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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

昨年末の記事になりますが、ちょっと気になる内容でした。

 

共同通信の記事はごく短いものでしたが、静岡新聞ではもう少し詳細に記載されていました(現在は有料記事になっているようです)。静岡県内においては、47人が「定員内不合格」となっているようです。

 

「定員内不合格」とは、高校入試において、受験者数が「募集定員」に達していないにもかかわらず「不合格」とされたケースのことを指します。静岡県のみならず、他の都道府県でも同様だと思いますが、「定員に満たない」場合は「再募集」をかけるのが通例です。当然のことながら、静岡県にも「再募集」の制度は存在し、当塾からもこれまで若干名の塾生が「再募集」を受験しています。

 

「定員に満たないのだから、全員合格とすればよいじゃないか!」というご意見もあるかと思いますが、実際の教育現場においてはそんな「簡単な話」で済む問題ではないのです。学習上の問題を抱えるお子さんを、何の準備もなくお預かりするのは事実上難しいですし、他の一般的な生徒と比べ、入学時から著しく学力が劣ったり、素行が悪かったりする生徒を、「定員に満たなかったから」というだけの理由で簡単に合格させることはできないという事情があるのです。裏を返せば、受験生にとっては、

 

「いくら倍率が低くても、一概に「合格しやすい!」などということは言えない!」

 

ということなのだと思うのです。この点をあまり理解されていない親子が例年少なからず存在しており、進路指導をさせて頂く側からすれば、かなり厄介な問題になっています。

 

受験生の皆さんは、合格倍率が「1倍以下」だから、必ず合格する!などという幻想は、早めに捨て去ることを強くお勧めいたします。世の中、そんな甘いもんじゃないのです(笑)。他の受験生が必死に頑張っていた時期に、実に狡猾な思考で「楽をしようとした」ツケは、必ずどこかで払わされるものです。大切なことは、「合格倍率」などに惑わされることなく、高校入学後の学習まで見据えた、質・量ともに十分な学習をしっかりと維持していくことなのです。

 

まさか、高校受験で「いっちょ上がり!」などと考えている人はいませんよね?(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日をもって休暇も終了、本日より諸々「再開」となります。

 

まずは母の新年一発目のデーサービスのため、朝から施設まで送り届けました。年末年始はデイサービスがなかったため、母の「生活リズム」は大いに狂ってしまったようで、いつもに増して「傍若無人ぶり」が顕著でした。世話をする我々のほうが疲弊してしまったのですが(笑)、ようやく「日常」に戻り、正直なところほっとしているというのが家族の本音なのです。

 

年末年始休暇中は、私自身もなぜか疲れていたようで、昨夜は比較的早めに休みました。その影響もあってか、本日は体が軽い感じがします。いや、それはあくまで「錯覚」であって、「仕事モード」に戻ったと言った方が正確なのかもしれません。ややダラダラとした生活が、「いつも通り」に戻っただけなのかもしれませんが(笑)、それでも体調に不安が感じられないことはよいことでしょう。

 

年が明ければいよいよ「受験直前期」となります。受験生の皆さんにはより一層の頑張りを期待しているところです。中1・2年生についても、今週末には「学力調査」が控えています。現在の学力が「静岡県内」においてどのあたりに位置しているのか、その検証のための絶好の機会となります。気を抜かずに頑張る必要があるのです。

 

昨年は私や私の家族にとっては文字通り「激動の一年」となってしまいました、もちろん「良くない意味」で(笑)。元来意志だけは強いと思っていた母が、ひとたび「ボケて」しまうと、ここまで手を焼くことになるのかと、改めて感じ入った次第です。母の病気は決して「治る病気」ではなく、日を追うごとに症状は悪化していくものですが、母のため、家族のため、どのように対処していくべきか、世話をする我々家族の「覚悟」が問われているような気がしてなりません。子供のように駄々をこねる母を、少しだけ悲しく感じつつも、できるだけのことはしたいと決意を新たにした私なのでした。

 

考えてみれば、人間はオギャーと生まれてから、親をはじめとする様々な大人の手を借りて何とか成長していき、人生を全うした後に再び「子供に戻って」命の終焉を迎えるというのは、まさに「自然の摂理」ではないかと、ふと感じた「仕事始め」の午後なのでした。

 

塾生へのお世話も、母へのお世話も、どちらも気を抜くことなく、精一杯対処していこうと思っております。私にはキャパオーバーかもしれませんが(笑)、やるしかないのです。

 

頑張りましょう!

当塾のようなマンツーマン個別指導塾には、「普通の塾では扱いにくい子」が集まる傾向が強いのです。

 

学習上の問題があって、特に目が離せない子、集団授業に馴染めない子、種々の事情によって学校にいけない子、はたまた先進的な学習内容故に一般的な塾では対応できない(対応できなことはないが、大手の塾ではコストに見合わない)子、等々、良い意味で「普通でない子」が集まりやすい傾向があるのです(笑)。

 

当然のことながら、子供に限らず、人間はそれぞれに「個性」や「能力」に違いがあって然るべきなのです。それぞれに目標があり、将来の夢があるからこそ「勉強」をひとつの「手段」として利用し、鍛錬していることは言うまでもないのです。

 

勉強にしろ仕事にしろ、誰かに「強制されて」仕方なく行うのと、自らが「必要と感じて」主体的に取り組むとでは、その習熟度や効率性は段違いであり、まさにこの点について、塾生たちには「早く気付いてほしい!」と強く感じているところなのです。

勉強などは、まさに数多ある「手段」のひとつなのです。勉強なんてできなくても、ただ単に「生きていく」上で大きな問題になることはないのかもしれません。けれども現実は、「勉強ができる子」ほど「高校選びの自由度」は高く、その後の人生においての選択肢も大きく広がっていくのです。たかが「勉強ができるだけ」なのに、「できない子」よりも可能性が高まることは、果たして単なる「不公平」という言葉で片づけてもよいのでしょうか?

 

「仕方がない、かったるいけど、勉強も頑張ってみるか!」

 

自らが「必要」だと感じて「机に向かう」こと、この姿勢さえ醸成できれば「しめたもの!」なのです(笑)。ほんの少しの「主体的な学習」が、親から「勉強しろ!」と叱責されて、渋々机に向かう「勉強もどき」よりも格段に「質が高い」という事実を、ぜひ認識していただきたいと願うばかりなのです。

もちろん誰だって「楽」をしたい、かく言う私だって例外ではありません(笑)。それぞれの個性や特徴にあった「効率的な学習」について、全力で指導させて頂くつもりです。少しでも「やる気になった!」と感じている人は、現在の学習レベルなど一切気にせずに、一度ご相談いただければと存じます。

 

「自ら机に向かう姿勢を醸成すること」、新年早々、なかなかに高尚な「目標」ではありますが(笑)、私が考える「究極の目標」は、まさにこの点にあるのです。「自ら学び、「わかる」喜びを実体験してもらうこと」、決して簡単な目標ではありませんが、私にとって「絶対に諦めることができない目標」でもあるのです。皆さんの「覚醒」を大いに期待しています。

 

頑張りましょう!

昨日の元旦は家族揃っての会食の機会を設けました。母が「ボケる」前からの我が家の慣習であり、母としては孫たちに「お年玉」をあげる機会となり、ボケたとしても、「これだけは譲れない!」行事だったようです(笑)。

 

無事「お年玉」を手渡した後、それぞれの近況などを話し合ったのですが、特に面白かったのが「母と長男」の会話です。

長男は今春家を出て、遠隔地で就職する予定です。これは既に何度も母に伝えているにもかかわらず、どうしても「覚えていられない」母は、何度も、

 

「どこで働くの?」

 

と繰り返し聞いてしまいます。更には、

 

「まあ、三男だから、きちんと働けば、どこにいようといいよ!」

 

とのこと、かつて「長男」であった彼は、新春に無事「三男」に降格され、母の中での序列が下がってしまったようでした(笑)。一方で「次男」を「長男」と認識しているらしく、母としては次男に大いに期待しているとのことでした(笑)。

 

ところで、母の孫は確実に「男の子2人」しかいないのですが、なぜ「架空の次男」を飛び越えて、かつての「長男」は「三男」まで降格してしまったのでしょうか?(笑)。母にとっての「本当の長男」である私も「長男」であり、次男も同時に「長男」に格上げ(笑)、そして最も信頼度が低いかつての「長男」は無事「三男」に格下げとなったのが、母のボケた頭の中での論理展開だったようです(笑)。ちょっとややこしい話で恐縮ですが(笑)、とにかく大真面目にかつての「長男」を「三男」扱いする母の姿に、私も妻も、妹も次男も、大いに笑わせて頂きました(笑)。

唯一、突如「格下げ」を宣言されてしまったかつての「長男」だけが、

 

「兄弟二人しかいないのに、なんで三男なの?せめて次男にしてくれよ!」

 

と戸惑いを隠せなかった様子が、なおさら面白く感じてしまいました。経緯はともあれ、新年早々「大笑い」を提供していただき、母には大いに感謝しているところなのです(笑)。

 

新たなスタートを切ろうとしている新年早々に、祖母からまるでヘンリー王子の如く「廃嫡」を宣告されてしまった長男に対しては、ほんの少しだけ気の毒には感じますが(笑)、なかなかにハードな「介護生活」を強いられる中においては、心の底から大笑いできた機会を頂けたことだけは感謝するほかありません(笑)。今後は「三男」として決意を新たに、真っ当な社会人生活を送って頂きたいと、親として切に願うばかりです(笑)。

 

同じような出来事に遭遇しても、「辛い」と思えば「辛い」し、「面白い」と感じられるのであれば「面白い」のです。人間の幸せなどは、それぞれの「気持ちの在り方」ひとつにかかっている「だけ」なのかもしれません。

 

頑張りましょう!

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

大晦日の夜、まさに年が明ける頃に、毎年恒例の「次男との初詣」に出かけました。自宅から徒歩1分ほどのこじんまりとした神社です。

この神社では毎年参拝者にお汁粉や豚汁を振る舞ってくれており、例年そこそこの人で賑わっています。宮司さんが常駐している訳ではなく、近所に住む有志の氏子さんたちのボランティアによって運営されているようでした。

今年は昨年よりもやや遅い時間に向かったのですが、それでも0時30分頃には自宅を出ました。まだポツポツと初詣に向かう人がいる時間帯でもありました。

ところが神社についた時、既に氏子さんたちの姿はなく、数人の世話人らしき方たちが「賽銭箱」を建物の中に引っ込めてしまい、頭上にあるはずの鐘まで片づけてしまっていたのです。この時はまだ0時40分頃、私たちのほかにも数組の参拝者がいたにもかかわらず、まったく「お構いなし」なのです(笑)。

 

とある世話人の方が私たちの存在に気がついて、スマホをいじりながら面倒そうに、

 

「あ~、どうぞ、参拝して下さい。」

 

などとホザいていましたが(笑)、賽銭箱も鐘もなくて、どうして参拝ができるのでしょうか?(笑)。あまりの事態に私も次男もすっかり呆れてしまい、急遽すぐ近くにある別の神社に初詣を変更することにしたのです。

 

新年早々、ちょっとびっくりしてしまったのですが(笑)、私としては「さもありなん」という心境でした。もはや「これまでのようなやり方」は無理だということが露見してしまった感じがしたのです。

私の自宅の両隣は一人暮らしの老人がお住まいになっていて、町内に居住する人たちの「平均年齢」は70歳近いのではないかと思います。近くのひもの工場に勤務する外国人労働者も相当数居住しており、従前のように地域の慣習や慣例、文化を地域全体で踏襲することは、もはや不可能だと言わざるを得ない現実に直面しているのです。明らかに「やり方を変えなければいけない」にもかかわらず、一部の「頭の固い老害たち」が、

 

「昔はこうだったんだから、これからも同じようにするのは当たり前!」

 

とばかりに、文字通りの「無理強い」をするのです。こんな土地柄に若者が寄り付くはずもなく、「限界集落化」に歯止めがかからなくなっているのです。今回の神社における対応も、まさに「これまでのやり方」が、既に破綻している証左だと思うのです。田舎とはいえ、静岡県東部地域においてはその規模においても、経済的側面においても中心的な存在である我が街でさえ「この有り様」なのですから、我が国全体においては、さらに悲惨な状況に陥っている地域もあるでしょう。ただでさえ人口が減少していくことが確実な情勢の中で、抜本的な解決策などあるはずがないのかもしれませんが、それでも「これまでのやり方」に対して、思い切った「方針転換」をして、現状に即した「地域の在り方」を模索していかなければ、この国の「没落」を避けることができないのではないかと、強い危機感を感じた次第です。

 

元旦早々暗い話題で恐縮なのですが、「一年の計」を高らかに宣言する元旦だからこそ、愛すべき故郷の「これからの在り方」について、真剣に考える契機にするべきではないかと、強く感じた元旦の夜なのでした。

 

「昔は当たり前にできたこと」だから、「今だってできる!」とは限らないのです。なぜそんなことがわからないのかな?

 

頑張りましょう!

今年もいよいよ大晦日となりました。実に拙い文章にお付き合い頂いた皆様には心から感謝申し上げる次第です。誠にありがとうございました。いつまで塾が続くかわかりませんが(笑)、塾が潰れるか、あるいは私がこの世からいなくなるまでは拙い文章を発信し続けるつもりでおりますので、今しばらくご辛抱頂きたく存じます(笑)。

 

昨日は久々に親子で「小旅行」に出かけました。

四人で出かけるのは実に久しぶりであり、おそらくこれが「最後の機会」となるでしょう。来春から長男は家を出て、遠隔地で働く予定です。

向かった先は「秋葉原」、母の徘徊防止用のGPSの購入と、それに関連して自宅と教室の連絡を密に取れるようにする機器を購入しようと考えておりました。このようなものは、田舎においてはそもそも「ない」ことが多いですし、価格的にも不利なのです。通販という手もありますが、やっぱり手に取って見てみたい欲求には勝てませんでした(笑)。倅たちもオタク文化に触れたり、アパレルの店に行ってみたい等々の希望があり、また免許を取得して以来、ちっとも運転技術が向上しない長男の「運転練習」のための小旅行でもありました(笑)。長男にとっては初めての「高速道路走行」ですが、妻は終始心配で、いてもたってもいられないような状態だったようです。いったいどこまで過保護なのかと、開いた口が塞がらない私なのでした(笑)。

 

行きは小田原までは一般道の「箱根越え」、小田原からは「小田原厚木道路」を経由して「東名高速道路」へ、その後「首都高」に入り、無事秋葉原に到着しました。全く渋滞がなく、都内も閑散としていて、実に快適なドライブでした。

 

「な~んだ、心配してたけど、都内の運転も余裕じゃん!」

 

相変わらずの「アホ発言」の長男に、またしても「口あんぐり」な私なのでした(笑)。

駐車場の近くに、小さな記念碑を発見、どうやら「北辰一刀流」で有名な千葉周作にゆかりがある土地のようです。卒論のテーマに「新選組」を選んだ「やや歴史オタク」な長男が嬉々として解説していましたが、私と次男は全く興味なし(笑)、妻に至ってはそもそも「何言ってるの?」状態でした(笑)。

「某ジャンク専門店」にて、アップルウォッチとiphone、アマゾンアレクサが組み込まれているタブレットを無事購入、「ジャンク品」とはいえ、現状では通常稼働していて、ほんの少しだけヒビが入ったりしている「まだまだ使用可能な品」が、驚きの価格でした。はるばるここまで来た甲斐があったというものです(笑)。よかった、よかった。秋葉原って、それなりに広い印象があったのですが、各々自由行動としたはずなのに、偶然にも長男・次男・妻と次々に遭遇してしまったのは、親子・夫婦故に行動パターンが似通っているからでしょうか?(笑)。

二枚目の写真は、路地に入った次男です。こんな細い路地がいくつもあって、そこで小さなお店を営んでいる方が大勢いる、なかなかディープな世界観だと感じた次第です。

 

その後、長男は贔屓にしている「総合格闘家」が経営する「ラーメン屋」さんで、1時間も待ってラーメンを食したそう。どんな有名人が関わっているかは存じ上げませんが、どんなに美味しいラーメンであっても、寒空の下で1時間も待つなどという選択肢は、私にはありません(笑)。

 

それぞれに「都会」を満喫し、途中小田原に寄りながら、これまた実にスムーズに沼津まで無事帰宅しました。箱根の「上り」は大渋滞、一方で「下り」は全く車がおらず、本当にベストなタイミングで移動できたと思います。小田原などは倅たちが幼い時は何度も連れて行った「思い出の場所」であり、昔話に花を咲かせながらの運転は、私にとっては苦になるどころか、実に楽しい瞬間でもありました(「運転の練習」のはずだった長男は、運転にビビってしまったのか、帰りは私に運転してほしいと頼んできました(笑))。

 

我が子の成長は、親として何よりも嬉しいことではありますが、一方で寂しさや、もの悲しさを感じる出来事でもあると、私は考えるのです。どのような形であれ、いつかは訪れる「別れ」に対して、私たちには逃れる術はなく、「受け入れる」ほかないのです。ひとつひとつの幼い頃の「思い出」を糧に、倅たちは倅たち自身の「人生」や「家族」を形作っていく、親子4人の「最後の小旅行」の思い出をもって、私たちの家族もひとつの節目を迎えようとしているのだと、改めて感じ入った次第です。

 

若者たちの「未来」に幸あれ!「おそらく、これが最後」の機会を、実に楽しく、そして少しだけ寂しく感じた、晦日の私なのでした。

 

「さよなら」だけが人生なのだ!

 

今年もありがとうございました!皆様のご多幸を心より祈念いたします。来年も、

 

頑張りましょう!

一昨日は母の徘徊に振り回され、通常授業最終日でありながら教室の「大掃除」ができませんでした。

完全な睡眠不足のため授業終了後の作業早々には諦めて、比較的早めに帰宅し、夕飯もそこそこに床に就いたのですが、睡眠時間をしっかりとった影響もあってか、翌朝は割とスッキリした私なのでした。

 

午後からは三島教室に出向き、一昨日できなかった「大掃除」に着手、大方終了したのは朝方になってしまいました(笑)。

数年前から「いつかやらなければ!」と考えていた「紙ごみ」問題、塾で出る「ごみ」のほとんどは「紙ごみ」なのです。もちろん毎週ごみの回収は行っているのですが、プリント類や過去に在籍した塾生の日誌等々、今では不要となったものを長年「溜め込んで」いたのです。今年こそは!とここ数年は意気込んでいたものの、忙しさにかまけて「手つかず」の状態だったのです。

 

この手の作業は、実のところなかなか効率的に進めることができないのです。過去の資料の中に「忘れ難い思い出や塾生」の面影を発見すると、実に懐かしい思いに駆られて、しばらくは手が止まってしまいます(笑)。私にとってはそれが楽しくもあるのですが、掃除の効率からすれば、実に非効率的なのです(笑)。処分しなければならないものの、資料とともに何だか懐かしい思い出まで捨ててしまうような気がして、少々センチメンタルな気分に陥ってしまうのです(笑)。

 

それでも、数年間の「蓄積」は私の想像をはるかに超えて、今年こそは整理しなければならないと、心を鬼にして取り組んだのです(笑)。実に段ボールに7箱分、今はもう不要となった資料類を一気に処分することとしました、通勤用の軽自動車にギリギリ押し込めるくらいの量で、よくもまあここまで溜め込んだものだと、我ながら感心してしまいました(笑)。

一般的な書類については、帰りに24時間対応している「資源回収ボックス」へ置いていき、プライバシーの問題で簡単に捨てられない資料についてはいったん自宅に持ち帰り、後日焼却処分とします。ようやく三島教室もスッキリしました。新たな気持ちで新年を迎えられそうです。

 

おそらく「過去イチ」の分量となった「資料の山」を見つめながら、これまで卒塾していった「元教え子たち」との記憶に思いを馳せる年の瀬の私なのでした。

 

みんな元気にしているかな?たまには顔を出してくれよ!私もいつまで元気でいられるか、わからないので(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日は「母の一件」でまともに仮眠もとれず、ほとんど睡眠をとれないまま授業に向かいました。年内の通常授業最終日ですから、本来であればいつもよりしっかりと掃除をして帰るつもりだったのですが、どうしても体がもたず、授業終了後に「直帰」して、夕飯もそこそこに床についてしまいました。8時頃に目が覚めたのですが、しっかりと睡眠がとれて、今朝はスッキリです(笑)。朝、母の様子を見に行ったのですが、夜な夜な徘徊している影響もあってか、9時を過ぎてもまだ寝ていました。ボケているとはいえ、「いい気なもんだ!」とちょっと憤ってしまいました(笑)。

 

前述の通り、昨日は「な~んにもできなかった!」ため、本日は休校日でありながら出勤を余儀なくされそうです。どの道、年末年始については、例年ほとんど三島教室には行っているので問題ないと言えば問題ないのですが、特に年が明けた後は三島大社への参拝客が多く、近隣が大混雑するため、早朝や深夜でないとスムーズな移動ができないのが難点と言えば難点なのです。

 

昨日は「な~んにもできなかった!」とは書きましたが、来月8日に「学力調査」を控える中学2年生と、高校受験を控える中学3年生には「冬休みの課題」として5教科2セット分の演習問題を急遽印刷して、深夜に自宅まで届けました。何としてもこれだけはやっておかないと、「放置」していれば彼らは「遊ぶ惚けて」しまいます(笑)。

深夜のお宅の「郵便受け」に、「冬休みの課題」を詰め込む作業も、私にとっては毎年おなじみの光景なのです(笑)。私が若かった頃は、電話帳より厚い「課題の束」を無理矢理郵便受けに詰めて回って、ある塾生のお宅では、あまりにも課題の束が厚過ぎて、郵便受けを破壊してしまったこともありました(笑)。そんな懐かしい記憶を思い返しながら、深夜にせっせと「冬休みの課題」を配達して回った昨夜の私なのでした(笑)。

 

そういえば、あの頃は母も「中学受験」の受験生たちを、文字通り「スパルタ教育」でシゴいていたなあ、と懐かしく思い返しつつ、明日はどうかおとなしく家にいてほしいと、願わずにはいられなかった「年末の寒い夜」だったのでした(笑)。

 

こうも「徘徊」が多いと、リアルタイムに居所がわかるGPS(しかも母にとって違和感を感じないもの)を準備するしかないかな、と感じ入った次第。

 

頑張りましょう!

本日をもって年内の通常授業は終了となります。歳をとると、1年があっという間に感じてしまいます(笑)。

 

今年は母の発病があり、何かと大変な年でした。母の病状が進むにつれ、様々な問題が噴出し、その対応に追われた1年でもありました。

最近の母の様子は特に酷く、より症状が進んでしまったな、と実感しているところです。本日は金曜日ですが、仮眠中の私に、

 

「早く(車で)送ってくれ!」

 

と母から連絡がありました。本人はデイサービスに行くつもりだったようですが、デイサービスは月曜日と水曜日、曜日感覚は以前にも増して狂ってしまっているのです。もともと悪い意味で独善的であり、他責思考の強い母でしたので、自らの勘違いさえ、

 

「お前(私のこと)が悪い!」

 

と自らの「おかしさ」を冷静に顧みることなく、

 

「自分は正しい、おかしいのは周り人間!」

 

という「超ジャイアン的思考」に振り回されてしまっているのが実情です(笑)。これは「ボケている」からという理由だけでなく、生来の母の独善的思考が影響しているのではないかと思います。

 

いくら止めても自宅から1キロほど離れたスーパーまで徒歩で買い物に行くことを止めようとせず、毎日、

 

「納豆とたらこと揚げ物のお惣菜と豚肉」

 

を必ず買ってきては、「買ってきたこと」さえ忘れてしまう母、冷蔵庫の中はたらこと納豆で溢れ、鞄の中からは何日も前の豚肉が出てきたりしています。

また、現在母の安全上の観点から最も危惧しているのは、夜中に軽い徘徊をしてしまうことです。トイレに何度も起きるようなのですが、その度になぜか外に出てしまい、数分間は戻らないようです。私や倅たちが時折気づくのですが、ここ最近はこのような「夜」が毎晩続いているようです。

上述のような母の「奇行」について、私たち家族も気を付けているつもりではいるのですが、それでも母の首に縄をつけておく訳にもいかず、全ての行動を把握できる訳ではないというのが正直なところなのです。家族によるケアにも、自ずと限界があるのは当然のことなのかもしれません。

 

この状況がいつまでも続けば、妹や妻の負担が増え、ストレスも増していってしまいます。当の本人に「罪の意識」が全くない以上、放置しても状況は悪化するばかりです。来年は「ちょっと考えなければ」ならないと強く感じます。

先日、月1回のケアマネージャーさんとの面談があったのですが、デイサービスについて、現状通わせて頂いている月曜日・水曜日に加え、金曜日についても「空き」があると教えて頂きました。家族の「心の安寧」と、母の「安全」のためにも、来年からはもう1日デイサービスにお世話になることも重要な選択肢のひとつになることと思います。

 

さんざん世話になった母ですから、できるだけ世話をしてやりたい気持ちは強いのですが、家族それぞれの現状や負担の大きさを考えれば、また「別の手段」を検討しなければいけない時期に来ているのかもしれません。実のところ、母の諸々の「尻拭い」はまだまだ残されているのですが、何よりもこれ以上母の晩節を汚すことがないよう、また家族の過度な負担が発生しないよう、「ちょっと考えて」みたいと強く感じた年内最終授業日の朝なのでした。

 

もう少し素直に言うこと聞いてくれれば助かるんだけど(笑)。

 

頑張りましょう!

本日はクリスマス、いよいよ年も押し迫ってきましたが、この季節になると「恩師」との記憶を思い出さずにはいられません。

 

私にとって唯一無二の「恩師」は、高校時代の野球部の部長先生でした。その生涯のすべてを「学生野球」に費やした、出世などとは無縁の先生でありました(笑)。

 

とにかくとても厳しくて、「愛の鞭」も日常茶飯事でした。世が世なら、明らかに「暴行事件」だと思われます(笑)。ただし、決定的に異なるのは、厳しい指導を受けた我々自身が、恩師に対して心の底からの「感謝」と「尊敬」の念を抱いていることでしょう。

 

昭和33年、静岡県東部に後に「狩野川台風」と呼ばれる大型の台風が襲来しました。死者・行方不明者は1300名近くにものぼり、文字通りの「大災害」だったのです。当時、修善寺中学野球部にて指導されていた恩師は、校舎を失い、練習場所を失い、野球道具を失い、レギュラー選手やそのご家族の命さえ失ってしまった中で、決して諦めずに活動を続けた、強靭な意思と、自らに対する「厳しさ」を併せ持った方でした。翌年、奇跡の静岡県制覇を成し遂げた際は、県内のみならず、全国からお祝いと激励が殺到したそうです。高校野球に指導の場を転じてからも、「伊豆の暴れん坊」の異名のもと、2度の県制覇に加え、プロ・アマ球界に数多の人材を送り込んだ「名伯楽」でもありました。恩師の晩年、最後にまるまる3年間指導いただけた我々の世代は、非常に幸運だったと、今でも強く感じています(もっとも、当時は日々死ぬかと思いながら活動していましたが(笑))。

 

恩師は、進学・就職の時期になると、「レギュラー選手」は後回しにして、「補欠だった選手」から先に世話をされていました。就職希望の選手には、

 

「この子は野球では補欠でしたが、実によく裏方の仕事を頑張ってくれました。こういう子こそ、御社の力になれると思います!」

 

と、教え子の就職希望の企業をひとつひとつ回っては、採用担当の方に自らお願いされていたそうです。そんな恩師だからこそ、「厳しさ」の先に「優しさ」と「思いやり」がはっきりと感じられたのでしょう。決して「誰にでもできる」ことではありません。

 

そんな恩師が脳梗塞を患い、リハビリ中に、

 

「まだまだ頑張れる!」

 

と、ちょっとだけ無理をしてしまい、転倒して頭を打ってしまったのが直接の原因でお亡くなりになられてから10年、実に恩師らしい最期だと感じ入ったとともに、卒業後も欠かさず年始の挨拶にお邪魔していた日々を、ただただ懐かしくも、実に寂しく感じてしまう私なのでした。

 

「師の影」を追って、図らずも子供を指導させて頂く立場となった私ですが、ほんの少しでも恩師に近づけたのでしょうか?いやいや、まだ恩師の足元にも及ばない私は、まだまだ「修行の身」であることを、改めて思い知った木曜日の朝なのでした。

 

この時期は、何だか少しだけ寂しく感じてしまうのです。

 

頑張りましょう!