18歳の頃、ゼミで読みはじめ、
数年前あたり再びゼミで読みはじめ、
一人でコツコツ読み進め、
20年かけてやっとアウグスティヌス『告白』を読み終えました。
354年ローマ帝国内北アフリカ生まれの哲学者。
私たちの欲望を突き詰めていく。
あなたは本当はどうなりたい?何を求めているの?
と問いかける。
お金が欲しい
すごいねと言われたい
人に必要とされたい
認められたい
楽しみたい
人の役に立ちたい
休みたい
寝たい
美味しいもの食べたい
有名になりたい
成功者になりたい
みたいな
ものが出てくる。
でも、それが永遠に続くか?
世界は間断なく移り変わって、
僕たちは草のように萎れて枯れて、
跡形もなく消えていき忘れ去られていく運命で、
生きることは絶えず競争。
そして、それらの多くは、
満たされることなく、
人生の多くが欠乏感に満たされ続け、
不安と苦悩は常に付きまとう。
何か落ち着かない。
それでも何か満たされない何かが、
ずっとずっと人生には付きまとう。
じゃああなたにとっての幸せって?
心から喜んでいるだろうか?
生きていることそれ自体が、満たされて、幸せで、
もうこれ以上には何もいらない、
と思える瞬間ってあるんだろうか?
それはきっと、
自分の存在の意味に関わってくる。
存在をこの上ない愛情を持って、呼び起こし、生み出した、
ペルソナ、心を持った「根源的な大いなるもの」のうちに戻っていくこと。
人が究極に求めるものは、
永遠と完全な愛とその交わり。
顔と顔をあわせて親しく語り合い、憩いたい。
それは、人間の理性や証明のようなものを遥かに超えていて
ある種の幻想やフィクションのようにも思える。
でも、その幸福と自由と永遠と愛への希望は、
いくら不可知論や証明に馴染まないという論拠を持ち出しても、
地上の分析的な諸学問がそれを封印したとしても、
私たちの心のうちに確かに消え去ることなく残り、
重力のように、
心を「本来あるべきところ」へと引っ張って行こうとする。
それを「神」という手垢に溢れたイメージのついたひとことで言っちゃうのは、なんだか気が引けるし、
それは特定の宗教の枠内に収まるものでは決してないし、
「こっち」と「あっち」に分けられるものでもない、
人類である限りの普遍的な憧れや永遠性。
存在への問い。
存在を形作っている時間の不思議さ。
なおも知覚できない根源的な大いなるものに対して、
わからないながらも語りかけ、聞き、対話をしながら、
その方自身を求める一つの魂。
ダメダメな自分を、
罪に塗れた情けない自分を、
ありのままに告白し、
それでも許され、遣わされることに感謝しながら
「あなた」を讃える魂。
若き日に、真理を求め、
間違った道にはまってしまい、真っ暗闇に陥るも、
本当に自分を自由にし、愛してくれる道に、
愛する母や、優れた友のおかげで戻り、
回心を経験して、絶えきれず突っ伏して号泣する魂。
彼の魂は、現代にもなお生き続け、
世界のために祈り続け、歴史のいく末を見守っている。





