何を選ぶかは自分次第 | こめじるしるーむ

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私として生きる



肉体をもった私を意図している大きなものは、魂とかハイヤーセルフと呼ばれています。
”本当の自分”と呼ばれる事も多い領域です。

これは、私と言う存在の一部と言うよりも、私と言う存在がこれの一部という解釈ができます。
肉体をもった私も英知溢れる自分の一部であり、
肉体の中に自分の全てが入り込んでいるのではなく、
自分の大部分は現在も別の次元で存在しており、そこから肉体を感じている…という感じです。

物質世界が水の中にあると仮定して、足湯に入っているとします、
その湯の中に入り込んでいる足が「物質としての私」と認識しているところで
湯につかっていないそれ以外が、魂とか本当の自分と言われている領域です。
足湯に足を入れたらそこで体感する事を”自分”が感じます。
なので、肉体をもった私達が行う事は、英知と言われている自分の本体に
新しい情報や経験をつませていく事となります。

*-*-*

肉体をもった私達の足が、自由意思で動き回る事はできませんが、
英知が創造した自分の一部である「私」という存在には自由意思が存在しています。
どうしてそういう事が出来るのかと言うと、私達の本体はエネルギー体だからだと思います。
全ての物質がエネルギーの集合体であると言うのが科学的にも解明されつつある今、
この考えは決して不自然では無いと思います。
そしてそのエネルギーは”意図”に反応し、意図の通りに成るとされています。

馬鹿でかいエネルギー体である「元々の私」が、自分の一部のエネルギーに、
「こんな感じの人間になーれ」といって意図してできたのが、この私という感じです。
意図した人間になるように世界に協力を求め、丁度よかったのが地球で日本で
この親の肉体的な特徴を受け継いでいて…という感じなのかもしれません。
全ては偶然の産物では無く、意図的にもたらされた結果、と言えます。
そして、肉体を持った私と言う存在を最も望んでいたのは、自分自身で在る事もわかります。

*-*-*

自分が肉体をもった私を創造したのは、経験するためだと思います。
だからこそ、自分の意のままに動く道具を作るのではなく、
自分では考え付かないような選択を行う事もある、
自由意思をもった存在をイメージしたんだと思います。
これは、もっと多くを経験したいと思った神が、世界を創造したという神話に似ています。

私と言う存在の本体は、私が経験する事を望んでいます。
だからこそ、様々な経験を望む自分の一部を歓迎していますし、その全てを承諾しています。
そして、肉体を持った自分が選ぶ全てのものを受け入れています。
そうする事が、本体の望みだからです。

ただ【この私として生きる】という基本的な意図は、
自由意志を与えられた私が肉体として生まれてから持ったものでは無く、
肉体として在る前から、既に魂により設定されたいたものだと思います。
だからこそ、ありのままに生きる、自分として生きる、私で在ると言う事は魂と同調する事になります。

私は私であるが、別人のようにふるまわなければ生きていけないと思うのであれば、
魂はそれを承諾して受け容れると思います。
ですが、それは自分の基本的な部分とかみ合わない事をしているので違和感を感じます。
その違和感が、こんなはずでは無いという不満や不安なのかもしれません。

*-*-*

自分の経験する人生の中には、
肉体をもった私が創造してきたものと、魂が創造したものとの二種類があります。
肉体をもった私が多くの恐れを抱えている場合、肉体が創り出すものの多くが恐れです。
対して、恐れだろうが喜びだろうが、経験としてカウントしている魂は、
恐れなんてこれっぽっちも保有していないので、
自分がより大きく成長するための経験を創造していきます。

肉体をもった私が「もっと多くの愛を経験したい」と言えば、それを創造しますし、
肉体をもった私が「海外の人と友達になる経験がしたい」と言えば、それを創造します。
色々な可能性を見て、色々な判断を行って、色々な価値観を生み出す肉体を持つ私が
初めて見る世界の中でその経験を望んでいると言う事は、
自分にとっても素晴らしい経験になるだとうと判断するからです。
だからこそ、魂は肉体をもった私が願う経験ができるように意図を行います。

ただ、そのようになるはずがないという恐れや否定の感覚を肉体が持っていると、
自分の人生には「望む経験」と「望まない経験」の2つが構築されます。
そして、そのどちらを選ぶのか?と言う事になります。





私達は、自分の中にある信念を最も強く信頼しています。
信念は過去に経験したことから構築されている場合が殆どなので、
自分の経験してきたこと、もしくは、自分の知っている世界が経験している事を選んでいます。
つまり、殆どの場合、同じことを繰り返しています。

その信念の形状、自分の知っている事、経験してきたことが、
自分に痛みを齎す事、沢山自分を否定する事だと言うのであれば、
目の前に現れる無数の選択肢から、あえて、自分を追い込むような選択を行います。

ですが実際には、そこには「痛みを伴わない人生」も用意されています。
理由は、私がそれを望み、魂がその経験が出来るように創造しているからです。
だからこそ、今までの価値観から物事を選んでいる限り、
何も変わらないと言われます。

自分の人生を変える時に必要なのは、自分という存在を変えるのではなく
意識を向けている方向を変える事が大切です。
自分が何を受け取るのにふさわしいのか、自分がどのような人間なのか
自分の人生はどのようなものだと把握しているのか、そういった価値観を変える必要があります。
価値観が変われば、自分が現実から選んでいくものも変わります。

*-*-*

明確にハッキリと、AとBどちらを選ぶのかという選択だけではなく、
ある一つの物を見た時に「どう思うのか」も選択になります。
多くを否定し、批判し、拒絶するような癖を身につければ身に着けるほど、
この人は「否定できるもの、否定したくなるもの」に多くの意識を傾けるようになっていきます。
そうして、その経験を自ら選び、人生で体験します。
だからこそ、人生を変える為のテクニックに、これらを辞めると言う事が盛り込まれています。

肉体をもった私を意図した魂は、私が経験したいと思う人生の流れを創造してくれます。
ですが、そこを選ぶかどうかは、肉体をもった私に委ねられています。
どれを選んでも魂はそれを良しとします。魂からしたら、全てが経験だからです。

肉体をもった私が経験したい事を経験できる人生にしたいのであれば、
既存の価値観から抜け出し、新しい視点から物事を見つめる必要があります。
自分は愛されてはいけないと信じていたのであれば、
自分は愛されていいのだと信じるようにします。
そうしないと、同じものを何度も繰り返し選ぶからです。

それだけで何が変わるんだと思う時は、まだ、既存の価値観を信じている時です。
自分が意識を向けている方法が変わると、以前の考え方が分からなくなります。
これは、自分が変わるのではありません。
目を向けている先をちょこっと変えるだけです。
AチャンネルからBチャンネルに変えたという感じの事です。
それを見ている私は、ずっと私のままなのです。


自分が経験したい人生はどのような人生なのか。
その人生が自分のもたらす感覚はどのような感情なのか。
そこに注目して、その感情に似たものを、現状から選び出すようにして行けば
望む現実に出会えるという引き寄せの法則をはじめとした教えは、
とても分かりやすいのかもと思ったりしています。





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