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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

実は我が家は1件の古いアパートを所有しています。

アパート敷地内には立派な石蔵も備えています。4部屋のこじんまりとした借家ですが、私が2歳か3歳の頃に、若かった父と母が一念発起して経営に乗り出した物件です。

バブル景気の頃までは「ほっておいてもいつも満室」状態で、父亡き後も私や妹の大学の学費に困ることがなかったのは、公務員であった母の収入と、このアパートからの収益のおかげだったと言えるのです。

 

そんな思い出深いアパートも、築50年を経過すれば、まるで「お化け屋敷」のように変貌してしまうのは、ある意味で当然のことだと思います。これまで管理を一手に引き受けてきた母が、急に「ボケて」しまい、どうすべきか家族で思案していたところ、臨家のお宅から、

 

「木の枝がはみ出しているから何とかしてほしい!」

 

という連絡が来てしまいました。可及的速やかに対処しなければなりません。

そこで、ネットの某「助け合いサイト」で見つけた植木屋さんに連絡を取り、急遽下見に来て頂くことができました。

 

既に刈り取った樹木などを運搬できるトラックでやって来たご夫婦は、非常に「よい方々」でした。あらかじめお伺いしていた見積もり通りの金額と「後払い」でOK,しかもこれからすぐに作業もできるとのことで、即決でお願いしてしまいました(笑)。

 

作業前にお互いに名刺交換をして少しお話しさせて頂いたのですが、なんとこちらのご夫婦、前職は「学習塾経営」だったとのこと、ちょっと驚いてしまいました。

 

「学習塾の頃は、理不尽なことが多くて・・・夜中に電話がかかってきたり、それに対応しなかったら罵倒されたり・・・ストレスが多かったです。」

 

どういった経緯で今は「植木屋」さんになられたのかはわかりませんが、はっきりしているのは、

 

「今はとても楽しいですよ!」

 

と実に明るいお顔で話された奥様の表情が印象的であったことです。いや~、よくわかります!(笑)。きっと「学習塾」をやられている頃は、私のような「どこか暗い表情」だったのかもしれませんが、今や実に清々しい表情をされているのが、少しだけ羨ましく感じた私なのでした(笑)。

 

「私もいつまで塾をやっていられるかわかりませんから、塾辞めたら私も「植木屋さん」になろうかな?」

 

そんな実に失礼な軽口を叩きつつ、雑草が生い茂ったアパートを爽やかなご夫婦にお任せし、午後からの授業に向かう私なのでした。

 

塾をやめて、あんなに爽やかに「今はとても楽しいですよ!」と言えてしまうのは、いったいなぜなのだろうか?(笑)。

 

頑張りましょう!

ここ最近、認知症である母は月曜日と水曜日の週2日、「デイサービス」に通っています。

 

認知症患者を抱える家族として、週2日「安全に母を看てくれる」環境を提供いただけるということは、非常にありがたいことであり、これは現在のような状況に至って初めて、私自身が実感した率直な感想なのです。

 

もっとも、「妙なプライド」だけは異常に高い母が、最初からデイサービスを気に入っていた訳ではありませんでした(笑)。通い始めた頃は、

 

「私を施設にでも入れるつもりか!」

 

と的外れな怒りを爆発させたりして、家族を大いに困らせていたものでした(笑)。そんな母を、何とか懐柔していってくれたのが、他ならぬデイサービスの職人の皆さまでした。

母が通うデイサービスの施設は、ごく普通の住宅を改装した、比較的「こじんまり」とした施設です。母曰く、

 

「うち(自宅)の方がよっぽど立派だよ!」

 

と実に失礼なことを平気で言ってしまうくらいの「普通のお家」なのです(笑)。母を担当するケアマネージャーさんが、

 

「お母様の場合、初めから大きな施設を利用するのは「向かない」ような気がします。まずは小さな、アットホームな施設から始められたらよいのでは?」

 

というアドバイスのもと、こちらの施設にお世話になることにしたのですが、結果的にこの選択は間違っていなかったようです。

「こんなのをみんなで作ったんだよ!」

 

デイサービスの皆さんで作った12月のカレンダーを、自宅玄関の一番目立つ場所に勝手に貼り付けた母(笑)、それなりに楽しく過ごしてくれているようで、私としても何だか嬉しくなってしまうのです。

考えてみれば、当塾では発達障害や学習障害のお子さんを数多くお預かりしてきましたし、現在も数名の子をお預かりしています。母の現状はそんなお子さんたちに少し似ているような気がしますし、私自身も塾におけるホスピタリティーについて、学ぶべき点は少なくないと率直に感じた次第です。やや扱いにくい母を見事に「手懐けた」手腕は、同じ「人間をお預かりする立場」の者として、見習わなければいけないと痛感しているところです。やっぱり「プロだな!」と、感じざるを得なかった出来事でした。

 

母が嬉々として通うデイサービスの施設は、偶然にも母の母校である高校にほど近く、「歩いて数歩」で美しい沼津の海岸線を望むことができる、数多の文豪が愛した風光明媚な場所です。そんな心安らぐ場所で、母の「晩節」がただただ穏やかなものであってほしいと、願わずにはいられない「不肖の倅」なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

「鳶が鷹を生む」という諺があります。

ごくごく平凡な親(いや、むしろダメダメな親と言った方が良いのかもしれませんが(笑))から極めて優秀な子供が生まれるという、摩訶不思議な現象です。摩訶不思議とは言ったものの、このような現象は決して稀有な例とまでは言えず、時折散見されるのはご存知の通りだと思います。

逆に、親御さんは極めて優秀なのだけれど、子供の方は・・・という例もまた少なからず存在するケースです。

 

世間一般から見て「優秀な親」と「平凡な親」の違いとは、いったい何なのでしょうか?社会的地位?持ってるお金や財産の差?それとも「イケメン」であること?(笑)、価値観は様々ですが、いずれにしても私は、

 

「親なんて、そんなに偉いものじゃない!」

 

と半ば確信的に感じているのです(笑)。

 

自他ともに認める「成功者」である「親」であろうとも、人生全てが「模範的」な人間など、いるはずがないのです。相田みつを先生風に言えば、

 

「だって、にんげんだもの。」

 

ということに尽きると思うのです(笑)。仮に現時点では「成功者」であり、「幸せの絶頂」であったとしても、そこまでに至る過程においては、手痛い失敗や、人に言えないような狡猾な行動を一度や二度はしているはずなのです。生まれてこのかた、一度も失敗やズルをしてこなかったというお釈迦様みたいな方がいたら、ぜひ名乗り出て頂きたいと思います(笑)。

人間にとって、失敗や挫折から学ぶことは、決して少なくないと私は考えているのです。大いに傷つきながら学んできた「経験則」を、愛する我が子に偉ぶることなく、包み隠すことなく教えてあげることこそが立派な「教育」ではないかと、私は考えているのです。

 

親自身がかつては「やんちゃ坊主」であり、勉強なんてな~んにもやってこなかったのであれば(笑)、大人になってから「勉強してこなかったこと」を大いに後悔したという事実を、我が子に伝えればいいのです。親自身が子供にとって「反面教師」になることを恐れてはいけないのです。

 

「親のようにならないために、私は勉強を頑張ろう!」

 

我が子がそう考えてくれたのであれば、親としての「教育」は成功したと言えるのではないでしょうか?

 

「親の威厳」も確かに大切ではありますが、親だってかつては「子供」だったはずですし、何よりも「人間」なのです。子供が親に対して求める「助言」があるとするならば、それはステレオタイプの「道徳論」ではなく、親自身が自ら学んできた、人間味溢れる「経験則」ではないかと、私は考えているのです。

 

「鳶が鷹を生む」現象が度々起きているのは、きっと「鳶」たる親が、我が子に対して親としての経験、もちろん失敗やズルなんかを含めて、率直に話し、考えさせる機会を与えているからではないかと、ふっと考えた月曜日の朝なのでした。

 

親なんて、そんなに偉いものじゃないんだよね(笑)。

 

頑張りましょう!

静岡県の高校受験生にとって最大かつ最後の実力テストである「学力調査」が木曜日に終了しました。早い学校では、既にその結果が各生徒に開示されているかもしれません。

 

これから私が記述することは、決して「できなかった子」に対する「慰め」ではなく、「思いのほかできた子」に対する「称賛」でもありません。私がこれまでの長い受験指導から培った「経験則」から得られた知見ですので、(ちょっと言葉は悪いですが)耳の穴をかっぽじって、心して読んでください(笑)。

 

まずは「できなかった子」たちへ、これが「入試本番」ではなかったことに感謝してください、実に「ラッキー!」だったと(笑)。あなたが失敗したのは「たがが実力テストのひとつ」なのです。よかったね、本番の入試じゃなくて(笑)。

けれども、今回の結果では、文字通り「不合格に片足を突っ込んでいる」ことには変わりがないのは厳然たる事実なのです。きっと気が緩んでいたり、勉強不足だったりしたのでしょう。大いに反省して、クリスマスも年末年始もなく、「これ以上勉強したら、死ぬんじゃないか?」と思えるほど勉強してください。大丈夫、そう簡単に人間は死なないので(笑)。窮地に立たされた時こそ、その人間の「本質」が見えてくるものです。今こそ、あなた自身の「価値」が試されている時なのです。とにかく頑張れ!

 

そして「思いのほかできた子」たちへ、ゆめゆめ調子に乗ってはいけません(笑)。入試本番で、今回の様に「うまくいく」保証はどこにもないことを自覚してください。いや、むしろ今回が「でき過ぎ」だったのだから、入試本番では今回よりも成績が下がる可能性が高いでしょう。人生そうそうラッキーが続くほど甘いものではないのです(笑)。

学力調査が「できた」から、なぜか安心してしまって、クリスマスや年末年始を「大いに満喫」してしまい、春に悲しい思いをした子を、私は何人も知っています。受験生にとって「慢心」ほど危険なことはないということを理解しておくべきでしょう。今回思うような成績を残すことができなかった子たちは、その悔しさを胸に死力を尽くして学習に取り組むはずです。公立高校入試まであと3か月余り、その気になれば簡単に「逆転可能」であることを忘れずに。今回うまくいった子であっても、やっぱり入試まで遮二無二頑張る姿勢は必要不可欠なのです。

 

ダメだった子はその「悔しさ」を、うまくいった子はその「喜び」を「燃料」にして、残り3か月、「命の炎」を燃やさなければなりません。とことんお付き合いしますよ!

 

「たかが実力テスト」に一喜一憂するのは今日まで、明日からはまた新たな気持ちで学習に取り組んでください。

 

頑張りましょう!

昨日の某生命保険会社との折衝について、

再び「カスタマーサービスセンター」なる問い合わせ先に電話するも、この時点で10分ほど待たされてしまい、非常にイライラしてしまいました(笑)。

 

「お待たせしました~お客様対応担当の〇〇です~」

 

少なくとも私には実に脳天気な対応に映り、さらにイライラ(笑)、それでも冷静にいくつかの質問と苦情を言いたいのだが、この電話でよいか尋ねました。すると、

 

「すみませ~ん、今日は苦情の担当者がお休みなので、また月曜日にでもかけ直してください~」

 

ここで爆発、自分でも自然に口調が変わってしまったのがわかりました(笑)。確かに今日は土曜日ですが、この会社のホームページには「カスタマーサービスセンター」なるものは日曜日のみが休みで、土曜日は17時まで受付と記載してあります。百歩譲って担当者がいないのであれば、それは会社側の都合なのだから、要件を承った上で週明けに会社側から連絡するくらいの対応が「社会の常識」ではないだろうかと考えるのは、果たして私だけでしょうか?

 

このオペレーターとの会話も録音しており、「言った、言わない」の行き違いのないように可能な限り対応はしていますが、とにかく電話ではらちが明かないため、文書での対応を求め、会社の住所・宛先を聞き出して週明けにも内容証明を送り付ける段取りを整えた次第です。

 

令和3年と6年の2回、次男の学資保険が下りる予定だったのですが、母の現状を見るにつけ、おそらくその頃には軽度の認知が始まっていたのではないかと思われます。そんな母が自らの年金から孫のために少しずつ積み立ててくれていた大事な学資金を、どんな理由があるかはわかりませんが、「据え置き」などという訳の分からない理屈で名義人である妻に通知することなく、支払いを忌避し続けたことは、どんな理由があったとしても許されることではありません。何よりも、母の「気持ち」を想うと、倅として決して許すことはできないと強く感じます。母が認知症であることを伝えた後も、「認知症保険」に加入していた事実を、こちらが請求するまで開示することさえしなかったこの会社は、もはや「社会の公器」たる資格さえないのではないかと疑わざるを得ないのです。

 

もはや銭金の問題は遥かに超越して、「社会人としての「誠実さ」とは?」ということを問われているような気がしてならないのです。呼ばれてもいないのに都合のいい時だけホイホイやってきて、いざという時に支払う意思もない「新たな保険」だけをせっせと紹介する「営業員もどき」がこの世からすべて駆逐されることを祈らずにはいられない土曜日の午後なのでした(笑)。

 

「困ったとき」に助けてくれない保険なんて、この世に必要なんですかね?

 

頑張りましょう!

 

昨日は「休講日」でしたが、諸々の手続のために奔走していた記事を書きました。

記事を書いた後、「T生命」にカチコんだのですが(笑)、その酷さにびっくりしてしまいました。

 

母が「勝手に」加入していた保険が実に7件あったのですが(うち2つは母自身のための保険なので、まあいいのですが)、うち2件は私の妻の名義、妻曰く、母に、

 

「とにかくハンコついて!負担はかけないから!」

 

と言われ、仕方なくハンコをついた記憶はあるそうです。私が学生時代に母に同じことを言われ、「投資用マンション」を購入させられた時と全く同じ(笑)、そのマンションの処分に30年もの月日がかかってしまったのですが、そんな手痛い教訓から全く学ぶこともせず、「母はやっぱり母だった」ということなのでしょう。ため息が止まりません(笑)。

2つのうちのひとつは、妻の「個人年金」であり、今回のトラブルの発端になったものです。そしてもうひとつは次男の「学資保険」でした。

「学資保険」については既に払い込みが完了しており、あとは支払いを受けるだけになっています。次男の高校入学時に40万、大学入学時に70万、大学4年次に70万を受け取る契約になっていたようです。

ところが調べてみると、次男の高校入学時(4年前)、大学入学時(1年前)に支給されるはずの学資金がいまだ支払われていないそうなのです。「T生命」の担当者曰く、

 

「据え置きしてございまず。」

 

とのこと、果たして「据え置き」とはいったいどういうことなのでしょうか?学資金の支給について、母に打診したのかどうかは今となってはわかりませんが、少なくとも「名義人」である妻には何の連絡もなかったことだけは確かなのです。

今はボケてしまった母としても、当時は高校・大学の学費の足しになればとせっせと支払ってくれていたはずなのです。営業のために何度も我が家に足を運んでいたにもかかわらず、話すことと言えば自らの「成績」の足しになりそうな「新たな保険」の話ばかりで、騙しやすそうな老人には「新商品」の話はしても、「保険金支払い」の話は一切しないという利益第一主義的な姿勢は、加入者の生活を守るべき保険会社の姿勢としていかがなものかと考えてしまいます。

 

「据え置きにしていますので、利息が付いています!」

 

4年近く「不払い」にしておきながら、二千円にも満たない「利息」なるものを鼻高々にアピールする姿勢に、この保険会社の「本質」を見たような気がしてなりませんでした。前回の記事にも書いたように、母が認知症を罹患した事実を提示し、認知症保険に加入していたにもかかわらず、その存在自体もこちらから請求するまでは開示すらせず、保険請求の案内さえしようとしない態度には、

 

「ちょっと、あまりにも酷くない?」

 

と感じてしまうのは私だけでしょうか?

 

かなり自分勝手で、他人の助言など聞く耳を持たなかった母ですが、その母がどんな思いで愛する孫の「学資保険」をせっせと積み立てていたのか、ただただ「利益第一主義」に猛進する輩たちには決してわかるはずがないであろうと、何だか気の毒に感じた金曜日の朝なのでした。

 

もう「保険会社」なんて標榜するのは、止めたら?

 

頑張りましょう!

 

本日は中3生にとって最重要なテストである「学力調査」実施日であるため、木曜日に授業のあった中3生については、授業を「前倒し」し、その影響で本日は休講となりました。

 

休講だからといって、私がサボれる訳ではありません(笑)。

本日は月1回の「ケアマネージャー」さんの来訪日であり、朝から対応しました。母の交友関係についてやや心配な部分があり、地域の包括支援センターにて対応して下さることになりました。今のところ行政の方々は実によくして下さっており、ただただ感謝なのです。

 

その後、あたかも私の隙を狙っているかの如く金融機関からの連絡がありました(笑)。年末までにお約束させて頂いた借入金の借り換えについて、来週中に締結したいとのこと、来週の予定が手元になかったため、後ほど改めてご連絡差し上げることを伝え、電話を切りました。

 

さらにその後、月末に支払うべき請求を処理するために銀行へ向かいました。母の口座について、銀行員の方に母の現状を説明し、現在のところ実印や銀行印の所在もわからないことなどを伝えましたが、諸々の手続きは極めて煩雑かつ面倒であり、これについても改めてお話させていただくこととしました。

 

さらにさらに(笑)、帰宅後すぐに「T生命」から電話がありました。

「T生命」については、先日のブログにも書きました。

昨日「T生命」から自宅に手紙が届き、確認してみたところ、母・妹・妻・次男の名義で計7つの保険や年金に加入していることが判明、しかも母名義以外のものはすべて母の独断で加入しているものであり、「名義人」は今回初めて自分が保険に加入していることを知ったという有り様(笑)、妹に至っては、母が勝手に加入して、支払いは妹に「丸投げ」していたとのことで、今更ながらかなり驚いてしまいました。

加えて、「T生命」の担当者には、

 

「母が認知症になって対応できなくなった。」

 

と何度も伝えていたにもかかわらず、母が加入していた「認知症保険」について、こちらから問い合わせるまで開示せず、保険金支払いのための手続きや案内さえなかったのです。保険会社として保険金を「出したくない」という気持ちはわかりますが(笑)、「認知症」のための保険に加入していて、「認知症になった」と申告しているにもかかわらず、保険加入者からの請求によってようやく契約内容を開示し、それでも保険金支払いの案内さえしないというのであれば、「保険外交員」なんて職業は辞めてしまえばよいのでは?と率直に感じた次第です。

 

という訳で、「休講日」にもかかわらず、早朝から次々と「やらなければいけないこと」が舞い込んで切る私なのですが、「忙しついで」にこれから「T生命」にカチコミをかけるつもりの私なのでした(笑)。

 

保険会社の選択は慎重に!(笑)。

 

頑張りましょう!

 

高校受験生の皆さんは、そろそろ本格的な「志望校選定」に着手しているのではないかと思います。これまでは「理想」であった志望校が、にわかに「現実」を見て考慮しなければならない、実に厄介な判断が求められているのかもしれません。

 

何を基準に志望校を選定するのか、というのは難しい問題ではありますが、多くの人は「合格難易度」によって判断するケースが多いのではないかと思います。そもそも勉強に意欲的でない人は、「目標」を掲げることを極端に嫌い、「行けそうな(簡単に合格できそうな)学校」を探そうとする傾向が強いです。生粋の「怠け者」なのか、あるいは「負ける」ことを極端に恐れる「臆病者」なのかはわかりませんが(笑)、人生において「ここぞ!」という時に「逃げ回る」ことばかり考える人には、真の意味での「成功」など訪れるはずがないことだけは断言しておきます。自らの現状よりも「ちょっと上」だからこその「目標」であることを、決して忘れるべきではありません。

 

志望校選定に話を戻せば、私自身としては必ずしも学力的に「身の丈に合わない」学校であっても、進学できるのであれば進学すべきだと考えています。ちょっとわかりにくい言い方になってしまい恐縮ですが、簡単に言えば、

 

「ギリギリ合格でも、余裕で合格でも、同じ「合格」だ!」

 

ということなのです(笑)。「背伸び」してまでも入りたかった高校なのだから、たとえ「ギリギリ合格」であっても、胸を張って入学すればよいのです。ただし、そのような状況で入学したのだから、学力的には大きなハンデを背負っていることを忘れてはなりません。「劣等生」であることを大いに自覚しつつ、何とか「ついていく」ために大いに努力すればよいことです。それこそが自分自身を大きく成長させてくれることになると、私は信じて疑いません。逆に、そんな覚悟もないままに「ギリギリで合格できそうな学校」に進学することは、厳に避けた方が無難でしょう。下手をすれば、3年間で卒業できなかったり、最悪の場合は途中で辞めざるを得ないことにもなりかねません。要は「覚悟」の問題なのですが、相応の「覚悟」がないのであれば、世間体や見栄で「難易度の高い学校」を選択すべきではないと、私は考えているのです。

 

これまで多くの成功例や失敗例を見てきた私としては、入試の結果以上に「志望校の選択」においての成否について、大いに心配しているのです。学校自体の「難易度」にこだわることも大切ですが、自分自身の将来と照らし合わせて、貴重な青春時代の3年間に何ができるのか、何が必要なのかという視点に立って考えて頂きたいと強く願います。

 

高校に進学するのは、「親」ではなく、あなた自身なのですから。

 

頑張りましょう!

当塾はマンツーマン個別指導塾ですので、様々な学習レベルのお子様をお預かりすることとなります。

 

いわゆる「先取り学習」が盛んな学校の在籍されていて、中学生でありながら既に高校数学の分野に大きく足を踏み入れている子の指導をしたかと思えば、次の時間は学習の遅れが甚だしく、あるいは学習上において少々問題を抱えるお子さんの指導をすることもあります。このような仕事を20年以上続けてきた私でさえ、このようなシチュエーションはなかなかにタフだと断言せざるを得ないのです。

 

このような状況の中で指導をするのに最も重要なのは、「忍耐」であると、私は信じて疑いません。ここで言う「忍耐」とは、子供が「やりたい放題」をしても、それをじっと怒らずに堪える、という意味では決してなく、私などは怠けていたり、他の子に迷惑が及び行為をした場合は烈火の如く𠮟りつけます(笑)。このような状況の時に、「忍耐」の精神を「誤用」して「放置」するのは、自ら「指導者」たる資格を放棄しているとしか、私には思えないのです。「むしろ、あんたなんていてもいなくても同じでは?」という感じですね(笑)。

 

私が考える指導上の「忍耐」とは、何度同じような間違いを繰り返しても、その度に厳しく、かつ的確に指導することを「諦めずに繰り返す」ということです。

非常に残念なことですが、人間には「持って生まれた器」というものがあります。野球少年であった私が、どんなに頑張ろうとも「大谷翔平」にはなれないことが、何よりの証左なのです(笑)。

 

「10回やって覚えられなければ、100回やればいい。100回でもダメなら1000回やるさ。」

 

極めてシンプルですが、結局のところ学習上の懸念を払拭する唯一の方法は、これしかないと思うのです。そんな「単調な繰り返し」に、「指導する側」が耐えられるのかどうか、その意味において「指導者」にこそ「忍耐」が必要だと、私は考えているのです。

 

生まれ持った「器」が「おちょこ」のように小さくても(笑)、その「おちょこ」から溢れるほどの「水」を注ぎこめる努力をした子は、やっぱり素晴らしい!一方で、実に大きな「器」を持ちながら、ほんの少ししか「水」を注ぐ努力をしない子は、自らが自らの「可能性」を限定しているとしか、私には思えないのです。

 

「昨日できなかったことが、今日はできた!」

 

「忍耐」の末に、ほんの少しの「進歩」を喜べることが、「塾人」としての矜持ではないかと、私は考えているのです。小さな「器」いっぱいに「水」を注ぐ努力を、指導する側・される側ともに「喜べる」関係でありたいと強く感じた、火曜日の午後なのでした。

 

頑張りましょう!