“ら抜き言葉”について調べてみた |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ


日本語の乱れでよく指摘される“ら抜き言葉”、検索してみたら出るわ出るわでいささか食傷気味です。わたし自身は経験値で分かっていて使い分けているつもりですが、いろいろと深い考察があって興味深かったです。

簡単に説明すると『○○をすることが出来る』という可能の意味の『られる』から『ら』を抜いてしまうもの。具体例をあげますと☟


〇見られる   ×見れる
〇来られる   ×来れる
〇食べられる  ×食べれる
〇投げられる  ×投げれる
   などなど


問い?の形でも、よく使われていますね。

×『そっちから見れる?』
×『今からでも来れる?』
×『ご飯もう食べれる?』

ほかには、野球選手の投手が

×『明日も投げれますっ!』

一般の方が取材インタビューで

×『ここに来れたことを嬉しく思います。』


かなり口語(話し言葉)では浸透している“ら抜き言葉”ですが、文語(書き言葉)では採用されていません。上記の『投げれる』『来れた』などをテレビで発言していたとしても、テロップ(字幕)では「投げられる」「来られた」と表示されます。

新聞・教科書でも採用されていませんし、テレビ・ラジオのアナウンサーは“ら抜き言葉”を使いません。現状はこうなので、公式な場で使わないように、年輩の方・目上の人・上司・お客さまに対して使わないように、しないといけないでしょう。“ら抜き言葉”が気になる人はたくさんいらっしゃいます。

“ら抜き言葉”そのものの是非については語りません。専門の学者や研究者のかたにお任せします。現状はこうだから気を使ってくださいという意味で申し上げています。言葉は時代によって変遷していくので、“ら抜き言葉”は今後もっと定着していくのでしょうね。

言葉が変遷しなければ古文と言う授業は存在しない。自分自身は遺憾に感じていますが、仕方のないことです。有名な話ですが、日本古典文学の巨匠たちも日本語の乱れについて自著で嘆いておられたりしますw

清少納言先生の場合:枕草子195段


古文を読めなくても、なんとなく女史が言葉の使用に激しくお怒りなのは伝わってきます

← 現代語訳(クリックで拡大します)

清少納言先生、
かなり怒っておられます。

   

   訳、引用元http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2125406.html



吉田兼好先生の場合:徒然草22段


引用元:http://www.1-em.net/sampo/turezure/turezureA.htm
現代語訳 ☟

訳。引用元:http://www.tsurezuregusa.com/index.

隠居した爺さんの愚痴ですが、吉田兼好先生もかなり嘆いておられますねえ~



繰り返しになりますが、現状、“ら抜き言葉”は間違った言葉使いとされています。“ら抜き言葉”の公式な場での使用は、「教養と品性が足りていない」という印象を持たれかねないので、お気を付け下さい。損ですから。

身内・仲間内での口語に関しては、現状でも使用して問題ないでしょう。ら抜き言葉の用法は、可能を意味する『られる』だけを“ら抜き”にしますので。便利と言えば便利w

自発・尊敬・受動の意味の『られる』
は“ら”を抜いちゃダメですよ!!

自発:『大変よく知られている』『先行きが案じられる』『春の気配が感じられる』
尊敬:『嘆いておられる』『もうすぐ先生が来られる』『もう陛下は出られました』
受動:『じろじろ見られそう』『蛙が蛇に食べられる』『組んだ瞬間に投げられた』



言葉は時代に応じて変遷するので、何十年後かには現代国語の著名な先生が授業でこう教えているかもしれません。






昔の旧い用法の例としてね。
公式認定までお待ちくだされ!



   画像引用元:http://ameblo.jp/itsuyaruka/




それまでは公式な場での使用は控えることをお勧めいたします。



 ~ ~ ~ ~ ~ お し ま い ~ ~ ~ ~ ~ ~