読んでいるのは記事ではなかった。
紙面の下段にある本や雑誌の広告だった。
多くの人は、一面の大見出しに目をやるだろう。
もっとも、テレビの番組表しか見ない人もいる。
それが、ある成分の組成の違いによる違いだとすれば、
世の紐帯は、成分表の合致と差異によって生じたり生じなかったりすることになる。
広告を読む彼が、記事を読むようになることはあるのだろうか。
記事を読む者が、テレビ番組表しか見なくなるということはあるのだろうか。
そういう交差が、起きないのだとすれば、
社会の紐帯は、何によって構成されているのか。
奇跡的に、接触事故さえ起きることのない、精巧なスクランブル。
私は、他者とは別の他者。

【偽解題】
そういえば、新聞社各社のニュースサイトには、3段とか6段の広告は掲載されていない。
新聞紙面をそのままデジタル化したものは別として、バナー広告はあっても、本の三八広告とか、そういうものはjない。だいたいウェブは横組みだ。
ますます、成分表の交差は生まれにくくなるのか。
それとも一様な成分表だけが存在することになるのか。
【ヒントになるかもしれない本】
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