ジャッジをしない。 | 救魂録

救魂録

カルトや発達障害や自己啓発など潜り抜けてきたカトリック信徒のブログです。

 

●裁いてはならない。裁かれないためである。

あなたが人を裁くように、あなた方は裁かれ、

あなた方が量るその升で、あなたがたにも量り与えられる。

(マタイ7:1~2)

 

あなたに嫌な人や苦手な人はいますでしょうか。

「あの人って、○○だよね」と価値判断をしてしまう人。

「あの人は、○○だから、××だ」と思ってしまう人。

または、

「あの人、あそこが悪くてここが悪くて、ここをこうすればいいのに、もどかしい!」

「伝えているのに、なんで良くなってくれないんだ」

と思う人はいますでしょうか。

 

私はいます(笑)

つい頭の中で、「あの人は」「あの人は」「あの人は」・・・ばっかり考えて自己嫌悪に陥ってしまう。

そして、その人からも同じ理由で「苦手」と思われているかもしれません。

それ自体は、ごくごく普通のことです。

どんな人でも無条件に「好きになりなさい」とか、「仲良くしなきゃだめですよ」と言われたら、それは少し難しいものがあるかもしれません。

本当にこれは思っちゃうものです。梅干を思い浮かべたらよだれが出るように。

 

他人から言われた些細なひとことや、うっかり他人に言ってしまって傷つけてしまったかなという後悔が、ずっとトゲのように心に刺さって、モヤモヤして落ち着かない。

 

このトゲを解消するうえでの悪手が、その場にいない人の話、つまり陰口で盛り上がる、ということです。悪口に同調させる。

それは、何の解決にもならない。それどころか、根はさらに深くなる。

たぶん、あなたがいなくなったらその同じ口で、彼らはあなたの陰口で盛り上がっているはずです。

 

ちなみに、陰口大会で盛り上がり始めたら私はすぐさまその場を出ることにしています。

あと、人のうわさ話や悪口への同意を求める人とも付き合わない。

 

「私あの人苦手だなあ」でいったん区切るのです。

あの人は「嫌な人」じゃないのです。「私にとっての」嫌な人。

何で苦手なんだろうという理由をいったん書き出してみる。

ちなみに、私の場合、苦手な人には共通点があって、

「人の話を聞いてくれない」「自分の意見を押し付けてくる」「自分のいる立場を正確に知らないくせに悪く言う」

などという人が苦手です。

で、そういう人が孤立しているかというと、そういうことはなく、別の側面から見たらかなり頼られていたり、リーダーシップを持っていたり、周りを盛り上げることに長けていたりする。

あくまでも「私にとって」の苦手なのです。

「本当はどうされたかったのか」を書き出すこともお勧めです。

 

「苦手に思っちゃう自分ダメだなあ」「こういうこと思っちゃダメだなあ」と思わず、それはそれでジャッジしないで、ちゃんと大切にすることです。

自分のこともジャッジしない。

価値判断をして苦しむ自分が一番しんどい。

「あの人は」「あの人のここが・・・」

自分がなぜジャッジをしてしまうかというと、

自分の中の満たされない想いを他人に満たしてほしいという「期待」があるからです。

もしくは、自分の中に、大切にしている何かがあったり、傷ついて大切に扱われたい何かがあるから。

あるいは、自分の中に「こうあるべき」「こうなりたい」という無意識の理想像があるから。

その無意識の理想像とのギャップに人はイライラしたり悲しんでしまったりするのです。

それは、幼少時に親から満たされなかった傷がそうさせているのかもしれませんし、過去に繰り返してきた失敗からの拒否反応かもしれません。

そのイライラさせたりモヤモヤする自分の中の原因に気が付くと、その瞬間すっとつきものが取れたように心が軽くなって、笑えてくるほどです。

イエスは言います。

「偽善者よ、まず、自分の目から丸太を取りなさい。

そうすれば、はっきりと見えるようになり、兄弟の目からおがくずを取り除くことができる。」(マタイ7:5)

しんどい原因は、「丸太が自分の目に刺さってる」から(笑)

「自分の目の前の丸太」が取れる瞬間です。

 

私が、傷つけられたとか、あの人苦手だと思ったときにやることは、

「自分についての発見や想いをその当事者と率直にシェアする」ということです。

無理に自分の心を押し込めて仲良くする事ではありませんし、相手を裁くことでもありません。

そうしたら、一番胸の荷が落ちるのは自分自身です。

正反対に見える「苦手な人」も、同じ理由であなたのことを苦手と思っていたことが分かります。

そうすると、その苦手だった人と仲良くなれたり、という現象が起こってくるものです。

 

私が真に自分のことを知り、受け入れ、愛することができれば、身の回りの現象も不思議と変わってくるのです。