「高尾探検」1:ノスタルジックな高尾駅を出て南浅川を渡る! | 今日は何をレポートしようかな?

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 9月の晴れた日、七郎委員長は予てから懸案だ

った場所「高尾」に行ってきました!

高尾山ハイキング?いえいえそちらも懸案の一つ

ではありますが、そちらではありません。

 

 

 

 横浜からJR横浜線八王子まで行き、そこで

中央線に乗り換えて高尾で下車しました。

1時間ちょっと、意外に近いです!

ホームを歩いていると、天狗の顔像を見つけました。

何故かな?調べてみました。

高尾山と天狗様

天狗様は飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災

開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益

を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多

くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されてい

ます。

この様に高尾山は、飯縄信仰と共に天狗信仰の

霊山としても知られております。

また、高尾山は修験道根本道場として知られてお

り、山伏修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽

谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の

霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達

となり、山伏の姿が天狗と同一視されることも多

いのであります。

〔参考:「高尾山薬王院 HP」より〕

高尾山と関係があったんですね!しかし今回は

そちらではありません。

 

 

 

 

 

 JR高尾駅を出ると、なかなかノスタルジックで

お寺のような駅舎に注目してしまいます。

これも調べてみました。

JR高尾駅 -大正天皇御大喪仮停車場の今-

JR高尾駅は、「関東の駅百選」に選ばれている

全国でも珍しい寺社建築のようなたたずまいの

駅である。

この駅は昭和2(1927)年、大正天皇御大喪の

時に「新宿御苑仮停車場」(*1)として鹿島が

施工した駅を移設したものである。

*1昭和11(1936)年の鉄道省の職制改正に

よって「駅」という呼称になるまでは、列車が

止まる場所(駅、操車場、信号場)はすべて

「停車場」と呼ばれていた。

一般には停車場と駅という呼び方は混在して

いた。

〔参考:「鹿島建設株式会社 HP」より〕

そういう理由なんですね!?

駅周辺もノスタルジックです。

 

 

 

 

 

 

 高尾街道を進みます。

甲州街道にぶつかった場所に小さな神社・山王社

がありました。

由来が書かれています、読んでみましょう。

山王社由来

山王宮の由来を見ると寛政年間の頃からと思わ

れる。

川原之宿の元は羽根子村と言い、この村に助七

という人がいて、山に薪を取りに行った。

その時死んだ猿を見つけ、拾ってきて共有地に

埋め石宮を建てて山王宮を祭った。

そして四月の初申の日を祭日として祝った。

この祭りは現在も続いている。

なお、この頃は山王宮より東には一軒の家もなく、

また国道の南北も山林であった。

平成二十一年四月初申の日

〔高尾下宿町会〕

 

 

 

 

 南浅川に架かる橋を渡ると目的地表示が・・・