クラウド読書環境論 その1:本のメンタルモデル、その創造的破壊?(2)入り口はどこ? | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

本への扉、入り口はどこに?


いきなり、わけわかめな質問で申し訳ありません^^;


本を手にする、文字を目にするチャンスは、いつどこから生まれたのか?


ますます、わかりませんね(笑)


この問いは、ものすごく重要なんですが、しばらく寝かせておきたいと思います。


さて、それが創造的であったかどうかは、一筋縄では言えません。


しかし、本の電子化は、とっくの昔に始まっていたという事実を忘れてはいけないのです。


業界では、「データ入稿」と言ったりしてきましたが、これが電子化の始まりです。


ただし、データが定着する先は、まだ紙だったわけですが。


もうひとつ、「スキャン原稿」があります。


これは、主に、貴重な古文書などの保存を目的として始まった一種の複製技術ですが、これを現存の市場に流通する本にまで適用しようとするのが、Googleのプロジェクトです。



どちらにしても、紙を対象に、紙から始まった技術動向であることに注目です。


さらに「複製」と言えば、グーテンベルグ以来の印刷技術というのは「複製」技術に他なりません。


「写真」も「映画」も「レコード」もそうです。


これらの技術は、いったんマルチメディアと呼ばれ、そこに収束したかのように見えました。


ボイジャーなどが制作したCDROMパッケージメディアです。


一時は、本屋さんの棚にも、本と一緒に並んで売られたこともありました。


いまでも、事典辞書類は生き残っているかもしれませんが、


これが、さほど振るわなかったのはなぜなのか?


パッケージメディアをまたいで、いま登場しつつあるのが、


電子書籍リーダーを軸とする電子出版。いやクラウド電子出版です。


そこには、実は華々しいマルチメディアのような鳴り物は何ひとつとしてありません。


iPhoneや、iPad上で動くリーダーの指の動きと連動する、パラパラめくりの「動画」は、フラッシュで作られています。


(続く)


PS.


続きはこちらでもお話しします。


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