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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

昨日自宅に戻ると、母と妹の世帯である1階(私たち家族の世帯は2階)のテーブルに、何やら高級そうなお菓子が置いてありました。1階と2階を繋ぐ階段にもそのお菓子が置かれていて、我が家では通常このような場合は1階から2階への「お裾分け」を意味します。

 

立派な箱に入った野菜を使用したお菓子で、明らかにどこからか頂いた「高級品」です。普段は食べたことがないようなお菓子であり、野菜から作られているヘルシーなお菓子でもあるので、試しに2,3枚頂いてしまいました。母曰く、

 

「お寺のお坊さんが来て、置いていってくれた。」

 

とのことでしたが、今考えればこの「母の言葉」を鵜呑みにしていた私が「バカ」でした。

間もなくして妹がバタバタと大急ぎでやって来て、

 

「そのお菓子、賞味期限が1年以上前だから!」

 

と大声で警告したのでした。既に私は数枚食べており、母はかなりの量を食べていたようです。私は急いで2階に上がり、お菓子を食べていないか確認、幸いにしてまだ食べておらず、ほっと胸をなでおろしたのでした。

私も母も腹痛などの症状が出ることなく、それはそれでよかったのですが、この一件に関しては私自身も「脇が甘かった」と大いに反省しているところです。前回の通院時、主治医から、

 

「お話しされていることの多くが「デタラメ」になりましたね。ご家族の方が参ってしまうかもしれませんが、注意が必要ですね。」

 

と指摘を受けたばかりなのに、母の言うことを何の疑いもなく受け入れてしまった私に責任があります。冷蔵庫の中からは、これまた賞味期限切れの「わさび漬け」「豚肉」「たらこ」「納豆」が山のように出てきて、泣く泣く処分、毎日毎日家族に黙って「同じもの」を買ってきて、そのくせ自分自身は一切食べず、そのことを窘めれば癇癪を起こす・・・私もそうですが、日々身近で母の戯言を聞かされている妹のストレスたるや、大変なものだと思います。妹については、週末は自由に出かけてもらって、少しでも日々のストレスを解消してもらうようにしていますが、それでも私を含めた「家族」に対してのケアも必要な時期が来るのかもしれません。

 

否応なく、家族として母の介護は続けていかなくてはなりませんが、その家族が「先に潰れて」しまっては元も子もありません。記憶が混濁してしまい、もはや「デタラメ」しか言わなくなった母に対していかに対応していくのか、高校受験を目前にしてまたハゲそうな悩みを抱える私なのでした(笑)。

 

いや、実際は異常にフサフサなんですが(笑)。

 

頑張りましょう!

恋愛においては、よくこんなことが言われます。

 

「「好き」の反対は、「嫌い」じゃなくて、「無関心」」

 

本当に「興味がない」のであれば、文字通り「無関心」になって然るべきでしょう。もはやその「存在」さえ認識されていないレベルであり、死のうが生きようが、知ったこっちゃない(笑)。一方で、「嫌い」だという意識が、実はネガティブな感情だけではないということを示唆しているのかもしれません。

 

このことは何も恋愛だけでなく、人間関係全般においても同じことが言えるのではないかと、私は考えているのです。

塾での指導においては、時に塾生が講師から厳しく叱責されるケースが散見されます。叱責される方からすれば、そりゃ嫌に決まっていますし、叱責する講師からしても、決して愉快な話ではないのです。では、なぜ厳しく叱責されるに至ったのか、塾生自身が叱責されるべき「やらかし」をしでかしてしまい、講師としてそれを「見逃す」ことができなかったからに他なりません。誰が見ても叱られるべきと考える「やらかし」をしたのであれば、叱られて「当たり前」ですし、どうしても塾生の成績を向上させたい講師としては、絶対に見逃せない「やらかし」だったのでしょう。

 

塾生・指導者双方にとって「どうでもいい」のであれば、塾生は図に乗って更なる「やらかし」をするでしょうし、それに対して講師は「見て見ぬふり」をするはずです。お互いにとってそのような「最悪の形」にならなかったのは、「成績を向上させる」という共通の利害関係があった上に、双方の間に一定の信頼関係があり、お互いが「関心を寄せるべき存在」であったことに疑いがないのです。

 

「好き」や「嫌い」などという陳腐な感情では計り知れない「関係性」が、そこには存在するのです。勉強でもスポーツでも、実は「鬼コーチ」と呼ばれる「おっかない指導者」が、実は本気で生徒や選手のことを考えてくれていることは多いですし、そういう意味では私自身も「実におっかないけど、それでも生徒(選手)を一番に考えてくれる恩師」に恵まれた一人だと考えているのです。

 

誰かにとって、あなた自身が「どうでもよい」存在であるならば、「好き」だとか「嫌い」だとかいう感情さえも湧かず、ただただ「無関心」なままだと思うのです。常に「優しい先生」が本当に「いい先生」で、厳しい先生が「忌み嫌うべき先生」であるのか、よ~く考えてみるべきだと、私は思うのです。

 

人間、「怒られているうちが華」なんだよね(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日はあまりにも「いろんなことがあった一日」で大変疲れました(笑)。

 

先日ちょっとしたご縁で親しくさせて頂いた「片づけ屋」さんのご主人、ついこの間DVDレコーダーを譲って頂くつもりが、

 

「これも、あれも持って行って!」

 

と、LEDの高そうなデスクライト(2本)や1本5000円もする健康飲料、1TBの外付けハードディスク、40型の大型テレビ等々、いろんなものを頂いてしまったのです(笑)。

 

「無駄にせずに、また使えること自体が「才能」だ。」

 

「「プライド」さえ捨てれば、お金はあちこちに落ちているもの。」

 

なかなかに含蓄のあるお言葉まで頂戴し、とにかく恐縮しきりでした。同じ「自営業」であること、またリユース品を大切に使っていることが「気に入って頂けた」要因だと思います(笑)。

 

「三島市内で片づけの仕事がある。また何かあげるから、近かったらぜひ寄って!」

 

そんなお声がけを頂き、場所を調べたところ、何と三島教室から車で1分の距離、これは行かない手はありません(笑)。

喜び勇んで現地に向かったところ、道中で歩道にうずくまっているご老人を発見、急ぎ車を止め駆け寄ったところ、頭から血を流していました。どうやら転んだ際に頭を強く打ったようです。

 

「家まですぐだから!」

 

と、先に介護されていた方が救急車を呼ぶ間、何度も無理に立ち上がろうとするのを必死に制止し、ようやく救急車が到着、事なきを得ました。やれやれと安堵したその時、見覚えのある顔を発見、かつて当塾に最も長く在籍していた「元・塾生」でした。

 

「今は、しばらくの間仕事をお休みして病院に通っているんです。」

 

少し俯き加減で話す彼の表情から、おそらくは就職後に少なからず苦労した様子が手に取るようにわかりました。

 

「若いうちの1・2年なんて、どうってことない。まずは心身ともにゆっくり休んで、ポツポツと「次のこと」を考えればそれでいいんだよ。あまり「頑張るな」よ!」

 

少しだけ明るくなったような表情を見せた彼を見送った後に、すっかり遅れてしまった「目的の場所」へ急いだのでした(笑)。

 

その場所は、まさに「大変な場所」であり、このような過酷な場所で必死に仕事をされている皆さんに、改めて敬意を表したくなる気分になりました。

 

「おお、先生、よく来たね!持ってってよ!」

倅の一人暮らしでどうしても必要だった「ティファール」、これだけあれば十分でしたが、その上トイレットペーパー20ロール、壁掛け時計3個、灯油(ポリタンク付き)約40ℓ、さらには新品未開封のファンヒーターまで頂いてしまいました。対して私が持参したのは、僅かばかりのお菓子と飲み物だけ、これではあまりにも釣り合わず、後日改めてお礼に伺うことを固く決意したのでした(笑)。すべて「即戦力」の物品であり、時計などは既に沼津教室に設置されています。

 

「使ってくれるだけでありがたいから!」

 

こういうご縁はぜひ大切にしたいと強く感じた「忙しない授業前」なのでした。

 

それにしても、なぜこうも「いろんなことが一気に起きる」のだろうと、改めて感じ入ってしまった私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

母が認知症を患ってから、折に触れて「父」のことを思い出すことが増えました。現在の母の姿を父が見たら、いったいどんな風に感じるんだろうと、私なりに想像を働かせてしまうことが多々あるのです。

 

早いもので、父が亡くなってから40年近くが経過しようとしていますが、私と父の「関係性」は決して良好なものとは言えませんでした。父はほとんど「アル中」に近いほどの酒好きで、どんな事情があろうとも、毎晩の晩酌を欠かすことはありませんでした(笑)。

父は喫煙者でしたが、タバコの煙を嫌だと感じたことは一度もなかった反面、酒に酔って醜態を晒す父の姿を見るのは、子供心にとても嫌だった記憶があるのです。ですから私はアラカンとなった現在に至ってもなお「下戸」なのです(笑)。良きにつけ悪しきにつけ、子に対する親の影響というのは、親が考えているよりもずっと大きいことを、「親たる人間」は必ず理解しておくべきなのです。

 

そんな大酒飲みの父でしたが、その「酒好き」はまさに「筋金入り」で(笑)、文字通り「命を削って」酒を嗜んでいたのでした(笑)。父は胃がんで亡くなったのですが、発見時には既にリンパ節まで転移が広がり、見える範囲のがんを手術で取ったものの、その時点である程度の「命の期限」を区切られてしまっていたのでした。当時は患者本人に「がんであること」を告知するのは一般的ではなく、私と母だけに知らされたのですが、そんな私たちの想いなど「どこ吹く風」で、父は手術後の一時退院の際、医者の指導も聞かずに、

 

「アルコール消毒だ!」

 

と言いながら、美味しそうに焼酎をあおっていたのでした(笑)。

 

「馬鹿に付ける薬はない」などと言いますが、残り少ない命を削ってまで大好きな酒をあおる父に、当時は少なからず憤りを感じていたものです。けれども、よく考えれば父の行動がただ単に「ヤケクソ」になっていただけではないのでは?と考えるようになったのです。

父は「がん患者」として「死んだように生きる」ことを拒否し、最後まで「自分の意志」を貫いたのではないかと思うのです。きっと父は数か月だけ「長く生きる」ことに、何の価値も感じなかったのでしょう。

 

「健康寿命」などとよく言われますが、人間はいったい「何のために」生きているのか、「長く生きる」ことよりも「いかに生きたのか」という論点が重要だということを忘れてはいけないと思うのです。ただ単に「呼吸をして、心臓が動いている」だけでは、「ヒト」としては生きているのかもしれませんが、「人間」として生存しているのかと言えば、そうは言いきれないのではないでしょうか?「喜怒哀楽」があってこそ、人間は「生きている」のであり、残り少ない人生を「酒」に費やすような、実に愚かな決断だって、「生きている」からこそ、だと言えるのではないでしょうか?

私からすれば、ただ単に「生物学上では生きている」状態で、「五年生存率」や「十年生存率」などという摩訶不思議な専門用語を用いられても、

 

「それって、意味あるの?」

 

と、今時の中学生みたいな感想しか湧いてこないのです(笑)。

 

母は少々長く生き過ぎて、逆に父はあまりにも早く逝ってしまいました。世の中上手くいかないものですが(笑)、その人生が長かろうが短かろうが、「いかに生きるか」ということを決して忘れずに「生きて」行くべきだと強く感じます。何の「保証」もない中、今まさに受験生の皆さんは不安な日々を過ごしていることと思いますが、そんな思いさえ「生きている」からに他ならないということを決して忘れずに、残り少ない受験生活を全うしていただきたいと強く願っております。

 

頑張りましょう!

公立高校受験まで残り1か月を切り、いよいよ「総仕上げ」の時期ではありますが、同時に新年度への対応も検討しなければならない時期でもあります。教育関係者が最も疲弊するのが、年末から春先にかけてであることは、もはや言うまでもないことなのです。

 

新年度を迎えるにあたり、いよいよ「受験生の年」となる子たちは、これまでとは少し考え方や行動を改めなければいけないと思います。いつまでも「中だるみの学年」のままい続けてはいけないのです。

中学1・2年生時において、自他ともに認める「怠け者」であったのならば、新年度こそ「心機一転」して、「やる気溢れる生徒」に変貌しなければなりません(笑)。特に受験生となる現中学2年生にとっては、まさに「最後のチャンス」と言っても過言ではないのです。

 

これまでさんざん「グダグダな生活」を送っていたにもかかわらず、受験生になってから急に「意欲的」になるのは、何だか気恥ずかしいし、あまりにも「虫が良すぎる」話なのかもしれませんが(笑)、それでも「何も改善する気がない人」よりは「ずっとマシ」だと私は思いますし、そんな姿勢を学校の先生も必ずどこかで見てくれているものなのです。

 

「あの子は去年までグダグダしていたけど、今年になって急に課題はしっかり提出するし、遅刻や欠席もなくなった。頑張っているみたいだから、本当は「1」の成績だけど、「2」にしてやるか!」

 

こんな風に考えてくれる先生は必ずいますし、当塾でもこれまでに何件もの「成功事例」があるのです。要はほんの少しの「やる気次第」で、大きく改善できる余地がまだまだあるということを努々忘れないでいただきたいと強く願います。

 

人間にとって何事も「遅すぎる」ことなんて、本当はないのかもしれません。「これではイカン!」と思い立った時こそが、自分自身の人生の分岐点となり得るのです。利口な人は「早く気付く」のでしょうし、愚かな人は「ずっと後にようやく気付く」のでしょうが、それでも「気付いても、何もしない」人よりは、「気付くのが遅れても、何とかしようとする人」の方がずっと素晴らしいと、私は考えているのです。

 

繰り返しになり恐縮ですが、「今更遅すぎる!」などということは決してないという事実だけはしっかりと認識していただきたいと強く願います。人生において重要な節目となる「受験」を契機に、文字通り「心機一転」してみることを強くお勧めする私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

間もなく学生生活を終え、今春から社会に出ることが決まった元・長男(現・三男(笑))が、元銀行員であった私の妹に「お金」のことでしきりに相談を持ち掛けているようです。

 

「積み立てnisaって、やった方がいいのかな?」

 

まあ、「自分で調べろ!」で済む話なのですが(笑)、投機的性質があることは心得ておくべきですし、その確率は極めて低いものの、金融機関への預金だって万一金融機関が破綻した場合は元本のみの1000万円までしか保証されません。要は何事においても少なからず「リスク」は存在するもので、生きていく上で、すべてにおいて「安心・安全」などということはあり得ないという事実を認識しておくべきでしょう。

 

換言すれば、「生きていく」ということは、適切に「リスクをとっていく」ということであり、その成否こそが人生の成否をも左右しかねないということなのです。現在大成功している人だって、生まれてこのかた成功だけを積み重ねている訳では決してなく、時には手痛い失敗を経て、それでも挫けずに再起してきたことは想像に難くないのです。

 

このことは、勉強や受験に置き換えても同じことが言えるのではないでしょうか?「安心・安全」だけを追い求めても、そこに望む「成功」などあり得ないと、私は考えているのです。「合格保証」などあるはずがない受験という世界の中で、誰もが「リスクととって」不確実な世界に足を踏み入れるのです。どれだけ努力を重ねたとしても、そこに「安全・安心」などあろうはずがないのです。

であるならば、私たちにできることは、来るべき「勝負の時」に備え、できる限りの努力をし、「やれるだけのことはやった」という心境に至ることだけではないかと、私は思うのです。その先にある成否は、まさに「神のみぞ知る」なのですが、仮に悲しい結果に終わったとしても、そこに至るまでの「経緯」までが否定される訳ではなく、そんな手痛い経験こそが、次回の成功への足掛かりになると思うのです。

 

本当の「敗北者」というのは、自ら「適切なリスク」を放棄し、ただただ安穏と暮らそうとする「怠け者」ではないかと、私は考えているのです。

 

勝負の世界は時に過酷なものであることは確かですが、受験生の皆さんには、それでも勇気をもってリスクをとって頂きたいと強く願います。ボロ雑巾のように打ちひしがれても、なお、

 

「俺は負けてない!絶対に負けを認めない!」

 

というような、勤勉で、負けず嫌いで、それでいてどこか憎めない「アホ」を、私は愛して止まないのです(笑)。

 

頑張りましょう!

先週は塾生たちがバタバタとインフルエンザB型に罹患してしまい、大変な一週間でした。

今週はやや落ち着いたものの、大変ありがたいことに立て続けに体験授業の依頼があり、公立高校入試を控えた実に忙しい中で、相変わらずバタバタとした日々を過ごしております(笑)。

 

そもそもが貧乏塾ですので(笑)、資金的な問題もありますが、昨今では「人」が足りません。もう6年以上勤務して下さっているS先生には相変わらず頑張って頂いているのですが、私自身の担当授業ももはや限界まで到達しており、責任者としての管理業務まで手が回らない状況です。

 

まさに「貧乏暇なし」状態なのですが(笑)、それに加え母の「放浪癖」も一向に改善の兆しが見えず、やや手詰まり状態の私なのでした。

それでも、大変ありがたいことに「お問い合わせ」を頂けるのは、「塾人」としてこれほど嬉しいことはないのです。私自身、まだまだ修行が足りない「未熟な身」ですから、あまりの煩雑さにすべて投げ出したくなってしまうことも多々あるのですが(笑)、それでも何とか踏ん張っていられるのは、ほんの少しの「嬉しいこと」があるからに他ならないのです。

 

何から何まで「足りない尽くし」の当塾ではありますが、まずは何といっても「好ましい人材」を一人でも多く獲得したいと考えています。母が認知症を患って以来、そろばん教室はS先生に「お任せ状態」で、S先生の個別指導での授業が削られてしまっている状態であり、まずはきちんとしたそろばんの熟練者の方にお手伝いをお願いできればと考えてはいますが・・・まあそう易々と事は運ばないでしょうね(笑)。

 

私たちのような塾でなければ対応できないお子さんがいるという自負と信念を持ちつつ、新年度に向けて準備を整えたいと考えているところです。すべての塾生に、等しく良好な指導を提供できるよう、「もうひと踏ん張り」を固く誓った私なのでした(笑)。

 

「やりたいこと」はまだまだあるんですけどね(笑)。

 

頑張りましょう!

静岡県は温暖な気候であることが広く知られており、特に私共が住む標高が低く、海岸沿いの地域においては「雪」が降ることなどほとんどありませんでした。そのはずだったのですが・・・

自宅2階から見た景色は、まさに「別世界」でした。地域一帯を覆う松林に雪が降り積もる光景は、寂寥感に満ちた、実に美しい姿でした。

雪国にお住まいの方々からすれば、

 

「何を甘いことを!」

 

とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、これほど「雪が積もる」状況になったのは、60年近くこの地に居住している私にとっても、ほとんどなかった経験でした。

昼を過ぎても降雪の勢いは全く衰えず、これが一週間前の私立高校受験日でなかったことが実に幸いであったと、「塾の先生」として率直に感じた次第です(笑)。

当然のことながら、いつもの「物干し」に洗濯物を干すことなどできるはずもなく(笑)。

それでも妻は極めて稀有な「大雪」に大層はしゃいでいる様子で、しきりに外の風景を写真や動画に納めておりました。ちなみに妻の実家は同じ静岡県東部ではあるのですが、標高が高い地域にあり、度々大雪に見舞われたことがあるのです。彼女にとって大雪などはちっとも珍しくはないと思うのですが(笑)、我が家に嫁いできてからは初めての大雪で、きっと実家のことを思い出していたのかもしれません(笑)。

 

繰り返しになり恐縮ですが、私の記憶では、このような大雪がこの地で降ったことはただの一度もなかった(はず)のです。大変驚いたのはもちろんのこと、やはり地球環境に大きな「変化」が訪れているのでは?と勘繰らずにはいられませんでした。「ずっと同じ」や「これまで通り」というのは、これからは通用しないのかもしれません。

 

こんな大雪で足元も悪い中でも、「通常運転」の母は、

 

「選挙に行く!」

 

と私が知らぬ間に一人で勝手に出ていってしまい、きっと「選挙」にかこつけて「ナマモノの買い物」に出かけていると睨んだ私は、GPSを頼りに急遽近隣のスーパーに妻とともに駆け付けたところ、まさに「ナマモノ」に手を付けようとしていた母を発見し、無事捕獲(笑)、こんな大雪の日にもかかわらず、どうしても「ナマモノを買いたい!」という、よくわからないけど頑なであることは確かな「認知症患者のこだわり」に、雪を纏った荘厳な松林の風景以上に、ある意味で「心を動かされてしまった」私なのでした(笑)。

 

思いがけず、「いつもの風景」から様変わりした美しさを堪能できたのはありがたかったのですが、明日からの授業に支障が出ないよう、「今日限り」として頂きたいと強く願った、実に自分本位な私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

本日は母の通院日でした。

 

いつもの通院時の流れは、担当医から母への問診の後、母は退室して私から母の様子を聴取するという流れになります。例の如く、母の言うことはすべからく「デタラメ」なので(笑)、担当医の先生も最初は、

 

「うんうん、なるほど!」

 

と母の「デタラメ」を受け流しつつ、本当のところは家族から聴取するという実に面倒な手順を踏んでいます。精神科医や心療内科医の仕事は、決して楽ではないのです(笑)。

 

いつもならば私と担当医の話は2~3分程度で終わるのですが、本日は少し長引きました。母の血圧が思いのほか高いこと、そして日に日に「おかしくなってく」母の様子について、「次の一手」を打つべく、ご相談させて頂きました。

 

まずは「血圧」について、上が180を超える典型的な「高血圧」であるにもかかわらず、当の母本人は、

 

「私は昔から低血圧でね~」

 

などとデタラメ三昧(笑)、本人に自覚がないことを担当医の先生が重く見ていて、血圧の薬が増量となりました。

 

そして肝心の「認知症」について、連日の「ナマモノのお買い物」がどうしても止められず、加えて最近は何事においても感情的になる母の様子について報告したところ、

 

「出かけた後に帰ってこれなくなって、警察のお世話になったことはありますか?」

 

「おトイレの不始末はありませんか?」

 

等々細かく聴取されました。実は昨日も16時過ぎに「ナマモノのお買い物」に出てしまったのですが、帰ってきたのが19時前、おそらくは帰路がわからなくなってしまったのだと思われます。何とか帰宅して事なきを得ましたが、その点ついても率直に先生にご相談させて頂きました。

結果、今回より「向精神薬」が処方されることになりました。簡単に言えば「少し落ち着かせる」薬だそうです。認知症であっても、体が元気であれば、母のように勝手に買い物に出かけてしまい、挙句の果てには帰り道が分からなくなって多くの方々にご迷惑をかけてしまう、母自身の安全も確保しなければいけない中で、投薬によって多少の「落ち着き」が得られれば、母自身は勿論のこと、家族を含んだ周囲の人間の負担が多少は軽減されるものと思います。薬の効果に大いに期待するところではありますが、認知症自体は「決して治らない病気」であることは確かですので、家族としての不安が消え去るものでは決してないのです。

 

向精神薬の処方により、母の「ステージ」がまたひとつ上がってしまったような気がしています。願わくば、穏やかな最期を迎えてほしいと願うばかりの「愚息」なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

資本主義経済の中で生きている以上、「適切な対価」という概念は極めて重要だという事実を思い知らされる事案がありました(笑)。

 

私はよくネットオークションやフリマを利用することがあるのですが、時折「無料」であったり、信じられないような「低価格」で出品されているケースを目にすることがあります。明らかに商品が「ジャンク」であったり、商品自体が極めて「かさばるもの」であり、一刻も早く処分したい等々の「正当な理由」があればいいのですが、確たる意図もわからないまま「ダンピング」されている出品物には、当然のことながら注意が必要なのです。そんな「要注意物件」に、先日まんまと引っ掛かってしまった次第です(笑)。幸いにして経済的被害や詳細な個人情報まで掠め取られることはなかったのですが、といかく「嫌な思い」は十分過ぎるほどさせて頂きました(笑)。

 

「無料」や「極めて低廉」で物やサービスを提供する人の中には、全くの「善意」で行動されている方が僅かながら存在されている反面、何らかの「悪しき意図」をもって、商品とともに「不快な思い」を提供しようとする輩も少なからず存在します。明確な犯罪行為である「詐欺師」は論外ですが、専ら自らの「見栄」や「自尊心」だけを満たそうとする輩には、本当に嫌な思いをさせられてしまいます。本来であれば、これらをしっかり見極めた上で行動すべきなのですが、実のところこれがなかなかに難しいのです(笑)。

 

「タダで恵んでやるんだから、少々のことは我慢しろや!」

 

適切な対価を提示しているにもかかわらず、自らの「上から目線」と「傲慢さ」を維持したいがために、頑なに対価の提供を拒絶し、文字通り「全く遠慮なし」の暴言を吐き続けます。

 

「個人事業主なんてやってる奴に、商品は渡せね~な!(笑)」

 

誰かに「施し」をしてやることで、かろうじて自らの「存在意義」を見出している人は、どうか破産するまで「施し続けて」下さい(笑)。そこまでやったのであれば、逆に尊敬してしまいます(笑)。

 

きちんとした「対価」を伴うからこそ、「クレーム」だって言えるし、「売らない」という選択肢も行使できるのです。それがまさに適切な資本主義だと、私は考えているのです。翻って、「塾業界」はどうでしょうか?ただただ「低廉な月謝」だけを求めて。それでいて「対価以上のサービス」を求めて大いに揉めていたり(笑)、あるいは「高額な月謝」だからといって、盲目的に「これで安心!」などと高をくくってしまうのは、極めて危険な思考だと断じざるを得ないのです。

 

「権利」を主張したいなら、相応の「義務」を負う、この当たり前の論理を再度認識し直すためのよい機会となりました。

 

「タダ」より高いものはないんですよね(笑)。

 

頑張りましょう!