「緑の孤島」について | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

19日(土)から20日(日)までの6本の連載は、現実、本、テレビという3つのメディアを合成したヴァーチャル日記でした。


緑の孤島1
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346588243.html
緑の孤島2
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346617312.html
緑の孤島3
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346639594.html
緑の孤島4
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346718534.html
緑の孤島5
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346810753.html
緑の孤島6
http://ameblo.jp/editorial-engine/entry-10346903863.html


きっかけは、グレゴリーベイトソンのこの本のタイトル。

精神の生態学/グレゴリー ベイトソン
¥6,825
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新幹線の喫煙デッキで読み耽っていたのは、

精神と自然―生きた世界の認識論/グレゴリー ベイトソン
¥2,100
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そして、ラストの「緑」にインスピレーションを与えてくれたのは画家・犬塚勉の作品を紹介するテレビの映像でした。



編集機関のシンプルマップ的ネタ帖:ProScript for Editorial Works-梅雨の晴れ間

これ、写真ではありません。絵画です。


生態系は、科学の対象でもありますが、科学をもってしても、「これが全て」という全体的な知識や、その本質をつかむことはベイトソンが言うとおり、不可能です。


しかし、「記述」することはできます。


「現実」や「本質」は、描くという行為によってしか経験できないのかも知れない、ということを教えてくれた犬塚勉の絵画でした。


自分で撮った緑の写真、そのトリミングによる編集、テレビのなかの緑、車窓からこの目で見ているはずの緑。


「生態系」という言葉に始まり、自分の視覚と、映像と、映像の編集で、虚実皮膜を編集する、


「虚×虚=実」という実感を、意図せずして得た連続投稿でした。


現実というのは、編集的現実、EDITORIALITYです。



編集機関のシンプルマップ的ネタ帖:ProScript for Editorial Works-09-09-19_006.jpg


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