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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

先日、就職を目前にした三男(元・長男)が驚くべき発言をしていて度肝を抜かれてしまいました。だから「三男」に格下げされたんだと、改めて思い知った次第です(笑)。

 

彼の新しい職場は日本有数の「大所帯」であり、福利厚生もしっかりしています。自宅から離れて生活するため、立派な「社宅」も準備してくれているのですが、三男曰く、

 

「家賃、高くね?」

 

これには私も妻も「口あんぐり」状態でした(笑)。あまりに「世間知らず過ぎる」と。

 

聞けば家賃は「9000円」だそう。しかもどうやら単身用のワンルームではなく、何部屋かある「間取り」としては十分なもの、駐車場も社宅の敷地内に5000円で停められるとのこと、いくら静岡の田舎(田舎と言っても人口20万人規模の地方都市ですが)であっても、駐車場込みで14000円で貸してくれる部屋があれば、私が借りたいくらいなのです(笑)。

大学在学時も自宅から通い、「世間の相場」というものから隔世されてしまい、「常識の範疇」であることさえ覚束ないのは、私たち親としても大いに反省すべき点だと痛感しているところです。やや過保護気味の母親から離れ、世間の荒波に揉まれることで、多少は成長してくれることを、ほんの少しだけ期待し、生暖かく見守るつもりの私なのでした(笑)。まあ、本人を大いに「困らせる」ことも、若いうちは大切なことだと思います。

 

もっとも、最近の大学生は勿論のこと、中高生だって「スマホ」くらいは持っているのではないかと思います。その気になれば自分が居住予定の地域の「家賃相場」なんて、すぐに調べられるはずなのです。立派な「ツール」は既に持っているにもかかわらず、そんなほんの少しの「手間」を惜しむ姿勢こそが大きな問題なのではないかと、私は考えているのです。

せっかくの便利な道具を、SNSやゲームなど、あまりにも刹那的な目的にのみ使用するのは、実に「もったいない」ことだと思います。英単語なんて簡単に調べられるし、数学だって問題文や数式の画像を取り込めば、瞬時に詳細な解説とともに正しい答えを提示してくれます。私が学生の頃と比べれば、まさに「魔法のツール」とも呼ぶべき「文明の利器」を、単なる「宝の持ち腐れ」として粗雑に扱っている姿勢こそが、学力不振の原因なのかもしれません。

 

賢い子は「実にうまく活用している」のです。便利で楽しいツールが、果たして自分自身に何をもたらしてくれるのか、よ~く考えるべきではないでしょうか?

 

それにしても三男(元・長男)は・・・どうしようもねえな(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日、一昨日とブログをお休みしてしまいました。

 

意図してお休みすることはこれまでも何度かあったのですが、今回は「書きたくても書けなかった」というのが実情です。「ネタがなかった」のではなく、体力的・体調的に難しく、このような経験はおそらく初めてだったのではないかと思います。明らかに「おかしかった」一週間でした。

 

先週は公立高校受験があり、加えてデイサービスへの送迎や通院などの母のお世話もあり、朝から深夜まで忙しく動き回っていました。次男に授業のサポートに入ってもらっていたものの、たまたま新規入塾生が重なってしまったこともあり、極めて多忙な一週間になりました。新規に入塾してくれることは非常にありがたいことではあるのですが、予定が重なり過ぎると、どこかに「歪み」が生じるようです。

 

週末に関しては、土曜日の母の通院が終わった後、どうしても「怠さ」が抜けず、ほぼ終日「寝たきり」のような状態になってしまい、自分でも少し驚いてしまいました。日曜日も同じような状況が続き、最低限の用事を済ませた後は、やはり自宅で安静にするほかありませんでした。基本的に横になるようにしてはいましたが、私は体調が悪い時は右足が痙攣することが多々あり、その症状は寝ていてもお構いなくやってきて、「深い眠り」を妨げることがあるのです。「寝ている」だけなのに「何だか疲れている」という、ちょっと訳が分からない状況が続いた週末なのでした(笑)。

 

先週は私自身の通院もあったのですが、血糖値に大きな変化はなく、体重も僅かに減少していたのですが、やっぱり少しばかり「忙しなさ過ぎた」のが原因だと思います。もう若くはないのだから、率先して自制しなければ「大変なことになるかもしれない」ことはわかり切ってはいるのですが、それでも「学習塾として最も忙しい時期」を「何とか乗り切らなければならない」という現実からは逃れようがありません。まあ、「死なない程度」に頑張ろうと思っております(笑)。

 

そんなドタバタな週末を過ごした私なのですが、個人事業主の性と言いましょうか、それとも「貧乏暇なし」を文字通り実践しているとでも言いましょうか、「月曜日」になると何だか「通常バージョン」の私に戻りつつあるのでした(笑)。今週は「確定申告」も仕上げなければならず、元・長男(現三男(笑))の引越も控えていて、否が応でも「もうひと頑張り」を強いられる私なのでした(笑)。

 

それにしても、あまりの花粉量で、目が痒くて死にそうです(笑)。薬のおかげで、鼻は全く問題ないけど。こんな経験は初めてで、今年はやはり花粉の飛散量が多いのでしょうか?

 

頑張りましょう!

本日、久々に同級生から連絡をもらいました。

こういう「珍しい連絡」に「吉報」はほとんどないものですが、やはりその予感は当たっていたようでした。

 

高校時代の野球部の監督がお亡くなりになったとのことでした。

 

先生は「国語」の教師で、当時はまだ「青年監督」と呼ぶに相応しい若さでした。誰もが認める「球歴」を誇る部長先生とは異なり、時には私たち選手と一緒に「采配」について部長先生に「叱られる」こともあり、「恩師」であると同時に、ある意味で「戦友」であったような気がするのです。

部長先生は「教員としての出世」には目もくれず、ひたすら「野球を通じた教育」に生涯を捧げた偉人でしたが、監督は教員としても立派に出世され、生真面目で努力家でいらっしゃったことは「教えられる側」から見ても明らかでした。私たちと同様、一日の休みもなく練習に出ていて、大切なお嬢様の「ピアノの発表会」を見に行けなかったことを何度も悔いていた姿を、今も忘れることができません。

おそらく先生はまだ70歳を過ぎた頃だったのではないでしょうか、まだまだ若すぎる、あまりにも突然の訃報に胸が痛くなりました。

 

「元気に長生きする」ことは実に素晴らしいことですが、それは少しずつ「大切な人」や「大事な思い出」を失っていくことに繋がります。実に切ない「現実」ではあるのですが、そんな悲しみの連続こそが「人生」だと言えるのかもしれません。先生は当塾の三島教室近隣にお住まいになっており、開塾当初は何度かお目にかかる機会がありました。ここ数年はご無沙汰してしまっていたのですが、今になってそんな不義理を大いに後悔している私なのでした。

 

大恩ある方がまた一人鬼籍に入られ、何とも言えない悲しい気分になってしまった私なのですが、それでも「教えていただいたこと」を胸に刻み、「大切な思い出」をいつまでも忘れることなく、先生のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

 

こうやって、少しずつ「お別れ」を重ねていくことは、何ともやるせない気分になりますね。

 

寂しくなってしまうな。合掌。

 

頑張りましょう!

本日は公立高校の「面接試験」の日です。受験生の皆さんは過度に緊張することなく、無事に面接を終えられたでしょうか?

 

以前当塾に在籍していた若い講師が、

 

「私は面接で失敗して、第一志望の高校に不合格になった!」

 

と塾生に触れ回っていました。確証もないことを、さも事実のように触れ回るのは非常にマズいので、当時は厳しく注意しました。おそらくは単なる「学力不足・努力不足」を、「他の原因」に振り替えたかっただけなのでしょう。実にちっぽけな自尊心が見え隠れしていました(笑)。

 

面接時に多少緊張してぎくしゃくした対応になったとしても、それだけで不合格になることなど絶対に有り得ません。受験生の皆さんにおいては、その点は安心して頂いて構わないと思います。「お作法」を試す試験ではないのですから(笑)、緊張することが「わかりきっている」場面において、

 

「あ!無作法だ!ゆえに不合格とする!」

 

などという、鬼のような試験官がいるはずがないのです(笑)。もちろん面接試験を遅刻したり、あるいは欠席したり、滑走路のようなヘアースタイルで臨んだり、メイクばっちりで行ったりすれば、そりゃ落ちるかもしれませんが(笑)、逆に「ここ一番!」の場面でそんな大それたことができる「輩」は、尊敬に値すると、割と本気で考えております(笑)。

 

上述の通り、入学試験の合否は専ら「学力検査の結果(当然、内申点の評価を含む)」に依存していると考えて間違いはないのですが、高校入学後の生活も考慮すれば、「第一印象」というのは決して軽視できないのもまた確かなのです。それほど難しく考える必要はありませんが、高校入学後に積極的に取り組みたいことや、将来の夢などを率直に語ることができれば、それで十分ではないかと思うのです。逆に、学力試験において十分な「合格点」は得たものの、面接試験において終始「不愛想」を貫いてしまった子については、

 

「あれ?この子はとっつきにくい子なのかな?」

 

と、先生方から警戒されてしまうかもしれません(笑)。それはそれで極めて「損」だと思うので、中学生らしく、ハキハキとした対応を心掛けるべきだとは思います。緊張しているのは十分過ぎるくらいわかるのだけれど(笑)。もしかしたら、「面接試験」とは入学後のことまで見越した上で行われる「個性のチェック」なのかもしれませんね。

 

「入試」にしても「恋愛」にしても、「第一印象」というのは極めて重要であり、それを「覆す」のは容易ではないという事実だけは認識しておいた方が良いのかもしれませんね。

 

頑張りましょう!

本日は公立高校の学力検査日でした。受験生の皆さんはしっかりと実力を発揮できたでしょうか?

 

受験に限らず、スポーツなどにおいても「本番」で実力以上の能力を発揮できる人と、逆に「いつもの能力」を全く発揮できない人がいます。この差はいったい何なのでしょうか?少なくとも「単なる偶然」ではないはずなのです。

 

今を遡ること二十数年前、私は盛大な「結婚式」を挙げたのですが(笑)、結婚式の前には必ず当日の雰囲気を直接感じ取ってもらうための「模擬結婚式」なるものが結婚式の会場で行われます。無料で招待される上に、実際の結婚式で提供される食事なども振る舞われ、実にお得である上に式当日の様子もつぶさに観察でき、結婚式の「当事者」たちにとっては非常にありがたく、参考となる催しのはずだったのですが、その「模擬結婚式」の席で、妻をはじめとする妻の家族(実家の家族)はなぜか感極まった表情で涙を抑えられなくなっていたのでした(笑)。当然のことながら、他のご家族で感涙に浸っている方など皆無であり、正直なところ、

 

「この一家、大丈夫かな?」

 

と感じざるを得なかったのです。だってあくまで「模擬結婚式」ですよ、おかしいでしょ(笑)。

 

ちょっと話は逸れましたが(笑)、「本番で実力を発揮できない人」というのは、「練習のための練習」に終始している人だと、私は考えているのです。「練習」の「目的」は「本番への備え」であることは言うまでもなく、いかに「練習」の時点から「本番」を想定して、緊張感をもって取り組めるのかという点こそが、「本番」での「成功」を左右するのだと、私は信じて疑わないのです。

 

「まだこれは「練習」だから!そんなに本気にならなくても大丈夫!」

 

こんな思考の人は、「本番直前」に至ってもなお「練習のための練習」を繰り返し、そのくせ「本番」では「ビビりにビビりまくって」惨敗という、実に悲しく、それでいて「妥当」な結果に落ち着くのです(笑)。そもそも人間は「手痛い失敗」を重ねつつ成長していくものではありますが、この手の「準備不足」については、意識さえ高く保っていれば未然に防げたはずなのです。結局のところ、「日々の努力と心構え」が「大一番」で出てしまうということなんでしょうね。

 

「模擬結婚式」で感涙に浸った妻実家の面々は、「本番」の結婚式では実に落ち着いていて、過度に感情的になることなく「結婚式」を存分に楽しんでいたように感じました。これもきっと「練習」を「本番」と同様の心構えで臨んだ結果だったのでしょう。

 

少し強引な「オチ」でしたかね?(笑)

 

頑張りましょう!

明日はいよいよ静岡県公立高校の学力検査です。当塾塾生に限らず、すべての受験生の皆さんには持てる力を存分に発揮していただきたいと、心から願っております。

 

昨今は中学3年生の「進路」のひとつに、「単位制高校」という選択肢が加えられ、いまや中学生の進学先として一定程度の認知度があるものと思います。やや大雑把ではありますが、今回は「通信制高校」まで含めて「単位制高校」として「ひとくくり」にして考えてみたいと思います。

 

私自身は絶対に「昼間に毎日通う高校」をお勧めしますが、それでも「単位制高校」には大きなメリットがあることも事実で、「必ず必要な高校の形式」であるとも考えているのです。

誠に残念ながら、現在の「学校」は「誰にとっても楽しく、安全な場所」だとは言えず、学校に「行きたくても行けない」子が少なくないのです。学校以外でしっかりと勉強していながら、「学校に行っていない(行きたくても行けなかった)」という理由のみで絶望的に進路が閉ざされるようなことがあってはならないのです。「単位制高校」はそのようなあまり幸運とは言えなかった子供たちのための貴重な「進路」のひとつであることは確かで、それによって大いに救われた子も決して少なくはないのです。時折、単位制高校の進路実績で、超難関大学に進学している子を散見しますが、そういう子はきっと学校へ行けなかった期間もしっかりと学習してきた子なのでしょう。実に立派だと思います。

 

上述のような「望ましい高校生像」を体現したような子がいる反面、多くは「他の選択肢がない」ことが理由で単位制高校を選択しているケースがあまりにも多く、そんな子の中の一部が小さくない問題を引き起こしているのもまた事実なのです。単位制高校や通信制高校の「卒業率」を調べれば、その「現状」は明らかだと思うのです。

 

様々な個性を持つお子さんにとって、「単位制高校」を選択することは、ひとつの重要な「進路先」であることは確かであり、特に明確な目標を持つお子さんにとっては「全く無駄のない、目標への最短距離」となり得るでしょう。一方で、中学校において怠惰に怠惰を重ね、さしたる理由もなく学校に行かなかった(「行けなかった」、ではなく、「行かなかった」です。この違いはあまりにも大きいのです。)子にとって、「単位制高校」が「解決のための選択肢」には決してならないということだけは覚えておくべきでしょう。

 

大切な「進路」なのですから、「安易な選択」だけは絶対に避けなければなりません。

 

頑張りましょう!

私は高校時代に野球部に在籍していたことは、このブログでも何度かお話ししました。この野球部では、卒業後も選手間のみならず、保護者同士も時折食事会などをして交流を深めていました。

 

ある「お母さん同士」の食事会の時に、ちょっと面白いことがあったのです。

もう二十年も前の話ではありますが、同級生6人の母親が揃っての食事会の席で、それぞれの「倅の将来」について話したそうです。偶然にも同級生全員が「長男」であり、

 

「長男とは、どうあるべきか」

 

というテーマについて話をしたそうです。とはいえ、6人中4人のお母さんは、

 

「今時、長男が次男が~などというのは時代錯誤では?」

 

という意見だったそうですが、

 

「長男たるもの、家を継いで家系を守っていく義務があるのだ!」

 

と最後まで頑として意見を曲げなかったのが私の母とI君の母なのでした(笑)。

私の母とI君のお母さんの驚くべき共通点は、

 

①夫を同じ病気(胃がん)で、同じ病院で、しかも同じ病室で、さらに同じ年齢(52歳)で亡くしていること。私の父よりI君のお父さんの方が1歳年上だから、I君のお父さんが亡くなったちょうど1年後に私の父が亡くなっている。

 

②I君のお母さんは数年前から、私の母は昨年から認知症を患い、I君のお母さんは既に施設に入居している。

 

③子供はともに「一男一女」。

 

④ついでに、私の子は男二人だが、I君の子供は女二人(笑)。

 

I君ともよく話すのですが、これだけ「偶然の一致」が続けば、もはや「必然」ではないかと思わざるを得ないのです。はっきり言えば、ちょっと気味が悪い(笑)、それほど似通った境遇なのでした。

 

これが本当に「偶然」なのかと言えば、私にはそうは思えない部分も多々あるのです。今を生きる私たちは、すべてにおいて「健全な猜疑心」を持たなければいけないと、強く感じます。何の疑いもなく、「昔からそうだったから」「そういうものだから」という盲目的な思考を持ち始めた時こそが、「老い」の始まりなのかもしれません。「これでホントに大丈夫なのか?」という「疑り深さ」こそが、新たな価値観を発見することにつながり、ひいては自らの人生を豊かなものにしてくれるのではないかと思うのです。

 

「あーでもない、こーでもない!」と思索を巡らせること自体が「頭の体操」なのであり、古い価値観に凝り固まっていることが、実は「思考停止」状態なのかもしれないと、数奇な運命の2人を見て、率直に感じた私なのでした。

 

頑張りましょう!

私は自分の教室を持つ前に、隣市にて「雇われ教室長」をしていた時期がありました。その際に「オーナー」に言われた一言は、責任者となった今もなお役立っています。

 

「親の言うことは「七掛け」で受け止めろ!」

 

入塾面談ではお子様の生活や学習の状況について詳しくうかがうのですが、その際に「現状の成績」を少しばかり「盛って」申告したり、逆に現状よりも「酷い有り様」であることを強調したりするケースが多いのです。このようなことがあまりにも多いので、結局のところ入塾後しばらくの間、実際に子供の様子を確認しなければ、「本当のこと」がわからないのです。そもそも「学年順位」や「内申点」を大幅に「盛って」いたことが発覚してびっくりしたり、あるいは「あまりにも酷い言いよう」であったにもかかわらず、当の子供本人は意外と「しっかりしている」こともあるのです。これはすなわち、「親は意外に我が子の実態を知らない」ということを意味していて、同じ親として何だか悲しい気分になってしまうのです(笑)。

 

子供を育てていくということは実に大変なことで、文字通り「一筋縄ではいかない」のです。時には親としての「見栄」や「威厳」をかなぐり捨ててまでも、子供と真剣に対峙しなければならないこともあるのです。親自身がその「真剣勝負」から逃げ回るようならば、もはや「親たる資格」さえないのではないかと、私は考えるのです。

親とてひとりの「人間」ですから、我が子を育てるにあたって「手に余る」こともあるでしょう。かく言う私自身だって、そんな時は数え切れないくらいありました。人間の価値は「困難に遭遇した時」にこそ試されるものなのです。恥や外聞をかなぐり捨てて、誰かに「助け」を求めることが、子供にとっても親にとっても、唯一の「解決のための可能性」だと、私は考えます。

 

お子さんんを不必要に「立派に見せる」必要などないのです。逆に無下に蔑むことだって何ひとつ良いことなんてありません。

 

「こんな状況で、とても困っているんです!」

 

当塾はマンツーマン個別指導塾ですから、誰かに聞かれる心配もありません(笑)。ぜひ「ありのまま」の状況をお知らせ頂ければと思います。間違っても、「こんな状況を知られたら恥ずかしい!」などと考えてはいけません。「何もしない」ことが、状況をさらに悪化させるという現実を、親たる者はきちんと認識すべきだと強く感じます。

 

ところで、水曜日からは公立高校入試が始まります。暖かくなって明らかにムズムズしてきた目と鼻の状態とともに、

 

「年取ってからの1年って、早いな~」

 

と感じざるを得ない私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

本日、ちょっと驚きのニュースを目にしました。

 

長男は小学校・中学校・高校の教員免許を取得することができましたが、この先生にお世話になったことも多く、親身になってご連絡を頂いたこともあったそうです。少なくとも学生にとっては柔和な先生であったようです。

 

一方で、こと「インターネット上」においては人格が大きく変わってしまうそうで、以前も安倍元首相が非業の死を遂げた際、あまりにも「心無いつぶやき」をX(旧ツイッター)に上げて、その主張の「危うさ」は学生の間でも話題になっていたとのことでした。

 

私はブログにおいては極力政治やイデオロギーについて言及しないように努めています。それが私の「流儀」ではありますが、「学者」が政治に対して積極的に発言することは、決して否定されるべきことではないと思っています。問題なのは、たとえ主義主張が正反対の人間であろうとも、非業の死を遂げた方に対する「心無い言葉」や、身体が不自由な方を揶揄するような表現を平気で用いる言動だと思うのです。このような言動は「教育者」としてはおろか、「人間」として大きな欠陥があると断じざるを得ません。そのような言わば「教育者」としての資質を大いに欠いた人間を、あろうことか「教員養成系大学」を自認する常葉大学が長年にわたり雇用し続けたという現実は、あまりにも重いものがあるのではないかと考えるのです。

大学として「厳正に対処する」とコメントしていますが、果たしてその「対処」が適切なものであるのか、私自身も大切な我が子を預ける保護者の一人として、今後の経過を注視していきたいと、強く感じているところです。

 

「人生の師」たる人物に「学校」で出会うことができた人は、実に幸運な人なのかもしれません。その意味では、私自身はその「実に幸運な人間」の一人でした。裏を返せば、「勉学を学ぶ場」であっても、そこに「恩師」と成り得る人間が必ず存在するかと言えば、そうとは言い切れないのです。少なくとも「教員」という安定した地位に胡坐をかき、他者の「人格」を蔑ろにし、ただただ「誹謗中傷を繰り返す輩」には、「恩師」たる資格など微塵もないと、私は考えているのです。

 

常葉大学の厳正かつ適切な「対処」を強く望みます。常葉大学を志望するすべての子供たちのためにも。

 

頑張りましょう!

人間、生きていれば何らかの「トラブル」に巻き込まれることを全て華麗にスルーすることなんて、できません(笑)。事の大小を問わず、誰でもが多少の問題を抱えているものです。

 

そんな「トラブル」を大事にしてしまうのか、それとも最小限の被害で食い止められるのか、この状況を決定づけるのは「初動の対応」に尽きると、私は考えているのです。

 

地震などの自然災害も然り、災害発生直後の対応が、その後の被害を拡大させてしまうのか、それとも最小限の被害で食い止めるのか、これまでの数多の自然災害時の対応の「結果」によって、その重要性が証明されています。

 

勉強や学校生活においても、「初動」は極めて重要なのです。

勉強に「遅れ」が生じたと感じた時に、子供本人もしくは保護者が迅速かつ適切に対処すれば、「傷口」は最小限で済むはずです。保護者様に我が子を教える能力と時間があるのであれば、すぐにでも子供の学習に介入すべきですし、そのようなゆとりがないのであれば、塾などの第三者に頼る手もあるでしょう。

 

我が子が学校に行かなくなった時、その原因を即座に突き止め、学校とともに改善策を模索すること、その上で学校に行くこと自体が子供にとって「安全ではない」と判断したのであれば、学校に行かずとも勉強する環境を整えることが重要なのです。あたかも腫れ物に触れるかのように、大の大人が子供の周囲でオタオタし、いたずらに時間だけを浪費することは、本質的な解決をより難しくするだけだということを強く自覚すべきだと思うのです。

 

「これは、ちょっとマズいぞ!」

 

そんな風に感じた、まさにその時こそ能動的に「動かなければならない」時なのです。何事においても「初動の遅れ」が致命的な結末を招きかねないという現実をきちんと直視するべきでしょう。

 

とはいえ、誰しもが進んで「トラブル」に対処したいとは決して思わないということは十分に理解できるのです。私自身だって、正直言えば「御免被りたい」というのが偽らざる本音ですが(笑)、それでも大切な「我が子」のために、あらゆる軋轢を恐れずに「行動に移す」ことほど重要なことはないと思っているのです。

 

繰り返しになり恐縮ですが、生きていれば「トラブル」はつきものであり、とりわけ未熟な子供であればなおさらその傾向が強いのは当然のことなのです。要は子供を取り巻く大人たち自身の「胆力」が問われているのだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!