ガイド記事!!
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何かを考えようとすると、それを静止する働きが強くなってきています。
そんな最中にある今日、ガイドから突然言葉を貰いました。
悟りを語りたがる時は悟りを得ていない
「悟り」ってなんでしょうね。
私は、正直に告白すると、あまり興味がありません。
(悟れるかどうかよりも、何かや誰かの為に実践できるかの方が大事だと思っています)
ガイドの言葉を見ていると、逆説な物が多いと感じます。
知っている人でないと、それを語る事はできない…そんな思いがあります。
ガイドはこれは事実であると伝えてくれましたが、悟りに関しては違うようです。
何かを必死で伝えようとするとき、
伝えたいという気持ちと、自分を肯定したいという気持ちが共存しています。
私の言葉にも、私と言う人間の思考を肯定したい感覚が入っていると思います。
これは人間ですから、それはそれで良いと思っています。
ガイドは、悟りを得た時には言葉の中に「自分を肯定」の部分が無くなると伝えてくれました。
必要なものだけを、必要な人にだけ伝えれるようになる、それが悟りであると言います。
自我(ME)は考えを提示する時、自分は他とは違った特別な存在であると伝えたがります。
特別という言葉は甘く、非常に美しい魅力を持っています。
悟りを得れば得るほど、この”特別”という概念から遠のきます。
「私が導き出した答え」にしがみついている限り、それは悟りでは無くある1つの思想に過ぎない…
そんな風に言われた気がしました。
1つの思想を提示する事は何も悪くありません。
それはそれで素晴らしい効果を発揮するものでもあります。
ですが悟りは、特別なものであり、ごく一部の人間だけが特別なプロセスを踏んで身につけ、
他の人を導くための媒体になると伝えてはいけないといわれました。
特別だと思っている事が特別では無くなった時、
特別な事ではないから、あえて語る必要もなくなります。
もしかしたらこれが、本当の悟りなのかもしれません。
暗い夜空に輝く星を見ている気分・・・
- - - - - - - - - - - - 全ての命に愛を… - - - - - - - - - - - - - - -
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