「九品仏探検」2:浄真寺の奥沢城跡と仁王門! | 今日は何をレポートしようかな?

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 この地図の地点まで来ました。

 

 

 

 

 仁王門に向かって右手に開山堂が見えます。

開山堂

 当寺開山珂碩上人のお像を安置する。

このご尊像は上人自彫のもので、お姿は合掌す

る上人御年42歳のときのものである。

この像も文化財に指定されており、万冶元年

(1657年)上人が、如来のお告げ三度により、

水鏡に御姿をうつし彫刻されたものであって、

古来より安産・厄除・開運としてひろく信仰を

あつめている。

なお、開山堂では上人のご命日に当る毎月七日

の開山忌に開扉して、午後一時より法要とご法話

及び写経が催されており、一般の方の参加を望ん

でいる。

上人は元禄七年(1694年)10月7日、御年

七十七歳にて示寂され当山の西北にその御廟

がある。

〔参考:説明板より〕

後で門をくぐりましょう。

 

 

 

 左手奥の土塁に「奥沢城跡」の石柱があります。

奥沢城跡

奥沢城跡は、中世世田谷を治めていた吉良氏

または同氏の家臣である大平氏の居館であった

と伝えられています。

天正18年(1590)、小田原北条氏が滅び、吉良

氏は下総国に逃れ、大平氏もまた等々力に潜居

しました。

その後、奥沢城は廃城になったと考えられます。

その後、延宝6年(1678)に浄真寺が建立され、

周囲を四角く囲む土塁はよく原形をとどめていま

す。

また、周辺で行われた発掘調査で、空堀が見つ

かっています。

〔参考:「世田谷区 HP」より〕

10年前にも記載しましたが、奥沢城秀吉の

天下統一で廃城になったんですね。

 

 

 


 

 

 

 

 さあ堂々たる仁王門です。

説明板が2つあるので読んでみます。

紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩

当山に参詣される人々は、この楼上に安置して

ある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、

三仏堂へと足を運ぶことになる。

すなわち紫雲の門より内は荘厳の浄土(彼岸)

であることを示している。

この楼門は寛政年間の建立である。

当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会

(らいごうえ)」(お面かぶり)は無形文化財

に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、

来迎の真髄を示現していることになる。

仁王門

重厚荘重なる仁王門(山門)は別名「紫雲楼

(しうんろう)」とも呼ばれ寛政5年(1793)

の建立である。

一対の仁王像、楼上に阿弥陀如来と二十五

菩薩像が安置されているほか、風神・雷神の

像も立って、寺域全体の安全が意図されて

いる。

以上〔浄真寺縁起より〕

逞しい仁王像に睨まれながら仁王門をくぐります。

 

 

 

 

 ここが山門、ここから先が本当の境内になる

んですね。