我が家から文字通り「数歩先」にはそこそこの病床を持つ病院があります。そしてこの病院こそが、現在認知症である母がお世話になっている病院なのです。
もっとも、我が家は極めて至近でありながら、長らくこの病院を利用することは「禁忌」とされてきました。というのは、私の叔母(私の父の妹)が若くして子宮がんで亡くなっており、最初に「誤診」したのがこの病院だと言い伝えられてきたからです。
叔母が亡くなったのは、私が生まれる前年であり、当時は現在ほど医療技術が進んでいなかったのは明らかで、「誤診」だと断言するのには無理があるのでは?と今になって思うのですが、それでも20代前半の若さでこの世を去らなければならなかった娘の無念を思えば、「誰かのせいにしたかった」という気持ちが、わからなくもない私なのでした。
そんな長年の「禁忌」がようやく明けたのが、他でもない私自身の病気がきっかけでした。今から20年ほど前、とある塾の「雇われ教室長」だった私が、塾生から「おたふくかぜ」をもらってしまい、42度を超える発熱でフラフラ状態になってしまいました。当時は妻との結婚が決まっていて、成人男性の「おたふくかぜ」が、生殖能力に影響を及ぼすのではないかと随分心配したのですが、そんな時お世話になったのがこの病院でした。
今は母に連れ添って病院に通っていますが、当時の私はとにかくフラフラで(笑)、恥ずかしながら母の肩を借りながら病院まで「たどり着いた」というのが正直なところでした。無事に2人の子供に恵まれたのは、こちらの病院の方々の尽力が大きかったのです。
もともと「内科」と「精神科」を標榜している病院で、母のような認知症の患者さんも散見されていました。当然のことながら、母には精神科系の先生が担当になってくださっていますが、母の「訳の分からない話」だけでなく(笑)、介護する家族としての私の話も実によく聞いてくださいます。
「今(ボケているのに、体だけは丈夫で、徘徊が酷い状態)が一番辛い時ですね。でももう少し、悪い意味ではありますが、落ち着く時期が来ますから、もう少しの辛抱です!」
「この病気は、一所懸命に介護する身内には「わがまま放題」で、「外面」だけは良くしようとするから、ご家族の皆さんはやり切れないですよね・・・」
経験ある医師とは言え、あまりにも的確に「私の心情」を言い当ててくれた言葉に、何だか救われたような気がしたのです。人間には「寿命」があり、医師でさえその「運命」には抗うことができないという現実を直視した上で、いかに患者に寄り添い、同情し、その時々に的確な助言や労いを提供できるのか、医師の「腕」は何も医療技術そのものだけではないように強く感じた次第です。
少なくとも、長年「禁忌」扱いにするような病院ではありませんでした。家族として心からお詫び申し上げるとともに、病院関係者の皆様に改めて感謝申し上げたいと強く感じた日曜日の朝なのでした。
やっかいな「ボケ老人」で恐縮ですが(笑)、母が安らかな最期を迎えられるその日まで、引き続きよろしくお願いいたします。
頑張りましょう!






