●天の父が完全であるように、あなた方も完全なものとなりなさい(マタイ5:48)
イエスは私たちに「完全になれ」といいますが、
どこかはるか高い基準があって、努力して、外面的にも内面的にも百点満点で、どこから見ても非の打ちどころのない道徳的人間になろう、ということではないような気がします。
「私が」がんばって、がんばって「パーフェクト・ヒューマン」になろうとするのであれば・・・そういう風にして「神近き人」となることを目指してしまえば、人はきっと永遠に到達しえない息苦しい人間完成の道のりを、欺瞞のうちに歩まなければならないでしょう。
神さまが神様で完全なように、神さまは一人一人の存在を、完全なものとしておつくりになっています。
「自分が完全なもの」としてつくられていることに気がついて、戻っていこう。
私が命令しなくても勝手に伸びていく髪の毛に、
何も思わなくても勝手にものを食べ消化してくれる内臓さん、
ずっと血液を動かし続けてくれる心臓さん・・・
数え上げたらきりがありません。
「ただ、自分自身でありなさい」
何ものにも左右されず、外側のモノサシや基準で自分をはかることなく百パーセントあなた自身でありなさい。
同時に、それは自由であること。
愛であること。
自分自身を完全に発揮して生きていくこと。
私は私であっていい
あなたはあなたであっていい。
それが「完全である」ということなのではないでしょうか。