こういうことをあらためて記事にする日がやってくるとは、思ってもいなかった。
というのは大袈裟としても、とにかく自己言及しようという気持ちになったのは、
初めて。
編集機関の機関は、クルマのエンジンの機関であって、
何かの仕組みを駆動する装置のようなもの。それなしには動かない。
クルマの場合は内燃機関。
今でこそなんとかエンジンとか使っているのを、ちらほら見かけるようになったが、
これを思いついたころはエンジンと言えばクルマのエンジンでしかなかった。
次に現れたのは「検索エンジン」。
次が「レンダリングエンジン」くらいか。
検索エンジンはそこそこポピュラーだが、
レンダリングエンジンは、日常的に誰もが使ってるにもかかわらず、
ほとんど知られていないし、知ったからと言ってほとんどなんの得もない(笑)。
編集機関のエンジンも、これらエンジンに近いには近いけれども、
近いだけで、まだどこにも実装されたためしがない。
一方、編集の歴史はずっと古く、
おそらく日本の例で言えば、古事記、日本書紀は編集された書物だし、
平家物語になると明らかに編集長がおり、一巻が仕上がっていく仕組みが
作り上げられていた。ほかにもこういう例はいくらでも挙げることができる。
映画が発明されると映画の編集という仕事が加わる。
とちゅうをはしょって言うと編集機関というものを持ち出したのは、
インターネット以降のことで、
インターネット以前の編集とインターネット以降の編集をつなぐ、
という意図だった(なぜか過去形)。
似たことを主張するウェブサイトやページ、記事はあるにはあったが、
そこに編集機関的編集の仕組みはもちろんなく、
そうこうするうちに電子書籍が登場し、
さらにジョブズのiPhone、スマホによって、
HTML5が実質的な標準、デファクトスタンダードの座を占めて行った。
ここに編集機関の部分的実装があると言っていえなくもないが、
どうせアップル、マッキントッシュ系の例をあげるんなら、
それはHyperCardを挙げるべきあって、ジョブズのマーケティング的発想ではない。
(続く)