エフォートアカデミー塾長日記 -2ページ目

エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

先日、ヨーロッパのサッカー界で驚くようなことがあったようです。

 

スペイン代表の監督経験まである著名な監督が、自らが率いるロシアのクラブチームのトレーニング計画について、そのすべてを「チャットGPT」任せにしていたということ、それによって選手のトレーニング計画が「28時間睡眠なし」という、にわかには信じ難いデタラメな結果を導き出していたとのことでした。これを知ったチーム幹部は即座にこの監督を解任したそうですが、著名な監督でさえ「AI頼り」な思考になってしまうとは、かなり衝撃でした。

ただし、この報道の「信憑性」についてはやや「眉唾モノ」のようで、当の監督自身は練習や戦術の計画にAIを度々利用していたことは認めたものの、記事にあるようなエキセントリックな練習計画などは断じて立案・実行はしていないとのこと、そりゃそうです、プロスポーツ選手に睡眠さえ与えない練習計画など、文字通り「狂気の沙汰」なのですから(笑)。マスメディアの商業主義と欺瞞性に騙されることなく、「健全な疑問と批判精神」は常に持ち合わせていたいものです。

 

上掲の記事が「すべて事実」かどうかは別として、プロスポーツ界のみならず、すべてのビジネスにおいてAIの技術の重要性はますます高まっていることだけは確かです。かく言う私自身も、スマホのカメラで問題文を読み込み、ものの数秒でたちどころに解答と解説が表示されるシステムについては、時折利用させて頂き、大いに参考にさせてもらっています。

その「精度」もかなり上がってきてはいるのですが、それでも時折「実におかしな」回答をする場合があり、現状においては最終的な「人間によるチェック」は欠かせないと感じています。

 

そもそも「機械」というものは、人間の生活を便利に、豊かにするものであるはずで、「人間の意志」を代行する存在ではありませんし、機械が人間の意志を代行するような社会など、想像しただけでも恐ろしいことです。「機械」は「使うもの」であり、決して「使われるもの」ではないことを、我々は肝に銘じるべきでしょう。

 

「最も効率的に帰宅できるルートを探索して!」とAIに依頼すれば、きっと最短時間で、かつ省燃費なルートを即座に提供してくれるでしょう。けれども、「最短ルート」など辿らなくとも、冬は澄み切った空の満天の星を眺めながら、春は満開の桜を愛でながら、夏は心地よい夜風に当たりながら、秋は真っ赤に染まった紅葉を眺めながら「寄り道」して時間を「浪費」することが、「ミスだらけ」の人間にとって数値だけでは測りきれない「効用」だと、私は考えているのです。

 

ですから、塾生の皆さんは「宿題」を「チャッピー」に聞いてやってきてはダメですよ!(笑)。試験会場まで「チャッピー」を連れていくことはできないのですから(笑)。

 

頑張りましょう!

私が高血圧や糖尿病等々の「成人病」と呼ばれる病には漏れなく罹患していることはこのブログにも何度も書きました(笑)。そんな不健康極まりない私ではありますが、それでも小康状態を維持している要因は、まさに「食事制限」だと思っています。

某「ドン〇・ホー〇」には豊富に食料品を扱っている店舗があり、そこで「鶏むね肉」の塊をまとめて購入しています。細かくカットされていないのが「ミソ」であり、グラム60円台の驚愕の安さ、しかも脂肪分がほとんどないヘルシーなお肉です。一方で、脂肪分がない鶏肉は実に味気ないので(笑)、多少の工夫が必要ですが、元来ものぐさな私としては、極力手を掛けなくて済むように、市販のだし汁と焼肉のたれで味を調整して頂いています。キャベツもあらかじめざく切りや千切りにしてタッパーに詰めて保存していて、いつでも食べられる状態にしています。鶏肉をそのまま焼いて食べたり、あるいはキャベツいっぱいの鍋にして頂いています。

キロ単位で大量に買ってきた鶏肉を一気に消費できる訳がないので(笑)、ほとんどは細かく切ってタッパーに詰めて冷凍保存しておきます。これで少なくとも数日はもちますね。時折鶏むね肉に代えてグラム70円台の豚切り落とし肉を購入することもありますが、それは私自身への「ささやかなご褒美」でもあるのです(笑)。

そして「主食」はこれ、お決まりの「オートミール」です(笑)。大さじ6~7杯程度を器に入れ、少量の水を加え、さらに「化学調味料」をひと振りしてレンジで3分、これで立派な「白米の代用品」が出来上がりです(笑)。決して「白米のクオリティー」を期待してはいけないのですが(笑)、それでも私にとっては「白米の劣化版」としての「代用品」にはなっています。今ではほとんど白米を口にすることはありません。また、いろいろと苦言を呈されることが多い「化学調味料」ですが、上記のような「やや味気ない食生活」の中において、化学調味料はまさに私にとっての「救世主」となっているのが実情です(笑)。

 

このような食事を3食、もう1年以上継続していますが、以前は頻発していた糖尿病を起因とする「副反応」は、全く出なくなりました。血糖値の推移も良好で、継続的に服薬している以外は「健康で小太りな初老のおっさん」を維持できているのでは?と密かに自負しているところなのです(笑)。

 

まあ、味気ないといえば味気ない食事ではあるのですが(笑)、体重も増えず、血糖値も維持され、おかしな体調悪化もないから続けていられるのかな、と感じています。とはいえ、たとえ「命」や「健康」であっても、何を優先するかの価値観は人それぞれであり、こんな「鳥の餌」みたいな食事は耐えられない!というご意見も十分過ぎるくらい理解できる私なのでした(笑)。

 

「長く生きるだけが、人間の価値ではない」という考え方もよくわかります。私は「心地よい」と感じる限りは、今の食生活を続けていこうと考えています。

 

頑張りましょう!

昨日日曜日はブログを更新することができませんでした。時折面倒になってサボることはありますが(笑)、「書こうと思っていたけど書けなかった」ということはほとんどありません。にもかかわらず、「書けなかった」のには大きな理由がありました。

 

日曜日は朝から所有しているアパートついて、不動産屋さんと面会を予定していました。アパートまでは徒歩圏内であり、当然徒歩で向かったのですが、少しだけ気になることがありました。

私は普段「スリッポン」と呼ばれる、靴ベラや手を添えなくても踵がスムーズに入る靴を愛用しています。踵部分が頑丈に出来ていて、靴を履く際の手間が大幅に削減できる「スグレモノ」なのです。母が踵を潰して歩く癖があるため、急遽昨夏に購入したのですが、その際に「自分用」もちゃっかり購入したのでした(笑)。

 

この靴、実に履きやすい一方で、ちょっと気になる点もあるのです。踵部分を頑丈に作っている設計上なのでしょうが、かなり「厚底」の印象を受けるのです。他の靴を履いた後では、その「厚底」さが際立つ感じで、率直に言えば「やや歩きにくい」ケースがあるのです。

短距離とはいえ、この靴を履いて歩いていくのにやや不安を感じてはいたのですが、約束の時間も迫っていたことから、履き替えることもなく家を出ました。

自宅から数十メートル先のご近所さんが洗車をされていて、ご挨拶をした瞬間に、「その時」は訪れたのでした(笑)。

 

道路の小さな凹凸に足を取られ、それは見事に転倒してしまったのでした(笑)。瞬間的に「受け身」を取ったので、膝に僅かな擦り傷のみで済んだのが幸いだったのですが、ご挨拶をさせて頂いたご近所さんは、急に私が消えたのでさぞ驚かれたのではないかと思います(笑)。

 

その後、何事もなく小一時間の面会を終え帰宅したのですが、何だか膝周りが痛いのです。擦り傷は本当に大したことがない傷で、問題は一見すると「何でもない」ように見える膝の痛みです。筋肉痛なども同じなのですが、年を取ると「その場」での変化は感じませんが、時間が経ってからあちこち痛み出すことがあって、本当に困ってしまいます(笑)。こういう時は決して無理をせずに、大人しく休んでいる他に対処のしようがありません。いささか不本意ではありますが、ベッドの上で「大人しくしていた」のでした(笑)。昨日は授業を入れていなかったのが不幸中の幸いでした。

 

私立高校受験はもうすぐです。受験生のみならず、指導する私自身が自らの体調に十分配慮しなければならないと、肝に銘じた週末なのでした。

 

「歩いている時、自分が思っているより足が上がっていないんだよね~年かしら?」

 

妻の放ったひと言に、ただただ頷くばかりの私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

私立高校の受験まであと僅かとなり、受験生は現在入試問題の「過去問」に取り組んでいるケースが多いのです。時期が時期なだけに、当然と言えば当然なのですが、「過去問にさえあたっておけば安心だ!」という風潮には、私個人としてはやや疑問を抱いてしまうのです。

 

「過去問」をこなすことの効用は、まずは出題形式に慣れるということが挙げられるでしょう。どのような出題内容なのか、たとえば英語ならばリスニングに加え、長文読解は何問設定されるのか等々の形式が、複数年の「過去問」をこなすことで見えてきます。また、昨今はマークシート型の解答方式を採用する学校も増え、記述式とは異なり注意を払わなければならない点も確認できます。上述のような点は、まさに常識的に考えた上での「過去問消化の効用」と言えるでしょう。

 

一方で、高校や大学の「出題形式」や「出題傾向」は、ある年度に突然大きく変更されることも決して珍しくはありません。学校の先生や塾の先生が、

 

「今年は必ずここが出題される!」

 

などと声高に叫ぶ様子が毎年散見されるのですが(笑)、これ、もしその分野が全く出題されなかったら、どう責任を取るのでしょうか?また、そんな「戯言」を、あたかも新興宗教の教祖の「お言葉」の如く、何の疑いもなく信じてしまう受験生本人や、その保護者の「神経」が、私には信じられないのです。「過去問」はあくまで「過去問」であり、何事においても「盲信」は禁物であるということを肝に銘じるべきだと、私は考えているのです。

 

くどいようですが(笑)、過去問はあくまで「事前演習」であり、言わば「練習の一環」なのです。であるならば、「本番を想定」して取り組むようなことはせず、ちょっと「圧」をかけて取り組むべきだと、個人的には考えています。当塾では「50分」と指定されている「過去問」であれば、「40分」で解くように塾生には指示しています。この「たった10分」の余裕が、本番での余裕を生むと思うのです。時間的なゆとりを造り出すべく研鑽を積むことが、文字通り「本番のための練習」になることを、私は信じて疑いません。

 

よくよく考えてみれば、数年前までに出題された内容が、今年そのまま出題されるはずがないのです(笑)。取り組み方によっては実に有益な「過去問」ではありますが、過度に「過去問に依存」することは、少なからず危険を孕んでいるということをしっかりと認識すべきだと思います。

 

それにしても、毎年嬉々として「出題予想」を喧伝する輩が後を絶たないのですが、彼らは「指導者」というよりも「生粋のギャンブラー」と言った方がよいのではないかと思ってしまいます(笑)。せめて一度口に出したことへの「責任」は取るべきかと。

 

頑張りましょう!

受験生の皆さんに、進学にあたってぜひ考えていただきたいのは、進学先の「実情」についてです。いまさら何をとご指摘の方もいるかもしれませんが、今なら「まだ間に合う」ギリギリのタイミングだと思うのです。

 

受験において最も重要なのは「一貫性」だと、私は考えているのです。親が我が子を「のびのびと育てたい!」と考えるのはある意味で当然ですが、一方で「少しでもいい学校(偏差値が高い学校)へ行きなさい!」とハッパをかけるのもまた「同じ親」なのは、何だか不思議な感じがします。むしろ「学歴偏重主義」の親が、我が子に「学歴こそ人間の価値だ!」と誤った価値観を植え付けて、とにかく勉強三昧の日々を送らせる方が「効率がいい」ことは確かなのです。

上述のようなケースはちょっと極端な例ではありますが(笑)、何事も「一貫している」方が合理的であることは間違いがないのです。受験において求められるのは、その多くは「学力」であり、「どの程度の学力なら合格できるのか?」という事実は比較的明確なのです。実に単純な話なのですが、その「合格ライン」まで学力を伸ばせば、それで「万事OK!」であることは、誰だってわかっていることなのです。

現在の受験制度が「学力」によって左右されている以上、それに特化して頑張るのが「受験対策」に他ならないのですが、どうもその「重要な論点」を理解されていない親御さんが少なからず存在しているようです。

 

前述したとおり、子供にとってあまりにも過酷過ぎる「受験」について、我が子を「のびのびと育てる」という重要な論点から顧みれば、「極力避けたい」と考える「親心」は、それはそれでひとつの価値観です。その価値観に立てば、また「別の道」も見えてくるのではないでしょうか?一方で、我が子をのびのびと育てたいなどと言いつつも、一方で「学歴は重要だから!」などと半ば強引に我が子に「受験勉強」なるものを強いる親の矛盾した行動は、当の子供本人が大いに困惑するでしょうし、いつの日か大きな「しっぺ返し」が来るのではないかと危惧しているところです。

 

かように「進学」にあたっては、何もかもが「想定通り」「理想通り」となるはずがなく、だからこそ進学にあたっての中長期的な「青写真」を自分なりに描いておくことが何よりも重要なのです。受験における「学力」の必要性は、将来「のびのびと学ぶ」ための「最低限の知識」を得るためのものなのかもしれません。

 

偏差値を上げることは簡単ではありませんが、「これだけできればまず合格間違いなし!」という基準は、意外と単純なものなのです。

 

頑張りましょう!

先日、こんな記事を書きました。

今や「長男」から「三男」に成り下がった「元・長男」(笑)が、新春からの「旅立ち」を控え、独り暮らしで使用する家電を準備しているという記事でした。

 

日々溜まっていく家電を目の前にし、なぜか母がポロポロと泣き出してしまったのです(笑)。

 

「三男だから仕方がないけど、出ていってしまうと何だか寂しいね。」

 

あまりにも子供のようにワンワンと泣き出すものですから、「元・長男」も困ってしまい(笑)、

 

「独り暮らしだけど、月に一回くらいは帰って来るから!」

 

その場しのぎでそんな風には言ったものの、やっぱりこの期に及んでもなお「三男」扱いされている「元・長男」は、どこか納得いかない表情でありました(笑)。

 

そんなデタラメな日々を過ごしていたのですが、今朝早く私のスマホに着信がありました。昨夜私は4時過ぎ(もはや朝ですが(笑))に就寝し、午後からの授業に備えるべく睡眠をとっていたのですが、着信があったのが朝8時頃、何事かと確認したら、母の「宗教の友達」からの着信でした。

母が自宅の固定電話にことごとく対応してしまい、いくつもの必要のない保険や通信販売を次々と契約してしまっていたため、自宅の電話はすべて私の教室に転送設定し、電話自体を撤去してしまっています。この「宗教のお友達」には何度も事情を説明し、お誘いについては丁重にお断りしていたのですが、どうやらその真意を理解できていなかったようです。

 

「今から迎えに行きます!」

 

何らかの行事があって、そのために迎えに行くということを「当日の早朝」に知らせてくること自体が異常だと思うのですが、何とその電話の後に、直接我が家にやって来たのです。

たまたま在宅していた妻から連絡を受け、すぐに駆け付けたのですが、当の母はすでに奴らのことをはっきりとは覚えていなかったらしく、何とか事なきを得ました。以前であれば、このようなお誘いがあれば、

 

「何が何でも行く!」

 

と駄々をこねていた母ですが、こちらが拍子抜けするほどあっさりしており、私が家の中に入っていろと告げると、実にあっさりと部屋に戻り、ストーブに当たりながらテレビの続きを見ていたのでした(笑)。

この「宗教のお友達」は、昨夏、認知症が発症し始めた母を強引に連れ出し、集まりが終了した後に「放置」して、母を「殺しかけた」奴らです。宗教自体の性質は私にはよくわからないのですが、少なくともおかしな慣習などはなく、「会費」も常識的な価格で特段問題ないのですが、一部の狂信的な信者の行動が、この宗教自体の評価を貶めているような気がしてならないのです。そもそも何度注意しても全く自らの行動を改善しようとしない、母よりも年上である小奴ら自身が、もはや軽度の認知症ではないかと、個人的には疑っているのです。その旨は既に然るべき機関に「通報済み」ではあるのですが、「迷惑行為」のみで対応してくれるケースは稀であり、家族で頭を痛めているところでした。ただ、母自身が既に奴らとの「記憶」が薄れているということがわかったこと自体は、実によかったと安堵しているところです。

 

認知症による母の「奇行」は確かに問題ではありますが、実のところこの手の問題の「本質」は、地域社会の「無理解」ではないかと、ふと感じた実に慌ただしい木曜日の朝なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

学生たるもの「勉学」が基本であることは言うまでもありませんが、人生の中で最も輝く時期である青春時代に、勉強以外のことに情熱を傾けることもまた大切なことだと私は考えるのです。

 

例えば、青春のすべてを注ぎ込むに相応しいと思えるものが「スポーツ」であるならば、他の誘惑には目もくれず、とにかく頑張ってみることが大切なのです。一方で、前述したとおり学生の本分はあくまで勉学であるので、決して「スポーツバカ」になることは許されないということも心にとめておかなければなりません。

 

勉強はもちろんのこと、勉強以外の「情熱を傾けるべき対象」についても、精一杯取り組むことがまさに「青春」そのものではないかと、私は考えているのです。どちらかひとつだけを追い求めるのではなく、「どちらも頑張る!」という大谷選手張りの「二刀流」を目指すべきでしょう。

 

皆さんは「若者」なのですから、少々の「勇み足」や「失敗」は大いに許容される「特権」を持っているのです(笑)。好奇心の赴くまま、何にでも「いっちょかみする」主体性と、「結果」を恐れない「勇敢さ」さえ持ち合わせていれば、それで十分過ぎると言えるのではないでしょうか?

あまり良い言葉ではないのかもしれませんが、若いからこそ健全に「強欲」であり、「狡猾」であってほしいと、強く願っております。勉学にも、その他のことにも情熱を注いで取り組むことは生易しいことではありませんが、誰にとっても「1日は24時間」しかない中で、いかにしてライバルたちより効率的かつ合理的に鍛錬を重ねられるのか、という「ちょっとズルい思考」を常に働かせて行動するだけでも、きっと「健全に賢くなっていく」きっかけになるのではないかと思うのです。安易に「自分が好きなものや興味があること」以外を切り捨てる行為は、自らの可能性まで切り捨てる結果を招きかねないという事実をしっかりと認識すべきでしょう。

 

スマホをいじるのが何よりも好きならば(笑)、スマホをいじる時間を確保しつつ、いかにして勉強時間を確保するのか、また短時間の勉強で効率よく学べるために何をすべきか、そんな一見狡猾な思考を巡らせることこそが、知恵を膨らませるヒントになるのではないかと思うのです。

 

目指すべきは「好きなこと、興味があること」だけでなく、「二刀流」「三刀流」であるべきなのです。そして最も悲しいのは、何ひとつ「目指すべきもの」がない、無気力な人間なのではないでしょうか?

 

若者はある意味で「強欲」であるべきだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!

世の中には「運」だけには抜群に恵まれていて、特に苦労という苦労をしないままで「人も羨むような」生活をしている人が、おそらくは一定数はいるのではないかと思います。ただ、そんな「恵まれた人」はほんの一握りであり、大多数の人は辛苦を重ねながら「何とか生きている」状況であることも、また事実なのです。

 

およそ物事というのは、華々しい「表の面」よりも、そこに至るまでの過程や、努力の軌跡である「裏の面」まで見抜いてこその「本質」であり、そこにこそ「人間ドラマ」とも言うべき実に興味深いノンフィクションが隠されているのだと、私は考えているのです。私は「元野球少年」でしたので、よく野球の例を出すのですが、大谷翔平選手がただの「大柄な人」に終わらずに、世界有数のスポーツ選手となったのは、親御さんの躾と教育、アマチュア時代の指導者による適切な指導に加え、ご本人の弛まぬ努力によって実現されたことは言うまでもないことです。「ある日、ぽっと生まれてきた「天才」」などという漫画みたいな出来事が、現実の世の中で「あるはずがない」のです。

 

一方で、他人の「成功」があたかも「必然」であると誤認し、「きらびやかな面」だけが「すべて」だと壮大な勘違いをしている人が散見されます。大谷選手の華麗なプレーに「憧れる」心は極めて健全ですが、彼がその「類稀な素質」だけで超一流選手にのし上れるほど、「プロの世界」は甘くないという事実を、あまりに軽視している人が多過ぎるような気がしてならないのです。勉強においてもスポーツにおいても、「ライバル」の成功は、単に「運が良かった」というだけで片づけられる問題ではないということを、「実に凡庸な我々」はしっかりと理解する必要があるでしょうし、成功の「裏」にある「真実」を、きちんと見極められる能力が生きる上で最も重要であることを知るべきなのかもしれません。

 

「成功した人」を単に羨んだり、妬んだりするだけでは意味がないですし、何の生産性もないのです。とりわけ「勉強」における「成功者」は、必ず「他人から見えないところ」で人知れず努力を重ねているのです。

 

「あの子はぜんぜん勉強していないのに、テストはよくできる。ズルい!」

 

などと平気で言う人はよ~く考えて頂きたい(笑)、そんなことが「あるはずがない」のです。物事の「上っ面」だけ見ている人は、ついぞ「本質」というものを見ることが叶わない、実に気の毒な人だと、私は考えているのです。

 

まあ、「運だけがいい人」は、確かに羨ましくはあるけれど(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日、「共通テスト」が終了したようです。相変わらず「カンニング」で捕まったアホな「受験生もどき」が今年も発生したようですが(笑)、概ね順調に試験は実施されたようで、それはそれでよかったと思います。

 

ところでこの「共通テスト」ですが、本当に必要な制度なのか、私は従前より疑問に感じているとことが多々あるのです。

「センター試験」時代からの「悪い慣習」と言いましょうか、あくまで大学進学のための試験であるにもかかわらず、ちょっとおかしな事態が起きていました。学校によっては「半ば強制的に」全員を受験させるようなところもあるようで、例えば「私立大学単願」志望の受験生の場合、必ずしも受験に必要だとは思えない科目まで受験を強いられるケースも珍しくはなかったのです。

もっと酷いのは、商業高校や工業高校などの実業高校の生徒までなぜか受験を強いられているケースがあったことです。既に就職が決まっている子まで強制的に受験させられていることもあったようで、いったい何のため、誰のための試験制度なのかと疑ってしまうほどなのです。

 

さらに言えば、この時期には既に総合型や推薦等で進学先が決まっている受験生も多く、そんな子たちには全く「意味がない」受験制度になってしまっているのです。ひとつの受験会場・受験教室において、「ガチで」試験に取り組む子がいる一方で、あたかも「遠足気分」で友達との会話を楽しむ子たちが「同居」する試験なんて、いったい何の意味があるのでしょうか?「ガチで試験に取り組む子」も「そうでない子」も、双方にとって実に不幸な試験制度ではないかと思うのです。

 

個々の学校の対応を見ると、「センター試験」時代と比べ、受験に対する「自由度」は多少緩和されたようですが、それでもまだ無理に受験を強いる教員が少なからず存在しているようで、「適正な入試の在り方」という論点から見れば、私としてはかなり大きな問題だと捉えているのです。

 

現状の「共通テスト」が、現状の如く全国規模で、かなりの時間的・人的・経済的リソースを割いてまで実施すべき制度なのか、今一度考え直す機会が到来しているような気がしてなりません。大学自身が「望ましい学生」の獲得を目指すのであれば、それこそ各大学が独自の選考方法を模索・ブラッシュアップしていった方がよほど「効率的」ではないかと、ふと考えてしまった次第です。

 

少なくとも、「必要な人」が、「必要な時」だけ任意で受験できる制度にすべきではないかと、何となく感じた月曜日の朝なのでした(笑)。

 

まあ、これもひとつの「壮大な無駄」だと思うんだよね(笑)。

 

頑張りましょう!

先日「長男」を見事に「廃嫡」され、「三男」に「格下げ」された「元長男」ですが(笑)、今春からは自宅から離れた場所で働くこととなり、現在「独り暮らしに必要なもの」を家族で物色中なのです。

 

本人を含めた家族の「共通認識」では、新生活にあたってまずは「贅沢をしないこと」、家電や家具などは「既にあるもの」や「中古品」を活用し、極力「新品」を購入しないこととなっています。もっとも、我が家のような「貧乏一家」においては、他に選択の余地がないとも言えるのですが(笑)。

 

ただし「中古品」は当然「一品モノ」であり、安価で質の良いものはすぐに誰かにとられてしまいます。「これは!」という出物があれば、すぐに行動に移さなければなりません。そんな折、今朝の6時頃に某掲示板において「理想的な出品」がされているのを発見、急ぎ私一人で神奈川県まで出向いたのでした。

今回購入したのが洗濯機と冷蔵庫、おそらくは「三男」と同じく大学生だった子が卒業を控え、「独り暮らし」を解消した折に不要になった家電のようです(女の子が使っていたとのことでした)。製造年月日はちょうど4年前、女の子が使っていただけあって、とてもきれいな状態で、2台合わせて「津田梅子」の価格(笑)、まさに「破格」でした。

 

電子レンジは私が教室で使っていたもの、炊飯器も私が使っていたのですが、糖尿病のため米が食べられなくなり不要となったもの(笑)。その他の大型家具としては、「ベッド」と「座椅子」が欲しいとのことだったのですが、いずれも、

 

「あるよ!」

 

と返答したら、まるでこの人のようだと笑われてしまいました(笑)。

木村拓哉さん主演の「HERO」というドラマで、検事である木村さんたちが仕事の後に寄るバーのマスターさん、どんな無理な注文でも、

 

「あるよ!」

 

とたちどころに提供してしまう不思議な人、ちょうど年恰好も私に似ているかもしれません、私は髪の毛はフサフサだけど(笑)。

ベッドは三島教室に泊まり込むことになった時の「備え」のため、未使用の折り畳みベッドがあり(本人も折り畳みベッドが欲しいと言っていました)、座椅子は沼津教室で使用するつもりで置いておいたのですが、よく考えれば床に直に座ることなどあるはずがなく(笑)、以来保管したままになっておりました。まさに「あるよ!」だったのでした(笑)。

 

少しずつだけれど順調に「新生活の準備」が進んでいるのを喜ばしく思う反面、確実に「別れの季節」が近づいているのを実感せずにはいられなかった私なのでした。

 

頑張りましょう!