北国街道<北陸道>④-1(今庄→南条) | Eddie's Diary

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大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2023年5月20日>

おととい20日の土曜日は街道歩きへ。

約4年ぶりの北国街道(北陸道)を歩いてきました。

(前回は→ 北国街道<北陸道>③-2(中河内→今庄) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )

先月末に歩いた長野県を縦断する善光寺系北国街道ではなく、

北陸4県を行くいわゆる北陸道系北国街道の4回目です。

 

前回近江国から栃ノ木峠を越えて今庄の町に着きましたが、

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄につながるルートもあります。

元々は木ノ芽峠越えの道も歩いて今庄に来てから今庄を出発の予定でしたが、

昨年大雨で通行不可となっているのを知り、木ノ芽峠越をパスといたしました。

 

てなわけで、まずは今庄宿

2019年5月に今庄へ到達した2年後に重要伝統的建造物群保全地区に指定。

なので前回ゴールの宿場の真ん中から続いてのスタートではなく、

町の南端から今庄宿を通しで見ることとしました。

 

最初は4年前に見た風景を再確認。

 

問屋場跡に高札場跡。

民家になってますが案内板がちゃんと設けられています。

 

朝7時前なのでひっそりとしていますが、歩き終わってから今庄に戻ってきた時も、

同じような静かな風景のままでした。

 

4軒ある造り酒屋の一つではるこちらは御札場跡でした(御札場=藩札と金銀の両替店)

 

大黒屋の先から今回初めて目にする風景となります。

 

宿場町とは一見相容れない建物。

今庄出身の実業家田中和吉氏が造った昭和会館。

1930年築の鉄筋コンクリート建築だそうです。

 

その前には脇本陣跡ですが、これは当時の建物ではないかも。

 

本陣跡は後に明治天皇が泊ったところですが、

ここを整備したのも先の田中和吉氏だったそうです。

 

本陣跡にあった今庄宿の案内板。

長さ1km、旅籠55軒と相当に規模の大きな宿場だったことが分かります。

 

紅殻塗りの元旅籠と現役の造り酒屋、そして少し色合いの違う元造り酒屋。

 

自家用車を当たり前のように停めてあるところに

観光地化されてない日常の風景を感じます。

 

奥の旅館は元旅籠かな??

 

宿場の出口に近づき枡形に曲がっていきます。

ここ今庄では矩折と呼ぶようです。

 

今風の建物もありますが重伝建に指定されるのも納得のいく宿場町でした。

 

最後にもう一度枡形(矩折)に曲がり今庄宿を後にします。

 

北へ進んで行くとJR北陸本線の踏切がありますが、

ここはそのまま直進して峠道へと向かいます。

 

線路沿いに林道を進んで行くと・・・・

 

今庄一里塚がありました。

碑だけしかなく、周りは植林杉でした。

 

一里塚跡のすぐ先に湯尾峠への登り口があります。

 

北陸本線のトンネル入り口の上を登っていきます。

 

曇り空ながら新緑が鮮やかです。

ハイキングコースにもなってるので快適に登れます。

 

登り口からわずか8分。

石積みが見えてきたら・・・・

 

湯尾(ゆのお)に到着です。

 

旧街道を歩けばよく見かける明治天皇と松尾芭蕉の足跡ですが、

湯尾峠では二人が揃い踏み、もしかしたら他にはない風景かもしれません。

 

峠からの下りの九十九折では史跡もありましたよ。

 

馬の水飲み場跡は今もチョロチョロながら水が湧いていました。

 

血頭池はもし血で赤かったら怖いのでスルーしました。

 

峠の北へ下りてきました。

この先は概ねアップダウンがほとんどない街道旅となります。

 

ここではうっかり50m近く直進しかけて戻りました。

左へ行くのが正解です。

 

峠の上でも下でも休憩した明治天皇。

ここから湯尾宿に入っていきます。

 

湯尾神社前を通り宿場町へ入っていきます。

 

今庄宿のような古き趣きはないですが宿場町の空気感は感じられました。

 

史跡は民家脇の高札場跡と街道から外れたところの芭蕉の足跡の二つだけ。

 

今回の街道旅では水路のある風景が多かったです。

 

街道は国道365号線に合流します。

その先で北陸自動車道今庄ICの入出路をくぐります。

 

続いて左に右に分岐合流を繰り返します。

 

途中の湯尾駅でしばしトイレ休憩を入れました。

 

ここで左手に入り国道365号線から離れます。

 

北陸本線の踏切を渡って材木工場の裏から山裾の道へ。

 

この山裾の道が気持ち悪いというか何というか・・・・、

動物の骨があちこちに散らばってましてね。

写真は撮りませんでしたが、足の骨を見たらどうも鹿のような感じ。

それが1ヶ所でなくあちこちに転がってて、もしかしたら熊にヤラれたのかも?

と思うと大丈夫かな?と思いつつも足早に通過してしまいました。

 

ホネ街道を抜けると踏切とトンネルが・・・・。

旧街道は山の際を通っていたようですが線路あたりに埋没した模様。

やむなく歩行者用のトンネルを通行しました。

ちなみに・・・・、横を通る特急はサンダーバードです。

 

トンネルの出口付近にはまたも明治天皇の史跡。

 

そして左には白山神社。

旧街道はおそらく神社のさらに左側を通っていたと思われます。

 

トンネルの先は鯖波宿になります。

 

しつこく明治天皇で恐縮ですが、ここ本陣跡でも休憩したようです。

本陣跡は今は子供たちの遊び場になっていました。

ちょっと驚いたのは案内板に休憩した時間まで書いてあったこと。

月日ならともかく時間まで記録されてるとは思いもしませんでした。

 

わずかながらも宿場の雰囲気があった鯖波宿。

規模が小さかった分、あっというまに通過してしまいました。

 

国道305号線のトンネル入り口前を横切ると再び山裾の道。

ですが今度は白骨の散らばることはなくアスファルトの県道でした。

 

この道幅で且つ人も車も通行量が少ないのですが県道です。

北国街道が主要幹線であった時代に県道指定をされたのかと推測されます。

 

関所跡らしき鶯の関の立派な碑がありました。

が、説明も何もなく詳細不明です。

 

関所があった名残の地名ですね。

田植えの準備万端といった風景です。

 

ここで街道は北陸本線で斜めに分断されます。

まっすぐ進めないので踏切でプチ迂回します。

 

踏切を渡り、宿場ではないですが家並みの続く中を進みます。

キレイにリフォームされた長屋門や扉×2の蔵を経由すると・・・・

 

北国街道前に立つ南条駅がありました。

スタートして約2時間、ちょっとここで休憩タイムを取りました。

 

 

キリがよいので一旦ここでブレイク。

後半に続きます~ウインク