小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -42ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

入口は男、窓は女!?
ネーデルランドの絵画を見ると窓辺に佇む女性がよく描かれています。これはとっても素敵。中世宗教絵画とは別世界で、ロマンチックな想像を掻き立てる世界です。こうしたことから眺望機能を得た窓は女性の家事からの開放とジェンダー・フリーと絡めて論じようとした方もいらっしゃる(この説に小生も乗り、証明しようとしましたが、残念ながらできませんでした。これは企画倒れ?)ほどです。
女性解放論と窓――という引きのあるテーゼが証明できるかどうかは別としても、窓が女性的、ということはボク自身も理解できます。例えば、毛むくじゃらの男性が窓辺に立って、窓明かりで本を読む、なんて想像できません。そりゃ、やっぱり若い女性でしょう。
ところが、玄関については、玄関前に女性が仁王立ちし、なんてこれまた想像できません。こちらはバッキンガム宮殿の衛兵のように男性です。
ということから、出入りできない“窓”は女性、いつでも自由に出入りできる“玄関”は男性――と考えました。
で、イタリア、フランス、ドイツ――で、窓と玄関が男性名詞か女性名詞か調査。その結果、イタリアもフランスも窓は女性。ふむふむ、これは実に納得! で、ドイツではというと中性(いやはや40年前には第二外国語でドイツ語に履修届を出しておいたんですが、ドイツ語に中性なんぞという存在があったなんて知りませんでした。40年後の大発見!)
で、ドアは……。スミマセン! まだ4時なんですが、引っ越し先の同じ階の事務所の方が訪ねてきて酒盛りがはじまってしまいました! この続きは明日!

ガード下を探索しよう!

東京新聞の新年企画で「ガード下」が取り上げられ、その第一回目に旗振り役として小生が登場した元旦号をご紹介いたします。ご覧になれなかった皆様、こんな感じでした。



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-東京新聞元旦


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-東京新聞特集

やっと、事務所の引っ越し終了。年末年始、ず~ッと引っ越しに明け暮れました(荷物の移動自体は業者がやってくれるものの、暗室の撤去等けっこうやることがありました)。
いま、やっとネット環境も整い、通信ができるようになりました! ホッ!!!

今年初めての富士!

皆さん、いい年にしましょう!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-初富士

          (荒川土手・千住新橋より)


新年早々
今朝の東京新聞で小生のインタビュー記事が顔写真とともに掲載されました。元日早々ありがたいことです! とことがこの記事、特集の別冊と思っていたら本紙の特集でした。今年こそはシッカリしようと思っていたんですが……。
今年もよろしくお願いします!

写真一枚を持って、新事務所に引っ越しました

引っ越しは1月5日、業者に頼んでいるんですが、それでも、自分の手で持っていきたいものもあります。というか、すべて段ボールの箱に詰めてしまうと、あとで何が何やら分からなくなって、仕事ができなる、と不安感があるため、最小限、これだけは手で持っていこう、というのがあります。それを昨日、持っていきたかったんですが、雨。雨天決行までする強い決意はないので、晴れた今日事務所に出勤し、とりあえず写真一枚だけ持って新たな事務所に行きました。
で、今日は? 小生は六曜など信じないんですが、なんと大安吉日だそうで。なんとも、いいお日和の“引っ越し”となりました。
その中身は? 今まで(今その事務所にいます)掲げてあったカールマルクスの墓の写真。場所はイギリス。まあ、いまどきマルクスの写真を掲げた事務所なんてあるの? なんていわれそうですが……。70年安保当時と変わらない、こんな人間、こんな事務所があってもいいかな、なんて思っています。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-事務所マルクス



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-新事務所



元旦から新聞の特集ページに登場します

急遽、明日は休めそう! 新年は3日から出勤です。4日は新事務所へTEL.移転。5日は引っ越し――というスケジュールなので、しばらくブログができない(通信回線を接続できない?)かも知れません。

11日は、東京新聞の元日特集ページで、ボクが登場します。これは、5回連続のシリーズで扱う「ガード下」の連載の旗振り役になる記事だそうです。新年早々汚らしいオヤジが出ていたら小生です。

ドアは開かれている? それとも閉じられている?
西洋建築の場合、窓と出入り口のドアはともに外壁に開けた穴ですが、その大きな違いは人が出入りできるかどうか。人が出入りできないのが「窓」ということになっています。
その窓を外部からみると、室内はとっても幸せそう。リアルに室内での人間関係にまで思いを巡らせる人はほとんどいないでしょう。窓辺に立ち、外を見つめる女性とか、窓明かりで書物を読むオランダ絵画の女性なんてとっても素敵! 
ところが、出入り口のドアに佇む人を見ると、けっこうリアルに考えてしまいます。
というのは、出入り口というのは常に開け放たれ、「自由に出入りできる」という思い入れがあるから、とボクは想像しました。いかつい男性の軍人が出入りをチェックしていても、でも出入りできるのが入口のドア、とうのがボクの思いです。
ところが、社内の同僚は、「ドアは常に閉められている。外界と仕切っているのがドアだ」と主張。日本の建築は外の自然界と内が一体となっているけど、西洋建築は外と内をしっかりと仕切るということの論理もあるのでしょう。
出入り口の開口部は常に開かれているのか、実は閉じられているのか。これはその人個人個人のパーソナリティにより、正反対の結論になってしまう、というのが現段階の結論でした。

人の眼の数は多い方がいい!

毎朝、母親が入院している大学病院に寄って朝の部の面会をした後、担当医師の説明を聞き、書面にした用紙にサイン(一つ一つの処置に対して説明され、了解したとのサインを求められます。これってインフォームド・コンセント?)をしたあと、1階ロビーの自動販売機でコーヒーを飲んでから自分の事務所に向かいます。このコーヒーの自動販売機は普通のドリップ式の炭火焼きコーヒーからカフェオレ、カフェラテ、カフェ何とかまでたくさんの種類があります。紙カップで飲むタイプで、値段は100円。種類によっては80円。ところが、他の病棟の外来のコーナーに行くと同じものが200円。えッ~と驚いたのがつい数日前(大発見です!)。で、詳しく観察。ボクが普段飲んでいるのは「救急救命センター」のロビー。ということは、救急車で運ばれたところは安く、一般外来はしっかりとる? 今日は、支払い(別に退院できるわけじゃないんですが、途中の〆ですね)があったので、差別価格制をとったコーヒーの話(親子ともども経済卒。ズーッと昔の話ですが)をしながら娘と出向くと、メーカーは同じ。種類も同じ。じゃ何が違う? すると、流石わが子、ってわけじゃないんですが「これ、分量多いんじゃない?」と違いを発見。そう、一般外来に設置されている自動販売機のコーヒーは「BIC」と表示されていて、販売機の上部にも普通の大きさのカップとBICサイズのカップを強調・デフォルメしてこんなに違う、と示していました。
人の眼の数が増えればその分、視野が広がる、とまち歩きでは言っているんですが、普段の日常生活でもこの原理原則、当てはめられる、ってことが分かりました。ひとりよがりになっちゃダメッてことですね。

眉のない家
西洋建築は、美術家と石工による美術作品で覆いつくし仕上げるものでした。その装飾は富の象徴、顕示でもあります。こうした装飾建築に反旗を翻したのが、オーストリアの建築家・アドルフ・ロース(Adolf Loos)。ロースは1910~1912年頃にかけて、なんとウィーンの王宮、裏手にはあたるんですが、ミヒャエル広場に装飾物を一切排した建物を建ててしまいました。アナーキーな無装飾の家です。このロースハウス、窓の上の雨押さえ石(屋根形装飾)がなかったため人々から「眉毛のない家」などと批判されました。装飾のない建物なんておかしい、ということです。目の前には華麗な王宮。その豪華な建物群と無装飾のロースハウスではどう見ても釣り合わない、という理由から外観を変えるよう圧力が掛けられました。結局、窓に雨押さえ石(庇)は付けないが、窓台(sill)なら付けてもいい、というのが事件の落としどころで、互いに妥協した、という話があります。
まあ、このロースハウス、従来の意味での装飾はありませんが、建物の内外とも最高レベルの建材のみが使用されていた、という建物ではあったんですが……。



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-学士会館03


千代田区・神田錦町にある学士会館(1928年 設計:佐野利器、高橋貞太郎)5階、宿泊施設の階5階に見えるのはバルコニーではなく花台、つまり窓台です。ロースの時代でいえば、「眉のない家」です。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-学士会館01