最終回「西新宿探検」4:成子天神社の富士山初登頂に成功! | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
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何でもレポートします。

 

 

 浅間神社の前に富士塚への入口がありました。

脇に説明板があります、読んでみましょう。

成子天神社の富士塚

大正九年(一九二〇)八月に、成子天神社境内に

あった天神山という小山に富士山の溶岩を配して

築かれたもので、区内で最後に築かれた富士塚

です。

高さは約十二メートルあり、区内では最大規模と

なっています。

塚の北側には浅間神社の小祠があります。

富士塚は江戸時代中期より、江戸庶民の間で盛

んになった富士信仰の遺跡です。

同業者を中心に富士講が組織され、神社の境内

に模造富士を築いて崇拝しました。

成子天神社の富士塚は、柏木・角筈地域(現在

の北新宿・西新宿)の人々を中心に組織された

丸富士成子講が奉祀していたもので、最盛期に

は約二〇〇名の講員がいましたが、現在は活動

していません。

〔新宿区教育委員会〕

では登りましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 細い道や階段を富士塚周囲を円を描くように登

ると・・・ようやく頂上に到着!

成子天神社本殿の全景が見えました。

頂上には小祠がありました。

ついに富士山初登頂です!!

高山病にならないようにゆっくり上り下りしました

(笑)

 

 

 

 

 

 北参道側から成子天神社を出ました。

新宿グランドウイングというマンションの敷地に

「KABUTO」という創作料理のお店がありました。

広場の片隅に「有隣園記念の碑」がありました。

何でしょう?

調べてみました。

日本で最初期の総合福祉施設「有隣園」跡

時代は変わって明治時代のこと。成子天神社の

裏手に、日本で最初期の総合福祉施設「有隣園」

が開設されました。

 創設者の大森安仁子

[アニー・バロウズ・シェプリー](1856~1941)は、

アメリカのミネソタ州生まれ。

夫の大森兵蔵(1876~1913)とともに日本人の

体格向上のための「体育」の啓蒙と指導、セツル

メント(地域社会奉仕)の精神に基づく社会福祉

事業を目指し、明治44年(1911)に有隣園を開設

しました。

兵蔵は、明治45年(1912)のオリンピック・ストック

ホルム大会に監督として参加しており、平成31年

(2019)のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリム

ピック噺~」では大森夫妻(竹野内豊とシャーロット・

ケイト・フォックス)も登場しました。

有隣園は、土地の婦人会の援助を得て経営し、

授産所・幼稚園・図書館なども兼ねた施設でした。

開設当初は子どもを対象とした遊び場・クラブが

中心でしたが、後に拡大されて勤労青少年のため

の夜学校や診療所なども併設し、大正12年

(1923)の関東大震災の時には救護活動を行った

ほか、震災後の職業紹介所や託児所も設置しま

した。

しかし、昭和20年(1945)5月の山の手大空襲で

全焼し、その後は再建されませんでした。

 有隣園の跡は新宿区地域文化財に認定されて

おり、新宿グランドウィングビル(西新宿8-16)の

敷地内には、後続組織の一般財団法人生涯学習

開発財団による「有隣園記念の碑」(説明板)が建

てられています。

〔参考:サイト「地方活性」より〕

そうだったんですね!?

確かに大河ドラマ「いだてん」に登場したのを覚

えています。

 

 

 

 

 帰路は西新宿の住宅街の中を通ってみました。

高層ビルが建ち並ぶ中にまだ昭和が残っています。

その中に「エーミール」というシフォンケーキのお

店を見つけました!

青梅街道に出ると、ハイアットリージェンシー東京

が見えました。

これで「西新宿探検」レポートを終わります。