E今日はインターナショナルデイでした。
国際色豊かなお祭り。
前田万葉枢機卿にもすっかり覚えられてしまい🥰
上智大学のことなど話しました、、、
が後になって「罪深い私のために祈ってください」とお願いすりゃよ良かった。
カリスマ指導者に見られる激しい祈りもなく、逆説的なキラーフレーズもなく、鋭いオーラもなく、
高校生のバンドを孫のように見守る「みんなのおじいちゃん」感が😇
異質な他者や外国人との共生ということについて考えます。
さて、
おりしも、前日の夜、我が家の近くに越して来たミャンマー人たちが夜遅くまで集まってさわいでいました😅
技能実習生でしょうか、留学生でしょうか。
夜の22時、23時、0時を回っても、騒ぐ声が聞こえてくる。
家の窓は開けっぱなしで周りにも聞こえてくる。
「うるせーーー」
私はそう思いました。
「集まって楽しむのはいいけれど、いつになったら解散するんだ😡」
「こっちは子供が寝てんだ。
あと、おじいちゃんおばあちゃんたちも寝てんだ。」
そのうち、私の脳内でイライラや恐怖が芽生えてくる。
こんな思想がムラムラと湧いてくる。
「ここは日本だ!
外人はなんでもかんでも無作為に入れるべきじゃない!」
ついに、0時半になっても、彼らは騒いで、路上で喫煙までしているので、
いつも教室で私語のうるさい生徒を注意するノリで、
勇気を出して、、、
「オイコラァ!な何時や思っとんねん!近所迷惑や!いい加減にせい!」
と怒鳴り込んだところ、
ヘラヘラ笑いながら、
「ニホンゴワカリマセーーン」とそのまま叫び続けられた、、、
、
、、という妄想が出て来て、
ドキドキしていましたが、
「こんばんわー。
すみません、お楽しみのところ申し訳ないですが、
ちょっと夜も遅いので、お静かにお願いできますか?
引き続き楽しんで😅」
と腰を低くして、控えめに伝えたところ、
タバコを吸っていた彼らはハッとして、
「すみません」
そして中にいる仲間に声をかけ、
それからスッと静かになってくれました。
まあ、かくいう私たちも淡路島でBBQして騒いでいたら、怒鳴られたこともあって、
(いきなりああいうキレ方しなくてもいいよね)
と凹んだこともあったし、
毎月、自宅では大声で祈っているし、
大きめの音量でオーディオはかけているし、
寮の時代般若心経練習してたら(笑)隣からドンドン壁を蹴られて「うるさい」と言われるし、、、😅
我々の性質として、
身近にいる交流のない異質な他者を恐れ、排除しようとする傾向があるようです。
そしてそれは私も例外ではない。
交流仮説といって、
実際交わってたり対話を深めると友好的な関係になるそうで。
第一次世界大戦中も恨み憎しみあっていた国同士、前線の兵士同士でクリスマスに友情が芽生えサッカーをして楽しんだことがある。
ふと、
「ああ、今日のインターナショナルデイに彼らを誘えば良かった」
と思いました。
身寄りのない日本で、暖かく受け入れて、
日本の心に感動してもらえたら嬉しいとか思っているよ。
屋台で、ミャンマーのご飯を買いました。
美味しかった🥰
◆
さらに余談ですが、仕事の話。
これはちょっとしたことかもしれませんが、紛れもなく私にとっては奇跡でした。
授業中の私語がうるさくて注意しても反抗されるのが病むほどストレスで、
「本当に地獄に堕ちろ」「消えていなくなれ」というくらい怒り浸透な毎日で、だけど、うっかり表でそんなことを口にしたらとんでもない 笑
そんなことを内心思わずにはいられない人間なのだ
という本音を家の集会で告白したところ、
仲間の皆さんから本気で祈っていただき、
「こんな自分でも許され愛されている」
「こんな自分を本気で受け入れ、許そう」
と思えたわけです。
まあ、いいやと授業に臨み、
管理できなきゃ失格という想いを放棄し、
彼らのおしゃべりに付き合い、
自分の四国遍路の話や毒親の話やそういうことを喋っているうちに、
やたら興味を持たれ、質問責め。
その日の授業は進まずでしたが、
正直に申し上げますと、
「楽しかった」‼️
彼女ら、彼らと、ラポール(信頼?)の手応えが、初めて感じられた、のでした。
でねー
わかってるのよ。
多分本人が骨の髄まで。
人間って圧倒的に不平等で、
生まれ、育ち、頭脳、性格にも、如何ともし難い差があって、
「努力できない」人とかいるのよ。
どう頑張っても頑張れない子とかいるのよ。
遅い足が速くならないように、
頭が悪い子は頭が良くならないの。
容姿もそうだし、
性格もそうなんだよ。
だけど、全部「本人の責任」にされてしまう。
俺もそうしちゃう。
このまま進んだら、社会から合法的にドロップアウトしちゃって夜の世界に消えていくことがわかっているけれど、
俺たちは、「いい子」「できる子」を守るために、
「正しさ」を押し付けるし、
できない子がドロップアウトしないように、
正しさを押し付ける。
わかってるけれど、
「頑張れ」って言うしかない。
その子のありのままを受け入れる、なんてできるか。迷惑だから。
水を飲もうとしない馬に水を飲ませるのも、教師の仕事。
彼ら彼女らが自分の存在を示せることは、
自分を認めてくれない大人社会への
反抗と挑発、だけ。
心の中では、どれだけ大人がイライラして苦しむか、
ポイントを知っていて、
隙あらばそこを抉ろうとする。
復讐。
もう、社会にポジションなんかいらないから、
悪いとわかっていても引き摺り落とすことしか心のベクトルが向かない。
恨まれれば恨まれるほど、彼女らの目論見は成功する。
で、これ、怒られても叱られても裁かれても辞められないんだよ。
本当に満たされるべきもので心が満たされない限りは。
わかってるからこそ、
辛い。
なんでこんなことしなきゃいけないんだと思う。
特に、母親の愛を受けなかった子は、
その上にどんな自己啓発や社会性を積み重ねてもガラガラと崩れ落ちる。
そうねー
一番伝えたいと思っていることは、
私自身が、社会不適応人間で、
人間存在はクソで、自分もクソで、傲慢と保身の権化で、
人はみんな偽善者で保身的で、そういう自分もどれだけ理想を語っても、やっぱり本質的にはエゴイストで、
こういうことを全員誤魔化して社会的に立派なフリをして認め合っているだけ。
これって、自分でいくら頑張っても祈っても残滓は心の奥底の残り続けていて自分じゃ根本的にはどうしようもないっていう現実。
俺自身が努力してもダメな人間なんだ。
ていうか努力すらできないんだ。
だけど、
そこも含めて、
たくさん愛されて、許されて、支えられて、
いつもいろんな人が本気で背後で祈っていて、ついていてくれる、
それこそお母さんのような人たちに罪深い私が今も死を迎える時も祈られている
っていう経験を重ねていくうちに、
まあまあ、罪を告白して、謝ったり、改善したりして、
人と信頼関係結んで行ったり、
こういう気持ちは消えていったかな、ということ。
まだまだ怖いことはたくさんあるし、
自分を責めてばっかり。
あるときゃあるし、消えないこともあるけれど、
神さまはそれでも大丈夫ともう一度立たせてくれる。
自分を許していこうと思うよ。
そうだな、
ああ、祈られているんだなって思うと、
俺も、みんなにとって、
取り次の祈りをできる存在でありたいと思っている。
人は愛でしか変わらない。






