「沖縄探検3日目」1:石敢當と綺麗なお花! | 今日は何をレポートしようかな?

今日は何をレポートしようかな?

身の周りの物の掘り下げ、都会を訪ねて、歴史を訪ねて、小説・
映画・TVドラマの舞台を訪ねて、レトロを探して
何でもレポートします。

 

 

 再び沖縄旅行レポートを続けます。

今日からは3日目です。

朝食をクラブラウンジで採りました。

横浜よりは若干明るくなるのが遅いです。

 

 

 

 

 午前中はホテル周辺から徒歩で那覇港

方面を探検します。

ところで沖縄に到着した日から薄々気付

いていたのですが、どなたかのお宅の塀

の角に必ずといって良いほど「石敢當」

と書かれた石標があります。

最初は表札か?と思ったのですが、こん

なに同じ苗字の方がいるとは思えません。

これ何でしょう?調べてみました。

石敢當(いしがんとう)

この「石敢當(いしがんとう)」とは、沖縄

に伝えられる魔除けです。

元は中国の福建省より発祥といわれて

います。

古来より沖縄で信じられている動物の悪

霊「魔物(マジムン)」を撃退する役割を

果たしています。

信仰心が篤く、先祖の霊を大切にする

沖縄人の日常生活にとって、魔除けと

厄払いは切っても切り離せなこの魔物

(マジムン)とは、地元沖縄ではポピュラ

ーな存在。

数多くの種類があり、上記の通り、総じ

て南方妖怪系のファンキーな姿をしてお

ります。

特に危険なのが動物の姿をした魔物で、

これに股を潜られると死ぬと言い伝えら

れています。

なので地元では、決して彼らに股を潜ら

れてはいけないと言われています。

ちなみに奄美群島の一部では、ハブ

(蛇)をマジムンと呼んでおり、神の使い

とも口承されています。

なので、ハブは実在するマジムンといえ

ます。

また彼らは、道を直進する性質があり、

道路の突き当りに行くと、そこに取り憑

くのだそうです。

そこに魔物退治で名を馳せた中国(後漢

代)の強力無双の力士「石敢當」の名を

記した魔除けを置く風習(注①)ができた、

と云われているわけです。

※注①:中国の石神信仰が由来との異

説もあります。

〔参考:サイト「アマテラスチャンネル49」

より〕

そういうことなんですねー!横浜でもたま

に石標は見られますが「石敢當」とは書か

れていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに那覇市内中心部に進みます。

この時期横浜が盛りでしたが、那覇

はもっと鮮やかな花がたくさん咲いてい

ました。

此処は泉崎1丁目

那覇市立開南小学校がありました。

那覇市立開南(ひらかいなん)小学校

同校の敷地には、戦前開南中学校(旧制)

が置かれていた(1936年、志喜屋孝信に

より設立)。

当時の沖縄県では唯一の私立中学校だ

ったが、沖縄戦に際して校舎が那覇大空

襲で焼失、教職員と生徒も他校と同様に

鉄血勤皇隊に編成され、結果多くの者が

戦死して壊滅、廃校となった(慰霊碑が

糸満市の平和創造の森公園内に建立さ

れている)。

開南小学校はその旧制中学校の校名と

敷地を受け継ぐ形で、終戦後の1947年

6月6日に開校した。

〔参考:Wikipediaより〕

南国特有のハイビスカスも咲いていまし

た。