ダウン症と宣告されました⑫きょうだい児の学校や幼稚園への対応

の続きです。


私が少しずつですが、前向きな気持ちになってきた頃、

実家の父母と、隣に住む義母にも、

ちゃんと理解してもらいたいと思って、

Yちゃんママから教えてもらった

ダウン症に関する本を

「赤ちゃんには、こういう障害があるから、読んでね」と言って、

手渡しました。 

どちらも親戚に障害のある人がいなかったので、

受け入れてもらえるのか?心配でしたが、

全く拒否することなく、

まるごと受け入れてもらえたことは、

私にとって、大きな支えになりました。

実家の父母は「一人で抱え込まないで。。。

できるだけ長生きして手伝うから」と言ってくれました。

 

その後、月に3回ほど通った療育センターには、

運転が出来ない(怖くて出来ない)私のために、

毎回、父母がお迎えに来てくれました。

孫の中でも特に可愛いと言って、

可愛がってくれたことも、

私の大きな支えになりました。

 

また義母は、隣に住んでいたのに、

私が赤ちゃんを見せないことを心配していたらしく、

「だからだったのね」と、合点がいったようで、

それから毎日、朝から赤ちゃんの

ミルクをあげてくれるようになり、

私の負担を軽くするように努めてくれました。

 

全身の筋力が弱いのでミルクの飲みも悪く

1時間かかっても50ccくらいしか飲めず、

 

ミルクを飲んだあとのゲップもなかなか出ないので、

抱っこして背中をたたくのに長時間を費やしました。

 

また力む力が弱いので排便も難しく、

お腹や肛門の周りのマッサージが必要でした。

 

お腹が空いても、泣くには腹筋が必要なので、

目が覚めても泣いて知らせず、

気が付くと静かに涙を流していた。。。

ということもありました。

「夜中に気が付かず

ミルクをあげないと脱水症になる!」と医師には

注意されました。

 

 

内臓に疾患がなかったことは幸いなことでしたが、

感染症に弱いので風邪を引くと

あっという間に重症化して、

入院という事態におちいりました。

(3歳までに9回入院しています。) 
 

でも、その後は入院するほどの病気にもかからず、

比較的成長もゆっくりながら順調に育っていきました。

 

 

とにかく、その屈託のない笑顔が

私たち家族の大きな支えとなりました。

 

家族の支えと共に、私にとっては、

「えほん文庫」をオープンしたことが

大きな拠り所になり、

たくさんの方との出会いを生むことになりました。

 

えほん文庫のオープンについては、

次の記事

えほんぶんこ物語①ショックで忘れていた開館のこと

に続きます。

 

 

今日もお読みくださって、

ありがとうございました。

皆さまに読んでいただいていることが

記事を書いていく励みになっております。

 

私が11年綴っている「えほん文庫」のブログはこちらです↴

https://ehonbunko.hamazo.tv/

 

2023年8月3日~5日に開催した

ダウン症少年画家ごうきのミライエ展を

 

 

取材して紹介していただいた

静岡第一テレビのニュースはこちらです↴

 

サインペンで創造するシュールでポップな世界観 ダウン症少年画家「ごうきさん」作品展 浜松市北区 8月5日まで(Daiichi-TV(静岡第一テレビ)) - Yahoo!ニュースダウン症の少年画家「ごうきさん」の作品展が3日から浜松市北区で開かれています。 ダウン症の少年画家 大村剛輝(ごうき)さんの作品は、サインペンを使って創り出すシュールでポップな世界観が特徴です。会リンクnews.yahoo.co.jp

 

 

※ダウン症の告知についての体験談は、

9年前から、聖隷クリストファー大学 助産学専攻科にてお話しさせていただき、

4年前からは、浜松医科大学でも非常勤講師として授業をしています。

 

☆2023年、現在のごうきは特別支援学校の高等部1年生で、

昨年から、ダウン症少年画家ごうきとして、

絵の個展を開くなどの活動を始めています。

2022年秋の作品展の密着取材
(私のインタビューと作品展の様子がわかる)YouTube動画はこちらです。↓

 

 

 

家族の中心にごうきがいることを幸せに感じております。