モリーゼ州、ヴェナフロの旅の続き
教会が全て閉まっていて、
丘の上の坂道を登り、お城に着いた時、
入り口が閉まってる!!!!
のでかなりショックだったわ。
時間割が貼ってあって、空いてる時間なのに、
閉まってる!
近くにいたオバちゃんに聞いたら、入り口はもう一つあるというので、そちらにまわった。
写真に小さく写ってるおばちゃん、
私にどこからきたの、なんでこの町にきたのと、興味津々。とても親切でした。
旧市街の坂道を下ります。
可愛い町並み。
反対側の入り口はこっち。
側にレストランがあると思ってたんだけど、
営業しているのかどうかはわかりません。
入り口が2つ以上あるお城は珍しい気がする。
開いてました!ほ。
まだ、中が真っ暗で、
チケットを売る人は電話中で、
もう一人の警備員のような人が、
初めてチケット用意すると言って慣れてない様子だった。
あまり観光客は多くないんだと思うけど。
初めてって。笑
パンドーネ城 Castello Pandone di Venafro
http://www.moliseturismo.eu/web/turismo/turismo.nsf/0/992ED6D1DBCB0045C125754600388345?OpenDocument
お城からの景色!
パンドーネ城国立博物館 Museo Nazionale di Castello Pandone
が入っています。
中世初期美術と現代美術、この町の芸術家の作品が展示されていました。
ほとんどヴェナフロのために、ナポリで制作された貴重な作品です。
また興味が出てきたら、これらも調べます。
このお城、ローマ人がせめて来る前のサムニウム人が住んでいた場所なんです。
その後、ローマ人が町を整備し、
10世紀頃のロンゴバルド人、の男爵 Paldefrido が元の四角形の城壁を利用した形で
さらに要塞をがっちりと固めたそうで、
その頃の塔が今でも北側に残っているんですって。
どれだったんだろう。
上の地図を見てみると、四角い塔が古い塔みたい。
1349年の地震の後に、アンジュー=シチリア家が、
円柱型の塔を3つ増やし、堀もつくったの。
1443年にFrancesco Pandone がアルフォンソ5世 (アラゴン王)Alfonso d'Aragonaから直接ヴェナフロの支配権を渡され
パンドーネ家はすぐに、さらに2つの入り口を造ったんですって。
この頃に、雨水を集める貯水槽も修復。
1498年に父から譲り受けた Enrico Pandone は
1514年頃に子供と奥さんCaterina Acquaviva d'Aragonaとともに、ここへ引っ越してきた。
1522から1527年頃に、彼らが飼っていた馬の壁画を武器を置いておく部屋などに描いたの。
ちょっと浮き上がっている様に見える技法を使ってるのですって。
それぞれの馬の絵に、名前と歳と種類と色とHenricusという意味のHと入ったシンボル が書かれています。
馬が大好きだったんですね―!
白い馬って、歳をとって白くなったんですよね。
長く彼らと一緒にいるので、なんだか、馬の目が優しくて、
愛情たっぷりに描かれているような気がする。
この壁画大きいんですよ!
実物大くらいなんじゃないかなー!
部屋、サロンやダンスホールは1300年代の建物なんです。
上は1600年代の地図なんだけどね、今とあまり変わってない気がする。
昨日ブログで書いた、
上の写真の古い壁、やっぱり城壁があった場所ね。
Mura Cicropiche っていいます。
この町のどこかに、もっと大きな岩を多角形に切ったものをパズルのように重ねてつくった壁もあって、
そちらのほうが古そうだったけど、
どこかわからなかった。
オリーブ畑の中だったみたい。
町中にもあるようなことを聞いたけど。
?
Enrico Pandoneさんの話に戻って、、、、、
Carlo Vを裏切った形で、Enrico Pandoneは殺されてしまうんですが、
その後、何度もこのお城の持ち主は変わります。
1700年代始めに、Giovanni di Capuaが 婚約者 Maria Vittoria Piccolominiと一緒に住むことになってたんですが、婚前に彼女を亡くしてしまったんです。
前世紀までは、アパートとしていくつかの所有者がいたそうですが、
現在は国のものに。
あー可愛い。
もっと知りたーい。
また一枚づつ写真を観て、調べます。
写真はフラッシュ無しで撮っても良いといってくれて
いっぱい撮ってきたんだけど、
ネットに載せていいかわからないので、
イメージが分かるようにお気に入りのを数枚だけにしておきます。
ヴェナフロ、おすすめです。
観光客がもっと増えるといいですねー。