ようやく、インターネットがしっかりとした道具として定着しはじめた西暦2000年、連続公開講座の講師を、ウェブサーフィンから「検索」で絞込み、出演者の候補リストをつくって、たしかメールではなく、ファーストコンタクトは、電話と手紙という、超ハイブリッドな、出演交渉、依頼の方法をとった初のプロジェクトでした。
その数年前はまだ、パソコン通信がかぶっていて、パソ通でも原稿のやりとりはしましたが、とにかくまだ文字だけというか、画面全体が掲示板以外の何者でもないという、「インターネット以前」の環境は、いま以上に文字文字していたのをよく覚えています。
ブラウザが、まあサクサク動き始めたのは、1995年以降だと思いますが、まだグーグルのグの字もなく、ネットスケープとYahoo!の時代だったわけですけれども、2000年にはもう、公共機関はもちろん中小の商店なども、自前のウェブページを持ち始めていたわけです。
まだ、ブログはありません。日記サイトはありました。
マックとウィンドウズの互換をとりながら、そろそろDTPは当たり前という時代だったと思います。それでもまだ、メールにも「添付」という慣習があまりなくて、ファックスもいま以上に、かなり併用されていたはずです。
日本の「衣・食・住・遊・交」をテーマに、各分野の「研究者+職人・芸人」のセッションを織り込んだ講座カリキュラム「日本の語り部」の企画・構成・演出に携わりました。キャストとして導入レクチャー、声の出演もしています。いやあ、忙しかったです^^;
(写真はCD版・音の講座「日本の語り部」製作2001年。講座運営は前年)
その各回公開講座の映像記録の音声をイスラエル製の音声編集ソフトで編集、CD化したのが、音の講座『日本の語り部』全24巻です。
イベント編集から、ポータブルメディアを作り出す、メディアからメディアを渉るタイプのプロジェクトでした。
早稲田大学講師(当時)の桶泉岳二さん、畳職人の荒井将佳氏、当時、東京都立大学助教授の山田昌久さんにネット上で“「出会い」、講師候補としてリストアップし、出演交渉に至るという、初めてインターネットが大活躍したのも忘れられない思い出です。
このお三方には、インターネットなしには出会えなかったはずです。どなたもまだ目だった著作があるわけではなく、ネット以外では「探索」のとっかかりがほとんどなかったわけですから。
検索キーワードは「衣・食・住・遊・交」のテーマからブレイクダウン(小分け)×時代区分で、切り出したはずです。
このときにシンプルマッピング があれば、もっとスピーディに仕事が進んだかもしれません。
パッケージに同梱する解説パンフレットの編集、会場配布用のプログラムの編集制作に加えて、音のCDから、さらに全集本『日本の語り部 全24巻』(仮題)の編集プロジェクトを立ち上げるという企画は、未完のまま眠っています。


