私の高校時代は「野球」に明け暮れた時期といっても過言ではありませんでした。完全に「オフ」の日は年に5日ほどしかなく、合宿の時などは1日12時間の練習を強いられたこともあります。その上最低限の学業成績を維持することが「義務」だったのですから、日々をやり過ごすことで精一杯だった気がします。今から考えても「刑務所」に収監されていたのと同様の「地獄の日々」だったような気がしてなりません(笑)。もっとも、この頃の経験が今を生きる私の「礎」になっていることは、疑いようのない事実なのです。
現在の「合理的・効率的な練習」と比較すれば、私の経験など全く意味をなさないことなのかもしれません。けれども、たとえ非合理・非効率であろうとも、「力を蓄えるべき時期」というのは誰にでもあるもので、その時期にいかに「苦労」したかが、後の成否に重要な影響を与える気がしてならないのです。
今でこそ「スーパースター」として誰もが認める野球選手であっても、中学や高校時代に相当の練習量を耐え忍んできたケースがほとんどだと思います。華麗なプレーだけに目が行きがちではありますが、そんな「プロの技」を生み出した「背景」を知ることも、なかなかに興味深いものなのかもしれません。
心身ともに成長が著しい時期に少々の無理を強いることは、後に「大きく花開く」ためには必須の条件であるような気がします。当然のことながら、厳しい鍛錬の中でも、致命的な「傷」を負うことがないよう、常に目を光らせ管理する指導者の「能力」は重要であり、そういう意味では我々子供を指導する側の責任は重大だと言えるでしょう。十分な配慮を欠かすことなく、それでも「成長のための「無理強い」」を怠らない姿勢こそが、「指導者」に求められる資質なのだと、私は考えているのです。
合理性や効率性は確かに重要で、人類が発展していくためには常に追い求めるべき「目標」であることは間違いがありません。一方で、長い人生の「ずっと先」を見据え、今こそ「力を蓄える時期」と強く自覚して、一心不乱に事に当たる時期も必要なのではないかと、私は思うのです。「頑張ること」を覚えた子は、この先の人生においてもきっと「頑張れる」のではないかと、極めてシンプルに私はそう考えるのです。
理不尽がまかり通る世の中においても、「頑張れる人」の根底には「力を蓄えるべき時期」にしっかりと努力された人であり、それは合理性や効率性をひとまず横において、とにかく「目の前のことを頑張るぞ!」という経験をされた方なのではないかと、私は考えているのです。
「じゅくちょうは考え方が古い!」と言われようが、この信念だけは変えることができない私なのでした(笑)。
頑張りましょう!






