「目白文化村遊歩」9:中村彝アトリエ記念館に入ってみた! | 今日は何をレポートしようかな?

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 またまた落合に住んだ文化人のお宅跡です。

中村彝アトリエ記念館に入ります。

中村彝アトリエ記念館とは

中村彝(つね)は大正期に活躍した洋画家で、

大正5年(1916)、落合村下落合464番地(現・

新宿区下落合3-5-7)にアトリエを新築しました。

彝の没後、このアトリエは彝のもとに集まった

画友らを中心とした中村彝画室保存会により

保全され、やがて洋画家の鈴木誠(1897~

1969)の所有するところになり、今日まで保存

されてきました。

この記念館は、後年増改築された建物を、

大正5年建築当初の姿に復元したものです。

当時の部材も数多く活かして復元された

アトリエは、この記念館の最大の財産です。

彝が病魔と闘いながら制作を行ったこの

アトリエを、関連展示とともに、ごゆっくり

ご覧ください。

〔参考:「新宿区立中村彝アトリエ記念館 HP」

より〕

アトリエ室内に入りました。

 

 

 

 

 

 

 

中村彝アトリエ記念館

 中村彝アトリエ記念館は、大正時代に活躍し

た洋画家・中村彝(つね)が、大正5年(1916年)

に建てたアトリエ付き住宅の跡で、現在は建設

当時の部材を活かして改修・保存したアトリエ

を展示室として公開しており、彝の生涯や画業、

代表的な作品等がパネルや高精細写真で展示

されています(実作品の展示はありません)。

彝は若くして病魔に襲われますが、新宿中村屋

の相馬愛蔵・黒光夫妻の援助を受け、創作活

動を行いました。

やがて夫妻の長女・俊子との恋に落ちますが、

周囲の反対にあって中村屋サロンから去り、

この地にアトリエを構えました。

病魔と闘いながら暮らした彝は、ほとんどこの

アトリエ内で創作活動を行い、鶴田吾郎との

競作《エロシェンコ氏の像》(重要文化財)など

の代表作を描きました。

彝が大正13年(1924年)に没すると、アトリエ

は仲間の画家たちの手で保存され、今日に

受け継がれてきました。

記念館のアトリエ展示室は、後年増改築され

たものを、建築当初の姿に改修・保存したも

ので、天井や床などに当時の部材も数多く活

かして復元されています。

〔参考:「新宿区 HP」より〕

アトリエ内は創作意欲に駆られる雰囲気が

漂っていました。

 

 

 

 

 

 

 管理棟内にも入って資料などを戴きました。

梅が生っていました。