赤穂浪士の討ち入りについては、現在でも支持されている。今年は総選挙に重なったので、テレビでの放送はなかったようだ。
福沢諭吉は、この討ち入りについて否定的な見解を「学問のすすめ」に記述している。
浅野内匠頭は、江戸城内で刀を抜いてはならないというルールを破って、吉良上野介を斬りつけた。切腹を命じられたのは当然、という見解だ。
赤穂藩は取り潰しになり、藩士達は浪人になった。旧藩士の一部が主君の恨みを晴らすために、江戸の吉良邸に討ち入りを実行して、吉良上野介を殺害した。
福沢はこの行為を「私的制裁」と批判した。現在ならば「テロ行為」と言っただろう。
当時の江戸市民達は、赤穂浪士達の討ち入りを天晴な行為として絶賛した。そのために、幕府は浪士達に切腹を命じた。切腹は武士としての尊厳を認めた上での死罪だ。打首とは意味が違う。
吉良上野介は「悪人」のように言われているが、当時の藩内では「名君」と評価されていたそうだ。