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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

長年塾を続けていると、「家庭環境」という面で決して恵まれているとは言えない子も数多く在籍してくれています。中にはご家庭の経済状況がお世辞にも裕福だとは言えない中で、必死に塾代を工面して通わせてくれていた保護者様もいて、同じ親として頭が下がる思いと同時に、深く深く感謝している次第です。

 

「少なくとも、自分が大人になるまでは、親は「居て当たり前」なもの」

 

だと勘違いしている中高生が多いのですが、遅かれ早かれ「人間はいつか死ぬ」ということをしっかり自覚すべきなのです。また、親だって「人間」なのですから、ご両親が「お別れ」する可能性だってゼロではないのです。要はいつ何時家庭環境が劇的に変化するかなどということは「誰にもわからない」ということです。幸いにしてご両親が揃っている子は、今置かれている環境に常に感謝し、不幸にして「親がいない」子は、今のうちに少しでも「知恵」を身に着けて、自らの幸せのために努力を重ねるべきなのです。いつまでも「親」が面倒を見てくれるなどと考えてはいけないのです。

 

私自身、大学生の頃に突然父を亡くし、その経験をもとに塾生たちには上述のような内容を事あるごとに話しています。「親しかった人間」を失うことは実に悲しいことではあるのですが、だからこそ「わかる」こともありました。

大学生の子供を二人残して旅立つことになった父に対して、まさに父の今際の際で、

 

「子供たちの学費のことは気にするな!俺が全部面倒見るから心配しないでくれ!」

 

と声を掛けてくれたのは今は亡き「叔父」でした。本当に「困った時」に手を差し伸べようとしてくれる人こそ、「大切な人」だということを、父の死をもって改めて痛感しました。普段から耳ざわりのよいことばかり言ってくれる人が、本当に「自分にとって良い人」だとは限らないのです。父の死後、このようなことを何度も経験できたのは、私にとっては得難い経験となったのです。

 

多くの方々の善意と、私自身の壮大な「試行錯誤」を経て(笑)、何とかここまで生きてきました。ついには「子供に還った」母の面倒までみるハメになってしまいましたが(笑)、それでも何とか生きています。「親はなくとも子は育つ」のです。

 

こんな私の拙い「経験則」から導き出された「結論」は、本当に必要なのは子供にとっての「親離れ」ではなく、親にとっての「子離れ」ではないかと、私は考えているのです。「いつまでも「親」がいる訳ではない」ということは、裏を返せば「いつまでも「我が子」の面倒を見れる訳ではない」ということなのです。いつかは自立し、「人の親」となることを我が子に期待するのであれば、我が子への過度な干渉は、時として「毒にしかならない」という事実を、親たる者はしっかりと自覚すべきだと、大いなる自省の念を込めて強く感じているところです。

 

親として、我が子に「してあげられる」こととは何でしょう?我が子可愛さに、何でもかんでも「してあげる」ことが「無償の愛」だとは、私にはどうしても思えないのです。

 

頑張りましょう!

公立高校受験まで2週間を切りましたが、高校受験生がその動向に振り回されるのが「内申書」なる「謎の報告書」なのです(笑)。

 

明確な「基準」をもって客観的な評価をされるのであれば別ですが、一教師の主観的評価の集合体なる「内申書」が、事実上私立高校の進路希望先に決定的な意味を持ち、また公立高校受験者にとっても「併願校」選定のための「足枷」になっていることは、由々しき問題だと考えています。

 

長年にわたりこのような歪んだ入試制度が継続されている現実の中で、我々塾業界としても、その「悪しき慣例」から大きく逸脱できないのが現実ではあるのですが、個性溢れる子供の中には、

 

「内申書なんて、クソくらえ!」

 

と声高に宣言する豪傑がいるのです(笑)。

 

静岡県の公立高校入試には「裁量枠」という制度があります。スポーツなど学業以外の素養があると思われる生徒に対して、通常の合格枠とは別の「裁量枠」を設け、入学させる制度ですが、誤解を恐れずにごく端的に言えば、

 

「野球が上手かったら、入試の点数、ちょっとオマケするよ!」

 

という制度なのです(笑)。この制度については賛否両論あるかと思いますが、以前とあるトップ校の裁量枠試験にて面白い結果が出たそうです。

一般入試の合格者平均点と、裁量枠を利用した合格者平均点を比較すると、裁量枠で合格した受験生の平均点の方が遥かに高かったそうなのです。一方で内申点を比較すると、一般入試の合格者の方が遥かに高く、裁量枠合格者の中には、とんでもなく低い内申点で、かつ学科試験ではとんでもない高得点を叩き出した子がいたそうです(笑)。これはいったい何を意味するのでしょうか?

 

はっきりしているのは、「内申点」なるものが、子供の学力を正確に表しているものではないという事実なのです。にもかかわらず、いまだに受験関係者たちが「内申点」なるものを重用しているのはなぜなのでしょう?

 

自らが納得しかねる指導については、たとえ学校の先生からの指導であっても、頑として聞き入れない一方で、勉強もスポーツも精一杯頑張る。先生の言うことなんてちっとも聞かないから、内申点は最悪(笑)、実に損ばかりしている「一本筋が通った子」。

 

私はそんな子が大好きなのです(笑)。自らを「磨く」ということが、「先生のお気に入り」になることとは違うのだということを、中学生の段階でしっかり理解し、実践していることだけでも尊敬に値すると私は思うのです。

 

もちろん、「損」はしますよ、そんなことやらない方がいいに決まってます(笑)。けれども、自らの意思であえて「損」をして、その結果に対してしっかり責任を取ろうとする「勇敢な子供たち」を、私は応援せずにはいられないのです。

 

「内申書」などに負けず、踏ん張ろう!

 

頑張りましょう!

一昨日、前回とは別の「某生命保険会社」からお手紙が届きました。我が家に届く手紙類はすべて母が「強奪」してしまい、いろんな場所に「放置」してしまうので、なかなか手元に届かないのですが、今回は母より先に私がゲットしました(笑)。

 

「生命保険会社」からのお手紙ですので、少なからず嫌~な予感はしていたのですが(笑)、まさにその予感が的中したのでした。

 

今から30年以上前、性懲りもなく私の名義で「変額保険」なるものに加入、既に200万円以上の保険料を支払い済みとのこと、ここまでならまだよかったのですが、この「変額保険」なるもの、投機性が高い保険のようで、今解約しても半額以下の返戻金にしかならず、生命保険とはいえ、私の死亡保険金もさほど大きくはなく、「いったい、何のため?」というような保険でした。そもそも私に無断で生命保険に加入してしまうのも何だか「気持ちが悪い」話ですし(笑)、30年以上かけて払い込んだお金が半額以下になってしまうとは、とても空しい気分になってしまいました。

 

それでもまだ半額は残っているようなので、すぐに保険会社に連絡の上、解約の手続をお願いした次第です。こんなことを、あと何回繰り返せば終わるのだろうかと、絶望的な気分になってしまった私なのでした(笑)。

 

三十数年前といえば、父を亡くした直後であり、母の様子は「何だか変?」だったように、今更ながら感じます。金の先物取引や原野商法、ワンルームマンション投資など、一見して「詐欺的」と思われるような案件に次々と手を出し、ついには「詐欺事件」となってしまって警察から「被害者としての」事情聴取を求められた際も、

 

「私は怖いから、行かない!あんた行ってきて!」

 

と、実に無責任にも私に「丸投げ」したのも母でした。私にとって後にも先にも、警察の「取調室」に入ったのはこの時だけなのです(笑)。

 

我が子にとって「良かれと思って」してくれた行動であったと信じてはいますが、今になってその「尻拭い」に追われていることを、ボケてしまった当の母自身はどう思っているのでしょうか?

いや、今となっては「どうとも思えない」のだろうけど(笑)。

 

母がこのような状況に陥ってしまった以上、私たち家族は今後もしばらくの間は「後ろ向きの対応」を余儀なくされるものと思います。いったいいくつの保険に入れば「心の安寧」を得られるのか、奇跡が起こって母が覚醒した時にはぜひ問うてみたいと、「ありもしない空想」を抱く私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

最近「猫」の動画にハマっている私です(笑)。

そんな私が心に残っている動画がこれです。

 

定年退職したお父様が急逝され、そのお父様が可愛がっていた猫のお世話をすることを決意したものの、なかなか打ち解けてもらえず、それでも諦めずにお世話を続け、ようやく「認められた」ことを短時間のショートムービーにまとめたものです。何てことはない、ただただ子猫が可愛らしいだけの動画のように見えるのですが、私には少しばかり「思うところ」があったのでした。

 

今から40年近く前、私や妹が大学へ進学するため、それぞれ「一人住まい」を始めることになり、実家には父と母の二人だけが残されることになりました。両親だけの生活がどんな様子であったのか、今となっては知る由もないのですが、急に寂しくなった実家に、父が懇意にしていた飲み屋のママさんから、生後1か月ほどの子猫を貰ってきたそうです。

 

その後まもなく父の末期がんが発覚し、私は母に懇願されて大学まで「新幹線通学」することになったのですが(妹はさらに遠隔地のため、どうやっても自宅からの通学は困難でした)、父の死後も猫は我が家に居座り続けたのです(笑)。

父が亡くなった時、母は一時期全くの「ダメ人間」になってしまったのですが(笑)、そんな母を癒したのは間違いなく「猫」だったのです。私には全く懐かなかった「けしからん猫」でしたが(笑)、母には実によく懐いていて、食事をするのも、風呂に入るのも、寝るのもいつも一緒、きっとこの猫は父から、

 

「(母が)しっかり立ち直るまで、一緒にいてやってくれ!」

 

と頼まれたのかもしれません。結局母は、父を失った直後にもかかわらず、1日の有給休暇も取らぬまま「小学校教員」の仕事に復帰したのでした。倅である私は母に何の慰めの言葉も掛けてやれませんでしたが、父の任を受けた(であろう)「偉大なる猫」は、その責を十二分に果たしてくれたのでした。

 

そんな愛すべき「チビ猫」は、ある日突然トイレの窓から外へ飛び出して、以来二度と帰って来ることがなかったのですが、きっと今頃は、どこかで父と二人でじゃれあっているのではないかと、ふと考えた祝日の朝なのでした。

 

動物はいいよね、「裏切らない」から。

 

頑張りましょう!

私立中学においては、公立中学と比べ大胆な「先取り学習」を取り入れていることが多いです。このこと自体の是非はともかく、「先取り」するならするで、それに見合うだけの十分な指導をしなければならないのは当然のことなのです。

 

にもかかわらず、とにかく「先を急ぐ」あまり、基本的な知識については、

 

「ここは簡単な論点だから、自分で勉強しておいて!」

 

などと信じられないことを平気で宣った上で、困った生徒を文字通り「置いてけぼり」にする教師が散見されるのです。あまりにも無理がある学習スケジュールを消化することだけに腐心し、生徒たちの現状を全く考慮しない姿勢には、わざわざ月謝を支払ってまで私立中学に通わせる意味があるのか、疑問に感じてしまうほどなのです。

 

もちろん「先取り学習」を推奨しているものの、そのためのケアをしっかり実践している素晴らしい学校もあります。一方で授業計画そのものを一教師に「丸投げ」し、私どもから見れば、

 

「いくらなんでも、これは・・・」

 

という「到底学習指導とは言い難い指導「もどき」」を毎年繰り返す「教師もどき」も確実に存在しています。大学受験まで見据えた学習を考えた時、「先取り学習」の効用は決して小さいものではありませんが、一方で手法を間違えれば致命的な失敗に至る可能性があるということを、保護者としてしっかりと理解しておく必要があると思うのです。

義務教育であるはずの中学校に、わざわざ「月謝」を支払ってまで通わせる「意味」は何であるのか、それが「学習以外」の目的であればまだよいのですが、先進的な学習を期待して我が子を私立中学に通わせている場合は、定期的にお子様の「学習状況」をチェックする必要があるのかもしれません。独自の学習カリキュラムを組む私立中学においては、一般的な一斉指導型学習塾では対応が難しいケースがほとんどで、お困りの場合はぜひ当塾のようなマンツーマン指導塾にお声がけいただければと存じます。

 

「学校に月謝を払って、その上塾にも行かせなければならないの?」

 

決して軽くない経済的負担が圧し掛かっている保護者様からすれば当然の想いではありますが、結果として私立中学における成績上位の子たちのほとんどは、塾などの「外部の学習指導」に頼っているのが実情だと思います。我が子を私立中学に通わせる場合、月謝の支払いを想定しておくのは当然のこととして、上述のような「想定外のコスト」が必要となる可能性を、あらかじめ念頭に置いておかなければならない必要性を強く感じます。

 

今回は何だか「マンツーマン指導塾のコマーシャル」みたいな記事になってしまい恐縮ですが(笑)、最愛のお子様を私立中学に進学させる際の「現実」を知っておくことは、この先の学習や経済的側面において極めて重要なことだと思うのです。こと「勉強面」だけを考慮すれば、「公立中学→公立高校→超一流大学」という経歴を辿ることが最も「コスパが良い」ですし、田舎の進学校と言えども東大・京大の国内最高峰の大学や国公立医学部などに進学する子も少なからず存在しています。特別な「先取り学習」などせずとも、立派な「成果」を出している親子も決して少なくはないという「現実」にも目を向けてみるべきなのかもしれません。

 

頑張りましょう!

元・長男である現・三男(笑)は、今春からの就職を控え、勤務予定先から「原付二種免許」の取得を命じられていました。先日無事取得し、中古の110ccのバイクを購入、日々運転に慣れるために乗り回しております(笑)。このバイクについては、就職後は実家に置いていくため、新年度からの大学通学に使用すべく、次男(現・長男(笑))が「おこぼれ」に預かろうと、虎視眈々と狙っているところなのです(笑)。

 

ところでこのバイク、とある車屋さんで中古として購入したのですが、その納車の際、自走にて運んでくれた「若い男」に、どうも見覚えがあるような気がしてならなかったのです。

見たところ、身長は180センチを超えているであろうなかなかのスタイルで、顔もイケメン、まあ今どきの「優男」といった感じ(笑)、ただ、「どっかで見たような・・・」そんな違和感が拭い切れなかったのです。

 

そんな折、購入したバイクの点検整備のため、再び車屋さんを訪れたのですが・・・ようやく思い出しました。彼はかつての私の「教え子」だったのです(笑)。

 

なかなかに思い出深い男で、彼の周囲は「少し特殊な環境」でした。ご一家が代々「その筋」の方であること(笑)、そして彼の「出自」が特殊であったことを中学生になって初めて知ることとなり、彼なりに少なからず思い悩んでいたことを知っています。高校入学後は少しだけ「荒れて」いたようで、ちょっとした問題行動を起こして、私にSOSを求めに来たこともありました。その際は彼と彼の友人(この友人の子もかつての当塾塾生)が「捕まった」のですが、友人の子は何とか「助けられた」ものの、彼については「前科」もあり、高校に留めておいてあげることができませんでした。当時は私自身も自らの「力の無さ」に愕然としたものでした。私にとっても「苦い思い出」だったのです。

 

そんな彼が、今や車屋さんで油に塗れながら、懸命に働いていると聞きました。上司の方からは、

 

「現在彼はバイク部門でしっかり働いてくれています。」

 

というお話を伺い、何だか私まで嬉しくなってしまいました(笑)。

 

長く塾をやっていると、今回のように塾生たちの「成長」を目の当たりにすることが多々あります。幼かった彼らが、「人の親」として逞しく成長した姿は、私のような「鈍感な人間」でさえ、なかなか感慨深く感じるものです。人生は「長い」のです。若い頃の「失敗」は何度でもやり直しが効くという事実を、若い人たちには決して忘れてほしくないと、強く感じた土曜日の朝なのでした。

 

それにしても「あいつ」があんなに立派な青年になるなんて、そりゃ私も「じいさん」になるはずだ(笑)。

 

頑張りましょう!

人間にとっての「価値観」は実に様々ですが、こと勉強において、「これは非常に大事!」という論点は誰にとっても共通であることは言うまでもないのです。にもかかわらず、大事であることは何となく理解しつつも、生活していく上での諸々の出来事の方に重点を置き過ぎて、学習上の「大事なこと」を、本当の意味での「大事なこと」と捉えられない子が散見されます。

 

ちょっとわかりにくい表現で恐縮なのですが(笑)、知能的な面で大きな問題は見受けられないものの、なぜか知識が定着しない子が多いのです。指導された「その場」での理解は決して悪くはないのですが、数日後に同じことを問うても「すっかり忘れてしまっている」状態、これを単に「復習不足」だと断ずるのはいささか早計であると、私は考えているのです。

 

平たく言えば「空気が読めない」というか、「大事な論点」なのだから、「その場で理解する」ことは勿論のこと、「半永久的に記憶しておかなければならない」という意識に乏しいというか、そんな「雰囲気」さえ感じ取れない子が増えているように感じるのです。昨日理解したはずの論点が、今日には奇麗さっぱり記憶の彼方に消し去られているという状況が、文字通り「日常的」なのです。

 

このような状況は、厳密に言えば「学習障害」のひとつであり、それなりのケアをされている学校もありますが、前述の通り、ほとんどのケースにおいては単なる「勉強不足・復習不足」と判断されてしまう場合が多いのです。当の本人からすれば、

 

「教えてもらった時は確かに理解できたし、問題も解けた。それでいいじゃん!」

 

という思考であり、このことに対して指導者から指摘されると大層不機嫌になり(笑)、自身の正当性をしきりに主張したりします。当然のことながら、知識は「習得」するものであり、同時に「定着」させるべきものでもあります。その成否が受験に大きな影響を及ぼすのは当然のことですし、自らの「将来」を左右する重要な論点なのです。たとえ現状において学習面で大いに苦労していたり、素行に大きな問題を抱える子であっても、このような「事実」は認識しているものですが、前述のようなお子さんは物事を整理して考えたり、中長期的な計画を立案・実行するのが極端に苦手であり、これを放置すれば、受験期に「想定外の事態」に陥ってしまうことになるのです。

 

そうならないために、指導者たる私たちに何ができるのか・・・

これは意外に単純で、

 

「一度でダメなら二度でも三度でも、どうしてもダメなら100回でもやる!」

 

という「根気」が求められているのだと、私は考えているのです。当の子供本人よりも先に指導者の方が「折れて」しまったら、「プロ」としては明らかに失格でしょうし、何よりも子供自身が救われないことになるのです。

 

「ここは絶対に覚える!覚えられなければ何回でもやるぞ!」

 

実に単純ですが、これこそがマンツーマン指導の「真髄」であると、私は考えているのです。必要最低限の知識は、「何が何でも覚えてもらう!」という気概こそが、講師たる資質であると思うのです。

 

「何回失敗しようと構わない。成功するまでやればいい。」

 

決して簡単なことではありませんが、「できるまでやる・やらせる」ことこそが、「唯一の解決策」だと信じて止まない私なのでした。

 

頑張りましょう!

受験を目前に控え、「花粉症」に悩んでいる方も多いと思います。集中して取り組みたくても、強烈な目の痒さに加え、鼻水ズルズルでは、十分に持てる力を発揮することが難しくなってしまいます。

 

既に年末あたりから通院し、予防的に服薬して「花粉」に備えている人もいると思いますが、何の対策もしておらず、それでいて症状が酷い人は、今からでも通院することを強くお勧めする次第です。

 

「この薬は比較的よく効くのだけれど、眠気が強いので受験前にはお勧めできません。」

 

などとお医者様から言われた人もいるかもしれません。確かに受験中に眠くなってしまうのは困ってしまうのですが、いわゆる「副作用」は個々にその現れ方が異なるのが普通です。眠気を催すと言われていても、実際に服用し始めても全く眠くならないケースもあったり、「よく効く」と言われていても、あまり効かなかったというケースもあるでしょう。薬の効用や副作用は「人それぞれ」なので、まずは「試してみる」ことが大切だと思います。功罪両面ある服薬において、

 

「確かにちょっと眠くなるけど、目の痒みや鼻水は劇的に改善された。眠気も我慢できるレベルだから、服薬を選択しよう!」

 

という「トレードオフ」的な選択もできるのではないかと思うのです。最もダメなのは、現状に大いに不満を抱きつつも、結局は「何の対策も講じようとしない」人なのです。政府の「花粉症対策」について今更文句を言っても、何の解決にもならないのです(笑)。

 

ところで、今年はインフルエンザB型が大流行しましたが(正確に言えば、完全に収束した訳ではなく、現在でも燻っている状態です)、その際、子供には「タミフル」などの内服薬が処方されます。インフルエンザの処方薬については、コロナとは異なり長い「歴史」があり、「特効薬」も確立されています。大人の場合、「リレンザ」などの吸引薬が使われることが多いようですが、10年以上前に私自身が体験した時は、高熱を発した夜に吸引したところ、朝には平熱に戻ったという、まさに文字通りの「特効薬」でした。

一方で、「特効薬」には「副作用」がつきもので、とりわけ子供に処方される「タミフル」などは、精神面に少なからず影響を与えるようで、急に「ハイになった」子供がマンションの高層階から飛び降りた事件などが一時期さかんに報道されることがありました。

当塾においてもインフルエンザの薬を服用しながら通塾する子が何人もいたのですが、「落ち着きがなくなる子」がいた反面、普段は落ち着きがなく、「困った子」であったのにもかかわらず、服用時は実に集中して取り組めるようになった子もいました(服用後は元に戻ったけど(笑))。少なくとも学習面においては、副作用が「良い影響」を与えることもあるようですが、いずれにしても薬に対する感受性が強い子供については、その「副作用」に対する万全な配慮が必要だということは言うまでもありません。

 

この時期(受験期)毎年思うのですが、ほんの一瞬でも「脳が高回転で回る薬」があればな~と「ないものねだり」をしてしまう私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

 

現在イタリアにて冬季オリンピックが行われていますが、メダルの行方とは別の「オリンピックの楽しみ方」について考えてみたいと思います。

 

メダリストの華麗な演技や驚異的な記録に目を奪われがちではありますが、勝負事には「勝者」がいれば必ず「敗者」もいるというのが世の常なのです。輝かしい勝者ばかりでなく、健闘むなしく敗れ去った敗者の「背景」にも目を向けてみることは、オリンピックの「別の魅力」に触れる貴重な機会となるのかもしれません。

 

かつて3大会連続でメダルを獲得し、名実ともに「世界と渡り合った」ノルディック複合の渡部暁斗選手、残念ながら今回は19位という「惨敗」に終わりました。

アスリートの宿命と言いましょうか、渡部選手も加齢とともにそのパフォーマンスは徐々に低下していたようで、近年では世界選手権においてもめぼしい成績を挙げられていなかったようです。今シーズンでの現役引退を決断した上で、それでも代表選手に選出されたことで、

 

「自分などが出場してもいいのか?」

 

と思い悩んだこともあったそうです。

かつて世界の最前線で戦っていた選手が、(言い方が悪くて恐縮なのですが)「醜態を晒す(まったく醜態などとは思いませんが、かつての成績と比べると・・・)」ことには、常人には想像し得ない葛藤があったものと思います。

 

「最後なのに「もっとできた!悔しい!」と感じられたことが、このスポーツの素晴らしさだと思います。」

 

と実に爽やかに語っていた渡部選手は、きっと近い将来、第2、第3の渡部選手たる愛弟子を世界に羽ばたかせてくれるものと信じて疑いません。

 

かつてプロ野球・巨人軍の王選手は、年間30本のホームランを放ちながら、

 

「自分のバッティングができなくなった。」

 

と十分な余力を残しながらバットを置きました。

 

「生涯一捕手」

 

という言葉を残し、捕手という過酷なポジションを担いつつ、40歳半ばまで、かつての栄光をかなぐり捨ててまで「プロ」であることにこだわり続けた野村克也選手がいました。先述の渡部選手含め、アスリートにとってどのような「引き際」が正解なのか、これはきっと「答えが出ない」問いかけなのだと思います。ただひとつだけ確かなことは、どちらにしてもこのような選択が許されるのは、「必死に頑張ってきた人」だけなんだろうと思うのです。

 

スポーツの「魅力」は、「表彰台」や「メダル」だけに存在するのではないのです。

 

頑張りましょう!

この記事をご一読頂きたいと思います。

 

この記事の「誠さん」という方、私と同世代であり、危機的な少子化に陥っている現在とは大きく異なり、「子供がウジャウジャいた、実に景気が良かった時代」に生まれ育ちました。

 

「現代社会は「孤独」が増えていて、問題だ!」という内容を主張したかった記事のように推察しましたが、私からすれば「身に詰まされる思い」がする一方で、少なからず「違和感」を感じずにはいられませんでした。

 

「孤独」が「悪」なのか、といえば決してそうではないと私は思うのです。人間同士の「健全な」触れ合いは確かに貴重ですが、同時に「煩わしさ」を感じる人もいるでしょうし、そんな人はあえて「孤独」を選択したりするものです。

 

「あの人、孤独で寂しそう・・・」

 

などと感じるのはあくまで「個人の主観」であり、当の本人からすれば「孤独を謳歌」しているかもしれないのです。「多様性を尊重」するなどと宣いながら、実のところ「幸せとはこういうこと」という「同調圧力」に屈しているだけなのでは?と勘繰ってしまうのは果たして私だけでしょうか?

 

記事によれば、「誠さん」は決して「怠け者」ではなく、むしろ経済的困窮から脱しようと懸命に努力されてきたように思われます。それでも度重なる「不運」の連続で現在の状況に陥ってしまったのです。これを「敗者」などと切り捨ててしまってよいものだろうか?きっと誠さんと同じ「社会的敗者」であろう私としては、いくらオールドメディアの眉唾記事であったとしても「これはちょっと・・・」と感じてしまうのです(笑)。

 

「頑張ったから、報われる」ほど、世の中は甘くないのは言うまでもないことです。それでも「頑張った過程」に目を向けられる「人間」でありたいし、「グッドルーザー」たちへの「セーフティーネット」は必要不可欠だと思います。「経済的成功」や「社会的地位」だけが「人間の価値基準」ではないという「ごくごく当たり前の真実」を、今一度認識すべきではないでしょうか?

 

心を病みながらも、今なお懸命に前を向こうとする「誠さん」に、最大限の敬意を表したいと思います。私自身、同じ「負け組」と蔑まれる者の一人として、決して譲れない「価値観」だけは堅持していくことを強く誓った火曜日の朝なのでした。

 

「幸せ」か「不幸」かを決めるのは、「他人からの評価」ではなく、「自分自身」なんだよね。

 

頑張りましょう!