結論から言えば、それが「心」を持つか持たないか、よりもその研究開発プロセスが〈新しい心〉を、〈こちら側〉にも付加するかもしれない、オープンするかもしれないということのほうが重要だということ。
この意味、かつての強いAI/弱いAIは、議論してもしょうがない。そういう段階に入ったということをヒシヒシと感じることができた。
土台、英語でマインド(日本語では心と訳語されることが多い)は、会話とか聞いてるとどう考えても「心と脳」なので――英語にはハートってのが別にあるし――人工知能といえば心と脳をカバーしてしまうことになる。
こんな議論は「AI業界」ではこれまでされてこなかったと思うので、筆者の独断と偏見の独言ということに一応しておく。でもまあたぶんはずれてないと思う。
ヒトの外に新しい心(脳)を出現させると同時に、こちら(ヒトの側)にも新しい心(脳)が開かれる、というプロセスをさして松尾豊氏は〈構成論的〉に解明するための研究と呼んでいると思う。
27日のNVIDIA Deep Learning Day 2016 Springには、松尾氏のような人工知能研究者が登壇したわけではなく、むしろこうしたプロセスをハードウェアよりに支えるNVIDIAのGPUのプレゼンテーションという色彩が当然濃くなる。それでも、CUDAエンジニアの村上真奈さんの、機械学習と深層学習の違いを中心にしたオリエンテーションを聞いてるだけでも、強いAI/弱いAIの主題としての重要性は終わったなと実感できる。このこと自体が、AIの新段階の性質を体現しているのだと思う。
やっぱ〈経験値と状態知〉なんだよなあ、と我が意を得たりな気分で講演を聴いてるうちに、あっという間に時間は過ぎた。
村上講師がディープラーニングには、従来のような「教師データはありません」ときっぱり言ったとき、そうかそういうことかとますます上のような実感を強くした。
いや、深層学習の解説本でも読んでれば「教師データがない」なんてことはフツーに書かれてるのかもしれないが、そこにGPUのパワーが直結してくるハードウェアありきの実感は、なかなかこういう会場でないと味わえない。
→GIEニューラルネットワーク演算の高速化高性能化
ニューラルネットワークモデル自体は、全然新しくない。演算処理能力のパワーアップ含む
アプローチが新しいわけだ。
ディープラーニング系の企業展示は、ほんのささやかなものだったが、知能研究開発側の要件に即してマシン(ハードウェア)をオーダーメイドする会社さんのブース(と言ってもテーブル一つ)は面白かった。
平日の午前9時半開場、10時開演の席が満席だった。
PS.
村上さんの話でGPUさしてなくても、
ディープラーニングプログラムを走らせてみることができる、
qwikLABS
にアクセスできるようになっただけでもおなかいっぱい笑