うちの道場も当然のことながら見学者が来てくれます。
見学者の方もいろんな武術やスポーツを練習されている方が戴氏心意拳や八卦掌を
体験にきてくれます。
体験の方の武術歴やお話を聞いたり少し交流したりするのは大変楽しい時間であります。実力も個人差があり未熟な方もいたり、かなりできる方もいたり。
しかし、まれに十年以上私と同じような武術を練習されているにも関わらず、ほとんど内容を教えてもらっていない方がおられることに少々腹が立つ事も有ったりします。根本技術や根本の力の出し方を全く習ってきていない。
悲しいことですが中国武術ではよくある話です…
これをもしお教えする側が意図的にやっているのでしたら、深い憤りを感じます。
そしてお教えする側が知らないで武術を練習されているのでしたらもう少しその武術を深く勉強されてから生徒さんを取った方が良いかと感じてしまいます。どういう理由で生徒さんをお教えしているかはわかりませんが、その生徒さんが費やした時間とは何だと思うような事をお教えして、もし高いお金を取っているのでしたら武術としての義は無いものと考えねばなりません。悲しいですね。
良き理由にて教えないのであれば、それは致し方なしですが。
大変難易度が高いことや、未熟練者には身体的な負担が大きいなど、愛があるのでしたらそれは致し方ないでしょうね。
そんな愛無き師匠に何故長くついて習う方がおられるのでしょうか。
一つは情報の難民である可能性があります、昨今においても携帯電話を持たずインターネットを見ない方がチョクチョク数年前の月刊「秘伝」の付録 道場ガイドを見て電話をしてくる方が2,3年に一人はおられます。驚くことに年齢もさほど高齢ではなくそこそこ話も出来て東京近郊にお住まいだったりします。そのように情報を極度に取得しない方は一つの情報に固執して周りを見ないためそのような事故が起こり得ます。
一つの例ではあります。
またはものすごく出来た方である可能性もあります。
”義”がある方であれば一人の師に付けば他の師に教えを乞うようなこともないかと思います。こういう方は非常に珍しいですが。
戴氏心意拳でも"義"の無いものには教えることは出来ないと書かれています。
そういう生徒さんなら戴氏心意拳の伝統をしっかり受け継いでもらえそうで、頼もしいですね。