「横浜:三ツ境~瀬谷探検」5:桜が咲いていたらなぁ海軍道路! | 今日は何をレポートしようかな?

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 旧上瀬谷通信施設を進むと・・・

海軍道路にぶつかりました。

どこまでも真っ直ぐな道、両脇には桜並

木。

桜のシーズンは見事でしょうね!?

以前から興味があった海軍道路

七郎委員長がサラリーマンだった頃、

この近辺にある関連会社に何度か行っ

たことがあります。

この関連会社の発足は、かつて此処に

った米軍基地の仕事を受けていたこ

とから、と聞いたことがあります。

瀬谷・海軍道路 概要

昭和15年「横須賀海軍資材集結所」の

建設が始まる。

神中鉄道瀬谷駅より引き込み線と道路

が一直線に資材集結所まで敷設。

「第二海軍航空廠瀬谷補給工場」「瀬谷

補給工場火薬庫」「海軍資材集結所」と

も呼称。

3キロにも及ぶ直線は、一説には滑走路

への転用も視野に入っていた為ともいわ

れている。

終戦により「海軍資材集結所」は米軍に

より接収。

その後、在日米海軍によって「上瀬谷通

信施設」が展開される。

1977年以降、施設内の一部国有地が農

耕地として売却。

平成27年(2015年)6月30日に米軍より

土地全体が日本へ全面返還。

現在は横浜市による再整備計画段階と

いう。

〔参考:「近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝」

より〕

そうなんですね!米軍の前は日本海軍

使っていたんですね。

 

 

 

 

 

 奥に進むにはいささか疲れたので、瀬谷

方向に戻ります。

中瀬谷消防出張所があります。

ここから急に風景が変わり、民家や商店が

建ち並んでいます。

調べてみたら、此処はかつて南門があり、

道路を南北に分けていたそうです。

此処から北側が米軍に接収されていた土

地だったんですね。

戦時中は銃剣を持った兵隊が警戒にあた

っていたそうです。

瀬谷西高校があります。

神奈川県立瀬谷西高等学校

本校は昭和53年に創立し、今年度創立

43年目を迎えます。

この間13,800人の卒業生が、様々な分

野において、地元はもとより全国各地で

活躍しております。

校地は横浜市瀬谷区の緑に囲まれたと

ても良い環境にあります。

4月7日に310名の新入生を迎え、43回

目の入学式を行いました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止の

ために窓を開けた体育館だったため、呼

名の合間に鳥のさえずりが聞こえる、ほ

のぼのとした雰囲気で行うことができまし

た。新入生に向けたあいさつの中で次の

ような話をいたしました。

このメッセージを着任のあいさつに代え

させていただきます。 

本校は、令和5年4月、瀬谷高等学校と

統合し、新たな学校としてスタートするこ

とになります。

瀬谷西高校にとっては、「最後」の入学式

になり、皆さんは「最後」の入学生となりま

す。

「最後」というと多少寂しく聞こえるかもし

れませんが、発想を変えれば、駅伝や

リレーで言うアンカーになります。

それも43年もの歴史のゴールテープを

切る華やかなアンカーの役目が皆さんに

託されたわけです。

後ろを振り向く必要はありません。

常に前を向いて走り続けてください。

私たち職員一同も一丸となって皆さんを

支えていきます。

〔参考:「神奈川県立瀬谷西高等学校

 HP」より〕

あら!そうだったんですね。

 

 

 

 

 瀬谷柏尾道路に出ました。

標識の「原宿」はあの原宿じゃありません

よ!

神奈川県にも宿場だった「原宿」がありま

す。

横断歩道を渡ると瀬谷中学校がありまし

た。