直木賞受賞作。時代物だと読んでしまいます。
極楽 征夷大将軍
垣根涼介 作
文藝春秋
主人公は足利尊氏。
と、言いたいところですが、その弟の足利直義かな?
尊氏を描いた長編ではあります。
しかし、そこに登場するのは直義や師直から見た尊氏です。
この尊氏のキャラクターを新しく感じました!歴史物の小説のしかも歴史に名を残しているような主人公であれば、普通は英雄として描かれます。決断力があり、自分の運命を自分で切り拓いていくような。何か新しい時代の扉を開く力を持っている、そんなヒーローです。
尊氏は全然そういう感じじゃないんです。むしろ、尊氏を助けて幕府の開闢にまで至らせた弟直義の方が英雄と言えるかもしれません。
尊氏は人任せな男でありながらも、足利宗家の惣領だから、名目上は高い地位に登った。でも、それは直義の力だった。
というところです。しかも、小説の中で尊氏は常に他人の視点から描かれるので、実際本人が何を考えていたのかは描かれないのです。
初めは、呆けて見えるぐらいにスケールの大きい人なのかな?と思いましたが、そうでもないようです。
武士たちや組織の運営など、直義に任せて平気です。その一方素朴に神仏を信心していたり。天皇を尊敬していたり。現実の面倒なことは全て人に任せて、自分は呑気な善意の人でいるようにも見えたりします。
ちょっと捉えどころのない主人公が不思議で気になりながらも、兄を助けて武門をまとめる直義に感情移入しながら読み進めました。
小説も終盤に差し掛かるころ、作者の見解が登場します。
……尊氏は、我ら現代人によく似ている。
確固たる生き方の規矩を持たず、現世での苛烈な野心も、我が生に対する使命感のようなものも格別にはなく、それゆえに自己の不在という虚しさに折り合いをつけることも叶わないまま、時に無気力になり、欲望が剥き出しの時代の中に漂い続ける。存在の希薄さゆえの、自己矛盾を抱え続ける。
それでもなんとか人並みにさえ生きられれば、充分ではないかと願っている。実は『人並み』などという生き方は、どこにも存在しないと薄々気づいているにもかかわらずだ。
このような精神構造の人間が中世に武門の盟主として実在し、逆に塩味のたっぷりと利いた後醍醐天皇を駆逐して、室町幕府の初代征夷大将軍に就任したこと自体、日本史上の奇跡ではないだろうか。(382ページ)
ここに尊氏のキャラが説明されていますね。確固たる生き方を持たず、野心や使命感もない。希薄な存在。およそ歴史物のヒーローらしからぬ、アンチヒーロー尊氏。それは私たち現代人の姿でもある、というのです。
欲望がむき出しの時代に漂っているのも現代と同じ。戦争をするのも、便利な文明を発展させるのも、その原動力は人間の欲望です。
歴史小説の不思議な主人公を追っていったら、それは、現代を生きる自分の姿でもあった、というところでしょうか。
物語の視点が、直義や師直であり、彼らから見た尊氏であることによって、私たち読者も現代人の姿を俯瞰してみることができるのかも知れませんね。
読み応えのある作品でした!