風のマーサ、大峯奥駈道を行く7 八経ヶ岳〜楊枝の宿〜釈迦ヶ岳 | 山モグラの古道探訪(旅と古道と峠のブログ)

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是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


大峯奥駈道シリーズ第7回目。

前回は関西最高峰の八経ヶ岳までを

紹介しました。

さて弥山や八経ヶ岳は多くの登山者が

登るみたいで、山頂でも

何人かと一緒になりました。


八経ヶ岳山頂からは

同じくらいの高さの山が近くに見えます。

なんだろうと調べてみると

それは明星ヶ岳でした。

ここからは

その明星ヶ岳方面へと進みますが

ほとんどの人は、ここで引き返すようです。

(上写真、八経ヶ岳から先へ進む)

このあたり、少し寂しげな光景の中を

歩いていきました(下写真)

ほどなくして分岐点。

左の釈迦ヶ岳、前鬼方面へと

進みます(下写真)

右の道は頂仙ヶ岳方面、さらには

天川村の川合などに至るようです(未確認)

(上写真、分岐では左に進む)

そして明星ヶ岳の西面を巻いていきます(下写真)

明星ヶ岳の頂上にも、すぐに行けるようですが

今回はパスしました(汗)

第50靡 明星ヶ岳。

そうして山脈を南へと歩いていきます。

下写真は先程の八経ヶ岳方面を

眺めた様子です。

紅葉も素晴らしく

中々に良い景色の中を

進みました。

また、周りは本当に山だらけ。

とても山深い所までやって来たという

実感が湧きます。

第49靡 菊の窟(の遥拝所?)

どこにあるのか、わかりませんでした。

第48靡 禅師の森は1767m峰のこと?

ここは巻いていくのですが、

今ひとつわかりません。


巻道が続きますが、生活道のように

水平というわけでもなく、甚だ険しく

一筋縄では行きません。



やがて崩落部分では

梯子を降りていくことになりました(下写真)

ほぼ垂直に降りていくイメージです😓


鞍部に降りて来て、ひと段落。

正面が1694m峰(下写真)

山と高原地図では、

この山が五鈷峰と書かれています

振り返ると、先程降りて来た

険しい岩山(下写真)

いろいろ調べてみると

こちらが五鈷峰かもしれません。

第47靡 五鈷嶺ですが

よくわかりません。

ですが、この鞍部は見晴らしがよく

谷間が遠くにまで広がっていて

ダイナミックな光景でした。

ここで休憩しました。

その後は多少は快適な道が

続くようになって

やがて舟の垰に至りました(下写真)

予想していたよりも南側の鞍部でした。

第46靡 舟の多和

続いて楊枝の森の手前あたりには

七面山と書かれる石碑、遥拝所だろうか(下写真)

第45靡 七面山

そして楊枝の森の東面を巻くようにして

進みます(下写真)


さらに尾根筋を楊枝の宿に向かって進みます(下写真)

楊枝の宿の手前では崩落部分があるようで

左へと迂回するように登ります(下写真)

ほどなく本来の道に合流して進み

左下には小屋がありました(下写真)

楊枝ヶ宿小屋です(下写真)

このあたりが第44靡 楊枝の宿だろう。

この段階で午後2時くらい。

しばらく迷いましたが

予定通りに深仙小屋に向かうことに

しました。


さてここから釈迦ヶ岳に至るまでの

道中は、とてもスリリングで非日常的、

個人的には(特に釈迦ヶ岳付近は)

一番記憶に残っていて、まさに

大峯奥駈道のハイライトだと思っています。


まず仏生ヶ岳は山頂には登らずに

巻いていきます(下写真)

第43靡 仏生ヶ岳。

山頂へは時間と体力的な都合で

登りませんでした(汗)

続いての山、孔雀岳も山頂には登らずに

巻いていきます。

また鳥の水と言う所ではチョロチョロですが

水が流れていました(下写真)

かなり疲労していたので、手に冷たい水をつける

だけでも、かなり癒されました。

そして、孔雀岳を過ぎたあたりから

山頂に登るであろう分岐が出ていました(下写真)

孔雀岳山頂には行きませんでした(汗)

第42靡 孔雀岳

かなりのヘタレっぷりを発揮しまくりです(汗)

体力的にも、かなりしんどくて

出来るだけで最短で進みたかった。


ほどなく孔雀の覗きと呼ばれる所にまで

やって来ました(下写真)

眺望がとても素晴らしいです。 

3日目にして、ようやく青空を見ることが

出来ました。

あとは釈迦ヶ岳を越えていけば

深仙小屋に到着する。

と思いながら先を急いでいると

なんだかデカい山が向こうに聳え立っている。

まさかと思ったが、あれが釈迦ヶ岳でした。

あの頂上を越えていくのか?と

絶望的な気持ちになりました。


思った以上に、やっかいだなぁ。遠いなぁ。

日が暮れるまでに小屋に辿り着けるのか?

まあ思い悩んでも日が暮れるだけなので

先へと進みます。


両部分けと呼ばれる岩の裂け目に

やって来ました(下写真)

ここを慎重に降りていきます。

そして降りてから

上を見上げました(下写真)

中々に凄いところを下ってきたようです。

やはり修行の道だ。

さて両部分けとは、

曼荼羅の金剛界と胎蔵界を分けると言う意味らしい。

ここまで(吉野側)が金剛界、

ここから先(熊野側)が胎蔵界になるようです。


続いては

椽の鼻(てんのはな)と呼ばれる大岩を

まわり込むように道がついていました(下写真)

絶壁の上の道になります。

蔵王権現の像が祀られていました(下写真)

旅の無事をお祈りしてから、先へと進みます。

このあたりは、特に絶景が広がります。

と同時に怖さもあるのですが(汗)

ああ、釈迦ヶ岳よ!(下写真)

あのてっぺんを越えるのかぁ。

そうして椽の鼻を過ぎて

さらに進みます。

またまた、迫力のある光景に

驚かされます(下写真)

どこを見回しても、非日常の世界が

広がっていました。

さて先へと進みます。

今度は、さらに大きな岩がありました。

いや、岩山が聳えていました(下写真)

この岩山が(たぶん?)第41靡の空鉢岳だと

思われます。

さて少し写真を拡大すると

岩山の上に石が乗っているではないか

これが役行者の石鉢と言われるものだろうか?


さて道は

空鉢岳の下を巻くようについています(下写真)

ここを過ぎると

いよいよ釈迦ヶ岳の本体へと

登っていくことになります。

釈迦ヶ岳への道のりは

岩場、岩場の連続。

迫力、絶景。まさに大峯奥駈道の

ハイライトとも言える区間です。


そして、さらに岩壁を登っていきます。

最初は鎖に頼るつもりはなかったのですが

段々と疲労してくると、かなり

頼るようになっていました(汗)


それでも、まだ釈迦ヶ岳は

もう一つ向こう側(下写真)

じらすなぁ。

ラストスパートだと思い、進みます(下写真)


最後によじ登ると

お釈迦様の銅像が(下写真)

その光景に安心したのか

その場で倒れ込みました。

仰向けに寝転び、半ば絶叫をあげる。

疲労感と充足感が混ざりあったような

状態。

広がる青空、お釈迦様。

なんとも言えない空間、時間でした。


第40靡 釈迦ヶ岳

続く。

(2023年10月中旬)