特別展示室を出て常設展示を観ていきましょう。
コーナーに「明治大学経済事情研究部」の銘板が
ありました。
調べてみると、明治大学内のサークルのようです。
大学史展示室もありました。
明治大学のあゆみ
明治法律学校の開校
明治大学の前身である明治法律学校は、1881
(明治14)年1月17日に数寄屋橋校舎(現、
東京都千代田区有楽町)で開校した。
学生数の増加にあわせ、1886(明治19)年12月
に南甲賀町校舎(現在のリバティタワー向かい)、
1911(明治44)年には現在の駿河台キャンパスに
移転した。
以下略
〔参考:「明治大学 HP」より〕
奥に明治大学のシンボルである岸本辰雄・宮城浩蔵・
矢代操・鵜澤總明(敬称略)の写真と説明文がありま
した。
次に刑事部門の展示です。
此処は以前から来たかった場所です。
刑事部門 展示室
刑事部門の前身となる刑事博物館は、1929年に、
法学研究において実物実見を重視する立場から、
日本の江戸時代・明治初期の刑罰関係の道具や
古文書を収集する博物館として設立されました。
戦中に活動を停止しますが、戦後活動を再開し、
以後は刑罰関係の道具の収集から離れて、明治
立法史関係文書と日本近世法律文書を収集対象
としました。
近世法律文書とは、法律を生み出す社会そのも
のを広く見据えたもので、村や町、武士や大名の
文書も対象にし、その充実した収蔵資料からは多
くの優れた法制史、日本史研究が生み出されて
きました。
常設展示室では、現在の法と刑罰を考えるために、
過去の法と刑罰を理解することを目的とし、各時代
の法令や刑罰関係の道具を展示しています。
特に江戸時代の裁判と刑罰については多くのスペ
ースをとって、犯罪がどのように裁かれ、どのよう
に処罰されたのかを具体的に解説しています。
とても充実していました。
撮影は少し遠慮しました。
次に卒業生である阿久悠記念館です。
中は撮影禁止なので、表だけ撮りました。
阿久悠記念館について
日本を代表する作詞家・作家阿久悠は、だれも
が知る多数の歌謡曲の作詞を手がけました。
その数は5,000曲以上におよびます。
都はるみの『北の宿から』、沢田研二の『勝手に
しやがれ』、ピンク・レディーの『UFO』などの大
ヒット曲をはじめ、アニメソングやCM曲まで幅広
いジャンルでヒット曲を数々世に送り出してきまし
た。
日本レコード大賞受賞は史上最多の5回、シングル
レコードの売り上げは6,800万枚を越えています。
その活躍は作詞のみにとどまらず、直木賞候補
となった『瀬戸内少年野球団』をはじめとする小説
作品や、アフォリズム(警句)の手法を駆使した
エッセイ、詩歌を多数発表し、作家として多大な
業績を残しました。
ご遺族から、自筆原稿をはじめとする阿久関係
資料およそ1万点が寄贈されたことを受け、同氏
の業績をたたえるとともに、その遺産を次世代に
継承していくため、2011年10月28日、阿久悠
記念館をオープンさせることとなりました。
〔参考:「明治大学 HP」より〕
明治大学博物館を出ました。
もうひとつ気になる場所に行ってみます。
雁木坂を上ります。
雁木坂(がんぎざか)
「明大通り」から杏雲堂病院南側を、ニコライ堂
西門前に下る坂です。
昔は急坂で雁木(丸太でつくった階段)が多く使わ
れていたのでしょう。
〔参考:「千代田区観光協会 HP」より〕
それが今年2月から休館になった山の上ホテル
です。
40年近く前両親が泊まった際バーでご存命中の
池波正太郎先生に遭遇した想い出のホテル。
建物はまだあるかな?と思って行くと、フェンスに
囲まれていましたが残っていました。
リニューアルされると良いですね!?
御茶ノ水橋を渡る際、JR御茶ノ水駅方向を臨む
とまだ工事が続いていました。
では地下鉄・丸の内線で次の場所に向かいます。
これで「御茶ノ水」探検レポートを終わります。