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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

現在当塾は束の間の「夏休み」となっております。とはいえ、先日は中3生の模試を実施しましたし、休講中に振替授業や臨時授業も入ってはいますので、完全な「お休み」ではないのですが、それでも通常授業がお休みであることは、日頃から疲れ切っている私としては、かなりありがたいというのが本音です(笑)。

 

受験生については、授業がない日についても家庭学習の内容を連日報告することを課しています。ひと昔前はお休み中に塾生各人と連絡を取ることはなかなか難しかったのですが、現在はスマホを所持している子についてはLINEなどで簡単に連絡が取れ、非常に便利な時代になりました。このような面での「文明の利器」は、今後も最大限活用していきたいと思っています。

 

静岡県においては夏休み明けに「学力調査」が実施され、いよいよ本格的な「受験校選定」の時期となります。志望校の難易度と自らの学力を照らし合わせ、「方向転換」を迫られる子も少なくないでしょう。「ぼんやりとした希望」から、「より現実的な選択」を迫られる時期だと言えるでしょう。

 

このブログでも再三言及させて頂いておりますが、私自身としては進学する高校など「どこでもよい」と考えている人間です。塾の経営者としてはおよそ相応しいとは言えない考え方かもしれませんが(笑)、これは文字通り「偽らざる本音」なのです。

世の中は「必ず努力が実を結ぶ」ほど甘いものではありません。その事実は、大人であれば誰だって身に染みて感じていることだと思うのです。子供にとっては少々残酷な「現実」なのかもしれませんが、痛みや苦しみ、悔しさを伴ってこそ理解できる「現実」もあるいのではないかと思うのです。そういう経験を経ることこそが、「大人の階段」を登っていくことなのかもしれません。

 

中学受験であれ高校受験であれ大学受験であれ、どれだけ学習しようが、模試で「A判定」を頂こうが、「100%合格確実」など有り得ませんし、そんなことを高らかに宣言している塾は、明らかに「詐欺」です(笑)。かように受験生たちは極めて「不確実」な現実を、大いなる不安を抱えながら日々過ごしているはずなのです。

ただ、唯一「確実なもの」があるとすれば、それは志望校を目指して「頑張った過程」だけなのです。この過程さえ悔いなく過ごすことができれば、この先の人生の中で、「リベンジ」の機会はいくらでもやって来るはずだと、私は信じて疑いません。

 

当塾でも高校受験では涙を呑みながら、その悔しさを忘れずに大学受験ではしっかり「リベンジ」してくれた塾生が何人もいました。そんな塾生たちは、「平坦な道」を歩んできた「優等生」たちよりもずっと魅力的な人間に感じるのは、きっと私だけではないでしょう。「挫折」を知ることも、人間の成長にとっては極めて重要な要素なのだとつくづく感じてしまいます。

 

「高校受験」が人生における重要な節目であることは確かですが、それをもって「勉強」が終わる訳ではないのです。受験生にとって入試の成否は気になるところではありますが、そんな時こそ3年後・5年後の自分を想像し、中長期的な視点で自らの「立ち位置」を考える必要があるのかもしれません。

 

「人生」とは思いのほか永く、また何度でも「やり直し」が効くものだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

先日、YouTubeをぼーっと見ていたら、以下のショート動画が目に留まりました。

お父さんが愛する娘のためを思って(笑)、「イケメン男性」に、

 

「うちの娘、どう?」

 

と声を掛ける動画です。娘さんにとってはこの上ない迷惑なのかもしれませんが(笑)、今から40年ほど前、高校生の頃の私にも全く同じことがありました。

 

私の在籍した高校では、冬に「長距離走大会」があり、校外のコースを15キロほど走る行事がありました。沿道に役員の保護者がコース管理で駆り出され、たまたま私の父が出てくれていたようなのです。それらの保護者に加え、陸上部所属の生徒たちは、大会に参加せずに運営を手伝うことになっていました。役員である保護者と陸上部員との協力で長距離走大会が運営されていたのです。そのため、陸上部の部員と保護者が話す機会も多かったようなのです。

 

そして、そこで「父の暴走」が始まったのです(笑)。

 

当時、母校陸上部の女子は「美人ぞろい」で有名でした。野球部のエースであった私は、一日に10キロも15キロもランニングしていたのですが、そんな長距離のランニングも、必死に走る陸上部の女子の「美しい姿」を間近に見られたからこそ、何とか耐えられたのだと、今でも感謝しているのです(笑)。

そんな「美人ぞろい」の陸上部女子に最初に「声を掛けた」のは、私ではなく、何と父だったのでした(笑)。

 

「うちの倅、野球部のエースで、勉強だってそこそこできるみたいなんだけど、倅の「彼女」になってくれない?」

 

父が「目を付けた」数人の美人陸上部員に、次々と声を掛けて回ったそうです(笑)。

後で事の次第を聞いてびっくりというか、顔から火が出るような恥ずかしさでいっぱいだったのですが、なぜか父への怒りの感情は微塵もなく、とにかく家族で笑ってしまいました。本当に恥ずかしかったけど(笑)。

 

きっと父も「彼女がいない」倅を不憫に思っての「止むに止まれぬ」行動だったのでしょう、実に迷惑だったけど(笑)。あれから長い年月が過ぎ、私の倅が「彼女」を自宅に連れてくるようになって、ようやく当時の父の気持ちが少しだけ理解できたような気がしています。

 

「暴走」した父がこの世を去って40年、いつのまにか父が亡くなった時の年齢を超えてしまいましたが、倅にとって「暴走するお父さん」だけにはならないように、倅たちの「彼女」については極力「無関心」を貫こうと決意した私なのでした。

 

頑張りましょう!

コロナ禍以降、「学校に通えない」という現実に直面し、様々なIT機器を駆使して学習を進めようとする動きが加速しています。な~んにもいいことがなかったコロナ禍において、唯一顕著な進歩が見られたものがあるとすれば、それは教育におけるIT化が進化した(進化せざるを得なかった)という部分なのかもしれません。

 

一方で、学習におけるIT化は、文字通り「諸刃の剣」と断じざるを得ない側面があることも、また確かなのです。

大学生や高校生がレポートを作成する際に、自ら「頭を使って」作成する過程をいとも簡単に放棄し、ChatGPT等々のOpenAIに作業を「丸投げ」するケースが散見されます。私自身もそんな愚かな学生を何人かこの目で見ています。

 

多くの高校生や大学生は、自らの脳ミソをフル回転して、進学や単位取得のために参考資料を読み漁り、かなりの時間と労力を投入してレポートを書き上げています。それでもそのすべてが「立派なレポート」などとは到底言えない代物なのですが、完成に至る「努力の過程」は何よりも尊いものであり、その経験が「知恵」となって「賢く」なっていくはずなのです。

脳ミソをフル回転させて日々努力する学生と、「考える」ことそのものをAIに「丸投げ」する学生との「学力差」は、埋め難いものになっていることでしょう。これが学力の極端な「二極化」を生む要因になっているように感じてしまうのです。

 

「使い方」によっては社会を豊かにしてくれるAIではありますが、その「使い方」によっては大きな社会的不安を誘発する根源となり得るという現実を、私たちはきちんと認識すべきなのかもしれません。少なくともAIという存在が、怠惰でズルい学生のためにあるのではない、ということだけははっきりしているのではないでしょうか?

 

スマホひとつ持っていれば、簡単に「ズル」ができる世の中において、子供が欲するがままスマホなどのIT機器を買い与えるということが、上述のような危険性を孕んでいるという現実を、保護者として肝に銘じておく必要があります。世の中が「便利」になることは実に素晴らしいことではありますが、一方でその「便利さ」を間違った方向で濫用する人間もいるということ、そして分別のつかない子供にとって、それらが堕落に陥るきっかけになってしまう現実から目を背けてはならないのです。

 

「失敗」や「回り道」だって時には必要なのかもしれません。少なくとも「考えるきっかけ」にはなるはずだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

算数や数学においては、なるべく早く問題を解いて「確かめ」をするために割く時間を確保することが、「満点」を目指す上での必須条件になります。数学以外の科目や資格試験などにおいても、「見直し」のための時間を何とか「捻り出す」ことは、合格点を得るためには重要な要素になるのではないかと思います。

 

一方で、中高生に目を向ければ、あまりにも「確かめ」をしない子が多過ぎるような気がしています。もっとも、決して多くはないけれど、確実に「確かめ」を実行する子もいて、両者の「学力差」はもはや埋め難いものになっているような気がしてならないのです。

 

例えば中学2年で学ぶ「連立方程式」について、決して難しくない計算ですが、「答え」が出たら何の疑いもなく解答欄に書き入れ、以後はたとえ時間が余ったとしても全く気に留めることなく「放置」する子がとても多いのです。指導する側としてもその都度厳しく指摘はするものの、「こういうもんだ!」という認識で育ってきた子供を「矯正」することは容易ではないのです。

 

この問題の根源は、以下の2点にあるように感じます。

第一に幼少期における家庭での指導の問題です。「正解」であればそれでOK,解答に至る経緯を「軽視」した指導を続けたことで、子供が「勘違い」してしまったケースです。このような子は勉強における「問題を解く」というよりも、まるでクイズに答えるような感覚で勉強にも接してしまいます。

 

「ここの答えは〇?じゃなきゃ△?もしかして×?」

 

などというおよそ勉強での受け答えとは思えない返答を繰り返します。そこに解答に至る経緯や理由など、あろうはずがありません。このような状態を高校受験まで続けるのですから、極めて根が深い問題だと考えています。

 

「なぜこのように考えたのか?果たしてこの解き方でよかったのか?」

 

という思考が皆無なため、自分自身の世界でひとたび「答え」が導かれれば、何の疑いもなくそれで「終了」と考えてしまうようです。

 

第二に、小学校での学習の「まずさ」です。小学校の教師の一部には、過度に「暗算」を重用・評価する者がいるようです。

ここで言う「暗算」とは、珠算と併用して学ぶ「暗算」とは異なります。「頭の中に算盤を置いて」計算する「暗算」は、その鍛錬法とメソッドには確固たる「裏付け」と「実績」があるのです。

一方で、小学校で求められる「暗算」は、単に、

 

「紙に書かずに諳んじることができる計算」

 

を指しているようで、テストなどにおいてゴチャゴチャと計算過程を「書き残す子」に対する評価を貶めるトンデモ教師がいるようです。尊敬すべき素晴らしい小学校の先生がいらっしゃる反面、教師自身が「数学嫌い」で、そもそも子供に指導する能力さえ怪しい輩も少なくないようです。このような教師に「当たってしまった」子供は、実に気の毒だと感じてしまうのです。計算過程さえ書くことが「許されない」状況で育った子が、「確かめ」をしようとする思考すら、思い浮かべることは難しいのではないかと、何だか暗澹たる気持ちになってしまうのです。

 

わずか数点差で合否を分ける高校入試・大学入試において、目標達成のためには「ケアレスミスの撲滅」は必須なのです。受験を目前にしながら「一点の重み」をあまりにも軽んじる姿勢に、家庭学習の重要性と、公教育のあり方を再考するべきではないかと、強く感じた土曜日の朝なのでした。

 

頑張りましょう!

 

 

私が各教室の「トイレ」を掃除していることは、このブログにおいても何度かお話させて頂いたことがあります。

「塾長」なんて呼ばれてはいるものの、その実毎週末には計3か所のトイレをせっせと掃除する「清掃員」でもあるのです。

 

トイレ掃除には衛生上の利点があることは言うまでもないのですが、掃除する側としても「何となく気持ちよくなる」というメリットがあります(笑)。あくまで「何となく」ではありますが、トイレ掃除には不思議な魅力?があるものです。

 

そしてもう一点、トイレ掃除の大きな効用のひとつとして、子供の「躾の度合い」が容易に理解できることが挙げられます。

学習に対して少々懸念がある子供がトイレを利用する時、私自身も「身構える」時があります。万一トイレを汚してしまった場合は、後に使用する子のことも考えて、即座に掃除しなければいけないからです。

しかしながら、少々「個性的な」お子さんであっても、思いのほかトイレを奇麗に使ってくれることが多々あるのです。勉強は得意だとは言えないけれど、他の子に迷惑が掛からないように配慮できるように躾をされた保護者様には、心から尊敬の念を抱いているのです。これが決して「簡単なことではない」ということは、私自身の拙い経験からも十分に理解できるのです。

 

一方で、勉強もそこそこはできて、心身にもさしたる問題がないにもかかわらず、平気でトイレを「汚したまま」で立ち去ってしまう子もいます。こういう点に親の「躾」に対する誠実さが如実に現れてしまうと思うのです。勉強は勿論大切ですが、「共有部分はきれいに使う」「他人に迷惑をかけない」という姿勢は、「人」として最も大切な要素ではないでしょうか?勉強は苦手だけれど、「人」としての「基本」をしっかり身に着けている子は、この先の人生も「何とかなる」のではないかと感じてしまうのです。

 

何よりも、トイレの使い方ひとつで「家庭での躾」が透けて見えてしまうのですから、心当たりのあるご家庭では、今からでも「躾のし直し」をすべきなのかもしれません。小学生でもできることが、中高生になってもままならないという事実は、とても恥ずかしいことであるという事実をしっかり認識すべきでしょうし、きちんと躾けられなかった「親の恥」だと思います。

 

汚れたトイレを暗澹たる気分で掃除する一方で、思いのほか奇麗に使用してくれたトイレを見ると、何だか嬉しくなってしまう「トイレ掃除おじさん」なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

ここ最近よく感じるのは、「親」と「子」の間であまりにもコミュニケーションに欠けるケースが目立つということです。このことは勉強のみならず、生活全般において極めて大きな問題だと、私は考えているのです。

 

「親」の「我が子」に対する「主観」と、子供の「実態」があまりにもかけ離れていて、面談などを何回実施しても、文字通り「埒が明かない」ケースが多々あるのです。

 

「うちの子は毎回きちんと宿題をやっている」

→宿題をやった形跡など、ここ数年見たこともない(笑)。

 

「スマホばかり弄っていて、困ってしまいます!」

→そのスマホを子供に与えているのは、他ならぬ「親」(笑)。

 

もはや「親って、いったい何なのだろう?」と考えてしまうくらいのレベルなのです。親として必ず理解しておいてもらいたいのは、

 

「子供だからこそ、安易にごまかしたり、楽な道を選択することがある」

 

という事実です。これは「子供」だからこそ仕方がない部分であり、だからこそ適切な「親の指導」が必要な訳で、換言すればそれこそが「親の義務」だと言えるのではないでしょうか?

 

我々が子供の頃とは比較にならないほど高度に「情報化」された社会となり、子供同士の「情報交換」は24時間可能な「異常な社会」となっていることに留意すべきでしょう。「宿題はやっている!」とは言いますが、子供同士のSNSで宿題を「共有」し、「途中経過がない答え」だけを羅列する「宿題」を「書き写している」実情を、「親が気がつかない」のは、何とも「マヌケ」な構図に見えてしまうのは私だけでしょうか?

 

表面上をサラッと見渡しただけでは子供の実情を把握できない現状だからこそ、親の「適度な介入」が必要なのではないかと思うのです。いや、介入したところで我が子の「実情」を全て知ることは不可能なのかもしれませんが、親子の軋轢を恐れるあまり、「大切なことを実行する」ことを躊躇し、我が子のことでありながら、ひたすら「他責思考」を貫こうとする姿勢は、もはや親たる責任を放棄しているとしか、私には思えないのです。

 

「私たちの頃は、こうだった!」という根拠の希薄な経験則は排除して、まずは我が子に「介入してみる」勇気を持つべきだと、強く感じます。その結果、もしかしたら「悲しい現実」を知ることになるのかもしれませんが、学力や生活習慣を改善させる「スタート地点」は、まさに「それしかない」と、私は考えているのです。

 

3年後、5年後に、

 

「こんなはずではなかった・・・」

 

と後悔しないように、今こそ親の「覚悟」が必要なのではないでしょうか?

 

頑張りましょう!

今年は次男が大学進学のため、進学先候補となる大学の「オープンキャンパス」に親子で参加しています。先週の日曜日は東海大学の湘南キャンパスにお邪魔してきました。

首都圏の、決して一流とは言い難い、狭小総合大学出身の私としては(笑)、とにかくキャンパスの広さに驚いてしまいました。一応「関東」とはいえ、平塚という地域でなければ神奈川県内でこれほどの土地を確保・維持するのは難しいと思います。北海道大学などは広大なキャンパスを誇ることで有名ですが、関東において文理合わせた総合型の広大なキャンパスを有するのは極めて稀有なケースではないかと思います。

当日は車で伺ったのですが、これまた広大な駐車場を有していて、特に問題なく駐車できました。東海大学は静岡県内にも複数の高校や大学を有していて、静岡県清水区に海洋学部のキャンパスがあります。10年ほど前には沼津市にも開発工学部という名称のキャンパスがあったのですが、僅かな期間で廃止になってしまいました。2枚目の写真に渦巻き状の階段?がわずかに見えますが、沼津のキャンパスでも同様のデザインの階段?があったのを覚えています。東海大学共通のデザインなのでしょうか?

 

とにかくキャンパス内が広大で、その広大なキャンパスを遊覧する巡回バスが運行されていたほどです。当日も容赦ない酷暑の中、広いキャンパス内を校舎ごとに渡り歩くのは、もはや「拷問」に近いものがありました(笑)。坂も多かったので、キャンパス内の移動時にも自転車が必要かもしれません。

 

文系理系問わず、いくつも校舎が立ち並んでいたのですが、主たる校舎には各々に小規模の学食が複数設置されているようで、オープンキャンパス時にもいつも通り営業していました。ただし、お昼時は文字通り「長蛇の列」をなしていて、こちらでお昼を頂くことは早々に断念、次男が模擬授業を受講している間、とりあえず妻と「涼しいところ」を探すことにしました(笑)。

上掲の写真ですが、もともと「学食」であったところらしいのです。半地下のような場所にあるのですが、厨房機器などは取り払われて、やや無機質にテーブルと椅子が並べられています。その数300以上!学食でテイクアウトした昼食を持参して食べるための場所のようです。

しかしながら、これだけ広いスペースにいるのは、なぜか私たち夫婦だけ(笑)。冷房もガンガンに効いています。せっかくなので、先ほどキャンパス内のセブンイレブンで購入した「冷感シート」で、半裸状態になりながら全身の汗を拭うことに(もちろん妻もやりました)。非常に便利かつ快適に使用させて頂きましたが、せっかく広大なスペースがあるのだから、もう少し有効活用ができないものかと考えてしまいました。

 

とはいえ、学部ごとにキャンパスを構える大学が多い中で、文系・理系とも同じキャンパスで学ぶ環境は、なかなか素晴らしいものだと実感しました。「偏差値」という側面から見れば、決して特筆すべきものがある訳ではありませんが、静岡県東部からもそう遠くはないロケーションも考慮すれば、次男にとっては有力な進学先候補に成り得るのではないかと思います。

 

大学でのお昼ご飯を食べそびれた私たちは(笑)、結局沼津まで戻った後、「サガミ」にて定食を頂くことに。

1500円ほどでお蕎麦にお寿司、天ぷらまでついて、コスパは抜群です!しかもこの店舗、最近改装されたようで、店舗内はとても綺麗です。ちなみに写真のお部屋は個室で、個室ごとに個別空調となっており、誰に気兼ねすることなく食事とおしゃべりを楽しみました。いい具合に汗も引いて、なぜか次男はやや「ハイテンション」なのです(笑)。

 

今の時期、高校や大学において「オープンキャンパス」が盛んに実施されていると思います。今夏は猛暑が続き、出歩くことさえ億劫に感じる人も少なくないと思いますが、そんな中でもぜひ「進学先候補」に足を運んでいただきたいと、強く感じます。

 

「あまりに広すぎて、キャンパス内の移動が辛すぎる!」

 

という事実さえ、「行ってみなけりゃわからない!」のです(笑)。

昔から「百聞は一見に如かず」と言います。ぜひその目で、「進学先候補」を体感してみてください!

 

頑張りましょう!

連日猛暑が続いていますが、ちょっと気になる記事を見つけました。

 

要約すると、バス通学する小学生が、ICカードの残高不足に気がつかず、運転士に厳しく叱責された上に、炎天下の中、2時間も徒歩で帰宅させられたという話です。

 

もう40年以上前、私も私立の小学校に通っていて、通学には路線バスを利用していました。その際、たった一度だけ定期券を忘れてしまったことがあったのです。定期券を忘れたことに気づいたとき、運転士に恐る恐る、

 

「定期券を忘れてしまいました・・・」

 

と申し出たところ、

 

「今日はいいよ。次からは忘れるなよ!」

 

と、暖かい声を掛けて頂いたことを今も忘れません。この運転士は何も「間違ったこと」はしていませんが、子供の心にいつまでも残るであろう「暖かい思い出」を与えてあげる機会を失ったという事実は、大変残念だと感じています。

 

事実として、38度にも迫る炎天下の中、徒歩で帰宅せざるを得なかった児童は、まさに危険に晒されていたのです。私の子供の頃の例しかり、子供が定期券を忘れたり、ICカードの残高に気がつかなかったというのは十分に「想定できる現象」であり、むしろ大人側の配慮が足りなかったと言えるのではないでしょうか?学校側もバス会社側も、今回のような事態を想定して、同様な事態に遭遇した場合は学校名と氏名を聴取した上で「後払い」としてもよいのではないかと思います。子供に対してはなから「無賃乗車扱い」は、少々やり過ぎな感が否めないと感じるのは私だけでしょうか?大人であれば、ルールはルールとして尊重しつつ、臨機応変な対応をしなければ、最悪の場合死人が出るということも「想定」すべきでしょう。

 

お子さんの健康状態に特段の問題がなかったことは何よりですが、この子が成長して大人になった時、果たしてこちらのバス会社を利用してくれるようになるのでしょうか?親切な運転士さんの配慮が今も私の心に温かい記憶として残るように、ただただ事務的な対応を迫られただけの悲しい記憶が、今回のお子さんの心にもずっと残ってしまうのかもしれません。これはとても悲しいことだと、私は考えているのです。

 

「寛容な社会」とは、一体何なのでしょうか?

 

頑張りましょう!

今年も「この季節」がやって来ました(笑)。

先日、校内ビブリオバトル選考会が終了、本人曰く、今年も「ぶっちぎり」の一位だったそうです(笑)。今年は高校生の校内予選を中学生も視聴したそうで、とある中学生が、

 

「〇〇(次男)さんだけは「レベチ」!」

 

だと評価されていたそうです。換言すれば、倅以外の子は真面目に取り組んでいなかったのかもしれませんね(笑)。

 

通常、3年生は受験もあり、この大会に参加することは稀なのですが、いまだ進学先が決まっていない「宙ぶらりん」な次男が、半ば強引に「参加させられた」のは、一昨年の次男、昨年の先輩と、2年連続県大会優勝を継続している「学校側」として、倅の「進路」よりも、学校の「名誉」を優先した結果と言えなくもないのです。県大会で優勝したら、特別な推薦枠でも頂けたらいいのですが(笑)。

 

次男としては昨年の「失敗」を踏まえ、今年は「原点回帰」したようです。

一昨年の全国大会で優勝した関西創価高校の生徒は、「自己啓発本」を選択したそうです。次男曰く、全国大会の会場には「教育ママ」的なお母様が数多く参加されていて、それらの方々の投票によって勝敗が決まります。次男の体感では、物語よりも、「効率の良い勉強法」や「自己肯定感の高め方」等々の自己啓発的な書籍の「受け」がよかったように感じたそうなのです。そんな経験を踏まえ、昨年は自己啓発本をテーマにビブリオバトルを展開したのですが、どうにも受けが悪い(笑)、そもそも満足に勉強していない次男が、「自己啓発」を謳ったところで全く「響かない」のです(笑)。今年はまさに「原点回帰」、再度自分の得意な「物語」について取り上げることにしたようで、今のところ上手くいっているようです。

たかが「ビブリオバトル」ではありますが、このような「トライアンドエラー」を通じて、少しずつ「賢くなる」経験を積めたことは、倅にとっては大変貴重なものであったと感じています。

 

受験のことを考えれば、今年は県大会を制してしまうと、少々困ったことになってしまうのですが(笑)、それでも高校生活の中で最も情熱を傾けたであろう「ビブリオバトル」に、持てる力を存分に発揮して欲しいと強く願う私なのでした。

 

今年はコロナ禍も明け、県大会の会場にオーディエンスとして参加出来そうです。次男の「最初で最後の晴れ姿」をこの目に焼き付けようと、夫婦揃って今から意気込んでいるところなのでした(笑)。

 

若い時に、何でもいいから「打ち込める」ことがあるということは、実に素晴らしいことだと改めて感じた蒸し暑い土曜日の朝なのでした。

 

頑張りましょう!

 

皆さんも経験があると思いますが、「隠れた名店」とは意外と「ボロかった」りするものです(笑)。食べ物屋さんなどがいい例ですが、味はピカイチだけど、どうして店舗はこんなにボロボロなの?というようなケースは意外にたくさんあるでしょう。

逆にお店の造りは素晴らしく、お値段だって決して安いとは言い難い価格であるにもかかわらず、お味の方は「?」というところもあります。もっとも、食べ物屋さんだからといって必ずしも「味」にこだわる義務がある訳ではなく、高級店たる「雰囲気」を感じるだけで満足してしまう人も現実にはいる訳で、確たる「正解」などあるはずもないのです。つまりは食事に対する価値観など「人それぞれ」だと思いますし、それでいいと私も思います。

 

翻って、「学習塾」についてはいかがでしょうか?

味覚の基準が「人それぞれ」に対して、学力については誰にでも共通かつ統一された能力が求められます。非常に残念ながら、入試において「特異な能力」はあまり重視されず、「他者との比較」のみが尊重されているのが実情なのです。

そのような現実の中で、「見栄え」を重視する「塾選び」は極めてリスキーであることは確かなのです。受験という人生においての重大イベントへの「準備」としては、そのような思考はあまりにも杜撰ではないかと、私は考えてしまうのです。

大きな塾においては、そのほとんどが学力別にクラスが分けられています。どの大手塾も押しなべて「最上位クラス」は待遇がよく、塾生も講師も極めて意欲的です。場合によっては「特待生」として月謝を免除されるという特典さえあるのです。健全な競争心が旺盛で、自ら机に向かう習慣があるお子様であれば最適な環境なのかもしれません。

一方で「学力最下層」のクラスについては・・・あえて言及はしませんが、唯一満たされるのは「大手塾に在籍している!」という歪んだ自己肯定感だけでしょう。私自身、業種柄いろいろと聞き及ぶことも多々ありますが、一言で言えば「悲惨」です(笑)。

 

現状において「できる子」も「できない子」も、その子にあった「環境」というものがあるはずなのです。親として、我が子の「適性」をしっかりと見極め、適切な環境を与えてあげることが重要であることは言うまでもありません。そして、それは前述の食べ物屋さんの例と同じく、「見栄え」や「雰囲気」だけで判断するのはいささか早計であるという事実を、決して忘れてはならないのです。

 

だからといって、「皆さん、当塾へお越しください!」などと言うつもりはサラサラないのですが(笑)、言わば塾選びの「ミスマッチ」たる状況を目の当たりにする度、「何とかならないものかな~」と考えてしまうのです(笑)。

 

「寄らば大樹の陰」などと言う言葉がありますが、少なくとも「塾選び」に関しては当てはまらないような気がしています。お子様にあった「隠れた名店」を探す努力こそが、受験を成功に導くためには必須であると、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!