「高尾探検」2:廿里町交差点を曲がるといよいよ武蔵陵墓地が! | 今日は何をレポートしようかな?

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 はいそうです!今回の目的地は「武蔵陵墓地」

です!

予てから懸案でした。

遠いと思い込んでいたから・・・でも横浜から此処

までそんなに遠くありません。

廿里町(とどりまち)の信号を右折します。

廿里町(とどりまち)、ローマ字のフリガナが無か

ったらとても読めません。

調べてみました。

廿里町(とどりまち)

同じ八王子市だが、「廿里町」という難読地名

もある。

JR高尾駅の北側にのびる高尾街道に沿って

広がる町名で「とどりまち」と読む。

高尾駅北口から北へ進むと、右に武蔵野陵

墓地の森が広がっているし、左には多摩森林

学園の森がつづく。

大部分は廿里山(標高340メートル)の山地だ

から、坂道が多い。

 このあたり一帯が廿里町だが、地名の由来

については諸説あって、定説はない。

しかし、京都からの距離が百里(約四百キロ

メートル)なので、中国式に「十十里」と書き、

「廿里」になった、とする説が有力とされている。

 永禄12年(1560)、滝山合戦が行われたが、

武田信玄の重臣・小山田信茂の軍勢が侵攻。

滝山城(八王子市丹木町)を守っていた北条

氏照の家臣・横地監物が廿里山で迎撃した

ものの、武田軍に敗北したと伝えられる。

廿里町には、このような歴史もある。

〔参考:サイト「excite.ニュース」より〕

なかなかレトロな飲食店を見つけました。

 

 

 

 

 

 

 しばらく民家が続く道を進んでいると、石の塀

が続く地点まできました。

これが「武蔵陵墓地」のようです。

途中通用門があったりして・・・それが途切れる

と左折、事務棟のような建物が見えました。

そちらに進みます。

どうもこの建物は「武蔵陵墓地」を警護する交番

のようです。

 

 

 

 

 

 

 いよいよ「武蔵陵墓地」の正門前。

此処から振り返ると、真っ直ぐで広い道!

ケヤキ並木の参道です!!

どうやらこの道から来た方がもっと盛り上がっ

たかもしれません(笑)

正門側を見ると、団体客がぞろぞろ出てきました。

さあ!「武蔵陵墓地」正門です!!

武蔵陵墓地

武蔵陵墓地には、多摩陵、多摩東陵、武蔵野陵、

武蔵野東陵の4陵があります。

多摩陵は大正天皇の御陵です。

その東隣の多摩東陵は、貞明皇后の御陵です。

平成2年(1990年)には、昭和天皇の御陵

「武蔵野陵」、さらに平成13年(2001年)には

香淳皇后の御陵「武蔵野東陵」がそれぞれ造ら

れました。

甲州街道からの参道には、ケヤキ並木が続い

ています。

また、陵墓地内には北山杉が植えられ、荘厳な

雰囲気が感じられます。

〔参考:「八王子市 HP」より〕

盛り上がってまいりました。