那覇市のビジネス街に出ました。
かなり立派な建物があります。
ビックリします!まるでタイレルコーポレ
ーションか?と思いました(笑)
此処は那覇市役所ですね。
那覇市役所
那覇市役所(なはしやくしょ)は、日本の
地方公共団体である那覇市の組織が入
る施設(役所)である。
新庁舎は地上12階、地下2階建てで、
仮庁舎のほか、教育委員会、銘苅庁舎
の部局も移転し、総合庁舎としての役割
となる。
建築家の国場幸房氏が設計した沖縄県
那覇市にある市役所「那覇市役所」!
下部が階段状になった外観が特徴の建
物で、インパクトのあるかっこいい建築と
話題になっています。
壁面やバルコニーには緑が積極的に取
り入れられており、6階の中庭部分は大
きな吹き抜けになっていますよ。
〔参考:サイト「DESIGN MAGAZINE」より〕
国場幸房さんは那覇市生まれの建築家で
す。
中心部から久茂地川(くもじがわ)に出ま
した。
此処に架かる古い橋が甲辰橋です。
久茂地川(くもじがわ)
那覇は昔、島でした。その島と琉球王朝
の都、首里のある本島の間の海峡(?!)が、
今の久茂地川です。
甲辰橋(こうしんばし)
1921(大正10)年3月、昭和天皇が皇太
子時代に沖縄に立ち寄られた際に、渡ら
れたことにちなみ命名されました。
殿下は ヨーロッパ5ヶ国歴訪の途中に立
ち寄られ、沖縄では与那原から那覇まで
鉄道を利用されました。
〔参考:サイト「ガイドと歩く那覇まちま~
い」より〕
上を見上げるとゆいレールの県庁前駅で
す。
御成橋通りを進みます。
これは御成橋があるからですね。
御成橋(おなりばし)
1921(大正10)年3月、昭和天皇が皇太
子時代に沖縄に立ち寄られた際に、渡ら
れたことにちなみ命名されました。
殿下は ヨーロッパ5ヶ国歴訪の途中に立
ち寄られ、沖縄では与那原から那覇まで
鉄道を利用されました。
〔参考:サイト「ガイドと歩く那覇まちま~
い」より〕
若狭方向に行きます。
松山通りに入りました。
台北にも「松山通り」ってありますね。
しばらく進むと沖縄県立那覇商業高等学
校がありました。
沖縄県立那覇商業高等学校
本校は、明治38年那覇区立商業学校
として開校し、校訓に「士魂商才」「自主独
立」を掲げ本年度(平成30年度)で創立
112年目を迎え本県商業教育の伝統校
として、今、ここで学ぶ生徒達が自覚をし、
自信と誇りを持って、日々明るく多彩に学
校生活を過ごしています。
創立時は、県内唯一の甲種商業高校とし
て創立され、これまで、産業界に多くの人
材を輩出してまいりました。
校訓の「士魂商才」「自主独立」のもとに、
品位と節度を守り、商業の才能を磨き、自
主性や自立性を高める教育を実践しており、
本校の素晴らしい伝統として受け継がれて
います。
以下略
〔参考:「沖縄県立那覇商業高等学校 HP」
学校長挨拶より抜粋〕
静かな通りです。