「生まずして何が女性か」という知事選の応援演説の発言が問題になっているようです。
議員誕生という意味で使用した言葉のように感じますが
メディアの記事の書き方が女性に配慮が欠けていて、ニュースを見ていてあまり気持ちがよくありません。
多様性が認められる世の中になり、あらゆるパラドックスも生まれているとも感じます。
言論の自由へのパラドックス、多様性のパラドックスなど
あらゆるパラドックスがうまれているからこそ、住みにくい世の中になっているような気がします。
寛容な社会は、全ての主張に対して寛容でなければならない
つまり、寛容な社会は不寛容にも寛容でなければならない
もし不寛容な立場を認めない寛容な社会があれば、それが寛容のパラドックスである
寛容な社会を目指すのなら、社会は不寛容も認めなければならないと思います。
ただし、社会にいる個人がその不寛容を認めるかどうかは別です。
不寛容を認めるか認めないかは、国民の知識レベルによるものだと思います。
不妊治療に対しても同等のことが言えると思います。
自己卵子での治療を続けるか
卵子提供を決断するか
ご夫婦で生活するか
どの決断も間違っていないと思います。
家族の形は自由であるべきですし、生き方も自由であるべきです。
パラドックスが生じないように、それぞれの生き方を認めるのが大切だと思います。
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