アラブの春に、「民主化」というレッテルを貼るのは、
無意味というか、なんの理解のヒントも与えない。
市民は歴史的には「都市民」のことだろう。「都市国家」の存在を前提とする。
民主化の「民」は、「市民国家」を目指すアラブの春の発端を作った学生・青年層の運動――とくにエジプトの場合――に対して貼られたレッテルにすぎない。
実質は独裁政権を倒した「革命」だ。ただ、政治革命かどうか、はっきり言えないのがイスラムの深さだろうが。
さらにレッテル「民主化」の「民主」は「民主主義」を一義的に指すような語でも、もともとない。
そもそも「デモクラシー」は、
どうひっくり返っても、
たかだか「民主制」でしかなく、主義ismをつけるような語ではありえない。
議会制民主主義は、議会民主制(直接民主制の対)というのが正確。
民主制は、寡頭制、専制と並んで古代ギリシアからそれぞれ存在した「手続き」のバリアントの一つ。
民主制は、実質「寡頭制」に容易に転化する。
といったことを、ETV特集を見ながら考えていた。
なかなかよくできたドキュメントだった。
イスラムの人々自身が、イスラムをめぐる解釈を戦わせる状況を、
イスラムの人々自身が創出している(原理主義、過激派は、
その一部が突出して「事件」として主張されたものだろう。
その意味では、何も変わっていない)。
「近代化」とも言えない。そのいわく言い難さに、希望を感じる。
しかしその希望も、あやういものだ。
それを日本語「民主化」は、
何一つ照らし出すことができない。

