「サイレント映画は苦手」という人は、きっとこの“当たり前にあるはずの”多くの音や声がないために映画に没入できないのだろう。
またこの映画でもペピーがいうように、サイレント映画の役者たちの「誇張された演技」にリアリティが感じられずに、やはり映画に集中できないのだと思う。
サイレント映画はトーキー映画よりも抽象度が高く、観客が想像で補う必要がある要素が多い。
だからたくさんの音があるのが当たり前の状態からいきなり情報量のすくないサイレント映画を観ると戸惑うのだ。
カラー映画しか観たことがなくて、モノクロ映画を観るとなかなか映画に入り込めない、という人がいるのもおなじこと。
正直、僕も今回しばらくはそんな感じだった。
コップや椅子の音、撮影所の外のざわめきが聴こえた瞬間に、妙な感動をおぼえたのだった。
映画はそれからまた音楽だけに戻る。
でも一度得られた「音」のことは忘れられないので、今度はいつまた「音」が鳴るのだろう、とちょっと楽しみになってくる。
この「映画が音声を獲得した瞬間」を描いた作品にジーン・ケリー主演のミュージカル映画『雨に唄えば』がある。
劇中で映像と音声トラックがどんどんズレていって大変なことになる抱腹絶倒のシーンがあるが、見方を変えればあれは悪夢のようにおそろしい場面でもある。
僕らは普段意識しないが、映画に普通に音声が付いている、というのがいかにスゴいことなのか。
ちなみに『アーティスト』の冒頭でジョージが舞台の上で観客に挨拶しながら共演女優をからかうところは、『雨に唄えば』の序盤にほとんどおなじような場面がある。
映画業界のバックステージ物であると同時に本格的なミュージカル映画の誕生を予感させるラストなどもまた『雨に唄えば』をおもわせる。
『雨に唄えば』(1952) 監督:ジーン・ケリー スタンリー・ドーネン
出演:ジーン・ケリー デビー・レイノルズ ドナルド・オコナー
この『アーティスト』のなかでジョージがサイレントにこだわりトーキーをオモチャあつかいして拒む理由は「私は芸術家だ」といういささか要領を得ないものだが、なかには悪声だったり海外出身のために外国語なまりがキツくて(サイレント時代は録音しないから本番中もけっこうデタラメにしゃべっていた)トーキーに適応できなかった映画スターもいたようだ。
そういえばこの映画の主演ジャン・デュジャルダンはアカデミー賞受賞の壇上で、「私は英語がしゃべれませんので」と途中からフランス語でスピーチしていた。
また先ほどのチャップリンのようにトーキーの時代になっても音楽と字幕付きのサイレント映画(サウンド版)を作りつづけた人もいる。
チャップリンが映画ではじめて「台詞をしゃべった」のは、すでにトーキーの時代になってずいぶん経った1940年の『独裁者』だった(それ以前に『モダン・タイムス』で歌は唄っているが)。
そういった、古いものが忘れられ捨てられていく哀しさを描きつつも、音が付いたことによる映画のさらなる可能性についても描かれている。
それがラストのジョージとペピーのダンスだ。
音楽に合わせて出演者たちが見事なステップを踏む。その姿と心地良いタップの音が観客を魅了する。
映像と音声の理想的なコラボである。
この映画にはまだ「歌」はないが、最後にジョージとペピーが言葉をしゃべる。
社長も映画の撮影スタッフたちも「声」を手に入れる。
それはスコセッシが『ヒューゴの不思議な発明』で「動き」を手に入れた映画の原初的な喜びを描いていたのに似て、いまここで映画の成り立ちに立ち会っている気持ちにさせられる。
この時代に「あえてサイレント映画を作ること」。
この映画の素晴らしさは、映画館の大きなスクリーンで「サイレント映画」を観る楽しさをもう一度思い出させてくれたことだろう。
サイレント映画をはじめて観る人には新鮮だろうし、これまでに観たことがある人には、また昔のサイレント映画を観たいと思わせてくれる。
ストーリーそのものはじつに単純というか、たわいない。
ペピーや多くの人々に助けられながら、そのことに感謝するわけでも一念発起するわけでもなくいつまでも過去の栄光と肥大したスターのプライドに囚われているジョージについては、あのハッピーエンドといいちょっと虫が良すぎるんじゃないかとは思う。
どんなにおちぶれても無精ヒゲも生えず髪も伸びずにキレイなままなのは、サイレント映画らしさをねらったものなんだろうか。
正直いってこれは“ラヴロマンス”というよりも、ペピーの、そして飼い犬ジャックのジョージに対するひたむきな献身の物語なんじゃないのか。
昔のサイレント映画にだってこれよりももっと複雑で深い物語はいくつもある。
だから、これを機会に昔のサイレント映画に興味をもつ人が増えてくれればなによりだ(って、えらそーにいえるほど僕も数観てないが)。
主演のデュダルジャンをはじめ、エキストラもふくめていかにもあの時代にいたような顔の出演者たち。
ジョージのお付きの運転手役はジェームズ・クロムウェル。
撮影所の場面でマルコム・マクドウェルがワンシーンだけ出てたりする。
犬のアカデミー賞を獲ったジョージの飼い犬ジャックこと“アギー”の演技も微笑ましい。
アメリカ人の映画監督マーティン・スコセッシがフランスを舞台にして撮った『ヒューゴの不思議な発明』と、反対にフランス人監督とフランス人俳優たちがハリウッドを描いた『アーティスト』。
舞台になっている時代も1930年前後。
なにやら「映画愛」の交感がおこなわれているようで感動的ですらある。
「映画愛」。
『ヒューゴの不思議な発明』の宣伝でもこの言葉が使われていて逆に警戒した人もいるようだが、映画についての知識とかそんなものよりも、これらの作品を楽しむのに必要なのはやはり映画に対する興味、そしてとにかく「好き」って気持ちじゃないだろうか。
僕は映画が好きだし、映画に関することを見たり聴いたり読んだりするのも好きです。
ただそれだけ。
だからこの作品を観て、映画がまだ若かった時代に想いを馳せてしばし時をさかのぼることができました。
また『雨に唄えば』観たくなったなぁ。
いやぁ、映画ってほんとうにいいものですね。
それではまた、お会いしましょう。
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